

篠原美也子の1998年のシングル、『ガラスの靴』を聴いてみる。
夏の夜のシンデレラの落としたガラスの靴。私は、海に投げ捨てるだろう。2度と会えぬことのない履いた靴なんぞ、もっていたくはない。

篠原美也子のシングル“Always”・『風の背中』(1997年)より、『風の背中』を聴いてみる。
夏の風に吹かれて進む、誰かの背中にも手は届かないが、消えていく姿は、きっとかっこいいだろう。

篠原美也子の2004年のセルフカバーアルバム“everything is passing”より、“Good Friend”を聴いている。
もうひとりの自分がいて、その自分が本当に、私を常に理解してくれて、受け入れてくれたのなら――

篠原美也子2004年のセルフカバーアルバム“Everything is passing”より、“Time is ripe”を聴いてみる。
時は、何時だって、今しかないけれど、望むべく今は、来ない。

1998年の篠原美也子のアルバム“magnolia”より、『淋しいのは』を聴いてみる。
1998年から20年経った今、淋しくないと言えば、嘘で。そして、切りに切ってひとり。それで良い、と思っても、溢れる想いはある。

篠原美也子『カーラジオ』を、2017年のアルバム“Lighthouse Keeper”から、聴いてみる。ガラクタみたいな歌でも、良いと思えたら、それで、良いじゃない。

篠原美也子の2003年のセルフカバーアルバム“SPIRAL”より、『ひとり』を聴いてみる。
夏の夜の深い黒さに、身を任せて。
この想いは、誰にも届かない――故に、ひとり。それで、いい。それで、いい。

篠原美也子“HELPLESS”を、2010年のアルバム『バード・アローン』から、聴いてみるどうしょうもない――世間の目は、いつだってそんなものである。そうなるまえに、手を差し伸ばす、そんな教科書チックや自分の都合の良い様には、いかない。

篠原美也子『誰の様でもなく』のアルバム『満たされた月』(1993年)収録の“Album Version”で、聴いてみる。
誰の様でもなく、それが、どうにもならない、今のろくでもない私を産んだ――そう思う夜に、ピックアップ。