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『春を待つ、その訳は?』

2011年01月30日 18時02分27秒 | 物語・小説
『春を待つ、その訳は?』

 梅の花が咲くのは、春らしさを微塵も感じられない冬深い時分の事。
 「迎春」という2文字が出て来る1月1日。旧暦によるものという理由は解るものの、とても「春らしさ」という物を感じられる事は無い。
 かつての「春」と今の「春」というのは、どこかしらに違いがあったのだろうか?と目の前にある2~3部咲きの白梅を見ながら、彼は考える。

――もうすぐ寒さから開放される――

 そう彼が思ったのは、去年の今頃だった。
 寒さの深い快晴のある日にちらほら咲いた白梅とかつて聞きかじった昔語りの物語を重ね合わせて、きっともうすぐ…と思ったものの、そう簡単に寒さは去らず白梅の小さな花だけが日を追って、咲いて行くだけだった。

――春は寒いものなんだろうか?――

 不意に首筋を吹きぬけた空っ風が物思いに耽った彼を現実に呼び戻す。
 春と言えば、花々が咲き誇り、胸の内にトキメキを与えるような香がする風が吹き、緩やかな上り坂を歩いていくような、或いは、硬く縛られたものから解き放たれるような感覚を覚える、そんな時。反面、杉花粉悩まされる嫌な時でもある。だがしかし、それさえなければ、心が豊かになるような安心感を覚える気持ちになれる良い季節である。

――春を待つ、その訳は?――

 彼の胸の奥に、そんな問いかけが生まれた。
(なんだろう?解らない、今は)
 時が経てば、答えは出るのだろうか?そして、その答えが出た所で、一体何になるというのだろうか?自分はその答えを欲しているのだろうか?…そんな色んな自分への問いかけが一気に胸の中で広がっていった。

(不毛な話だな)
 一夜明けて、昨日見た白梅の近くを通りかかった時、自分が創り出したものが思い出された。
(どうだっていいじゃないか、そんな事)
 季節がめぐるだけ。時間が流れていくだけ。ただそれだけの事。そこに何の答えがあるというのだろうか?期待はしても、どうせ叶わず終いの夢・希望達。望みそして想う、その力が強い程に、叶わなかった時の失望感は大きくなる。あれだけ願っていたのに、期待していたのに、という言葉が心を埋め尽くすだけである。
(いいや、もう)
 袖を引っ張る誰かを振り切る様に、彼は、いつもの場所へと向かった。


 空は淡く青くて、日差しは柔らかい。けれど、時折吹く風は冷たい――それを小春日和と呼ぶらしい。
 
 街の交差点で信号待ちをしている時、もう思い出せない時に読んだ小説だったか漫画だったか定かでない1文を彼は思い出す。
(って事は、今日はそれか)
 止まれの紅が進めの碧に変わった時、沢山の背中の中に紛れ、彼は歩みを始める。
(小春日和か。でも、寒いよな)
 見上げる空には、当たり前の様に白銀に輝く太陽が地上を照らすものの、あまり暖かくはない。だから、人達はポケットに手を入れたり、手袋をはめる。けれど、晴れているという事で、曇に雨、そして、雪よりは段違いに安心感がある。
(雪か)
 期間限定の風物詩。冬の象徴の1つ。それが好きだと言っていたかつての知人の言葉が頭の片隅から蘇る。
(まれしか降らないからそう思い、思えるんだよな。毎日だったら、嫌気がさすだろうよ)
 そんなもんだよな、と彼は思う。
(そう言えば、雪を最後に見たのっていつだったっけ?去年は見たっけ?)
 遠い山肌が白くなっている所は何度か見かけた記憶があるが、実際に手にとって見たのはいつだったか?何しろ年1回あるかないかの話である。雪が降り難い地域に住む彼である。そんな長くても短い期間の記憶は365日という時間の中で忘れてしまうものである。

――春の雪解け水は、眠りついた冬の森の目覚ましの1つ。そこに降り注ぐ日差しが、草に息吹と芽吹きを与える。春は森の1年の始まりである――

 彼が数日前に見たドキュメンタリー番組の1節。
(1年の始まりか…なら、今は1年の終わりって事か?)
 春夏秋冬と言い、春に始まり、冬に終わる。
 始まりは短く、終わりが長い。
 季節の感じはそんなものである。
 短い春そして短い夏はあっても、短い冬は無い。いつだって、冬は長い。冬が長いという事は、寒さもその分だけ長いという事になる。木々は枯れ果て、水は凍りつき、獣は眠りにつき、静寂に包まれた荒野に足を踏み入れれば、より強く1人というものを感じられる。
 春は、そんな荒れ果てて、生命の営みを感じさせない、1枚の絵に碧という色を1つ1つつけていき、そこに、黄色や薄紅色という明るい色を1つ1つに塗っていき、目にも鮮やかで、見るものに喜びと嬉しさを与えるような絵に仕上げていく、絵描きみたいなものでもある。 
 冬が終われば、春が来る。春が来れば、止まった鼓動が再び脈を打ち始め、歩みを始めさせる事になり、1つの動きが別の1つの動きを始めさせ、前へ前へと動き出す。決して後退する事は無い。
(これで終わる。そして、ここから始まる)
 停滞から始動へ。
始動から流動へ。そして流動から活気が生まれ、慶びを育む。

 春を待つ、その訳は?という問いかけに対する答えが彼の中で生まれる。
(つまない今を終わらせ、面白可笑しい時を始める。悲しみを捨て、歓びを抱く。そんなとんとん拍子に全てが行く筈も無いのは解っている。けれど、春は、そんな、止まったものを動かし始めて、流れを作り、流れの中で生まれる物がきっとある。それを手にする事への期待が持てる時であるのと同時に、哀しみと苦しみに別れを告げ、全てを0に戻して1から始めようという気持ちが生まれる。たとえ、叶わずとも形にならずとも、ただ、想い想える事が良い。願望という裏に絶望が隠れているのは解っている。それが来るが再び冬だという事も解っている。希望と絶望はめぐりめぐってやってくるもので、その2つを引き離す事は出来ない。問題は、希望を受け入れることよりも絶望をいかに受け入れられるか?という事。絶望に強くなる心を手にする事。それが次にやって来る冬までに手にしなくてはならないものだから)
 
 彼に問い掛けたを与えた、白梅の木にまた1つ小さな花が咲いた。
 小さな1つ1つが咲いていって満たされて、そして枯れ行くまでに、春は必ずやって来る。あとどれくらいだろう?来ると言ってもすぐに来ないから、待ち焦がれる。
 春を待つ、その訳は?(完)


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