2004年の篠原美也子のセルフカバーアルバム“everything is passing”から、1993年のナンバー、『風のかたち』を、聴いてみる。
風、は、流行りであり、どこにもあふれる受け入れられない、認知されて、受け入れられる多数。それを受け入れらず、肌にあわなくて、否定せざるを得ない想いは、巡りめぐった時の中、たった1人の誰にも受け入れられない、ろくでなしに、なった時の想いと現実が、重なった時、この歌のこのバージョンに、たどり着いた――気がした。
篠原美也子の1994年のナンバー、『河を渡る背中』を、2004年のセルフカバーアルバム“everything is passing”から、聴いてみる。
この歌も、今週、どこかで、不意に脳内で流れた(セルフカバーミックスでは、なかったが)。ああ、あったなあ、と同時に、また、此岸に取り残され、対岸には、行けないな、とため息をついたのを、覚えてる。
篠原美也子の2010年のナンバー、“Wind with Wind”を、2010年のアルバム『バード・アローン』から、聴いてみる。
今は、すっかり、誰かと共に、より、誰にも理解されない、誰かを理解も出来ないのなら、このまま、ただ行く、と言う、単なると想い、で、1人行く。それでも、風と翼は、そこに、あるだろうか?