何故にこんな空を撮影したのか記憶には無い。曇りがちな空模様が続いたからだったのか何なのか理由ははっきりしないが、日曜深夜夜話の数合わせとして紹介。なんつう話だ…。
価値観を巡る話で始める日曜深夜夜話。果たしてうまく書けるだろうか?
私は、自分の価値観が否定されるのが1番嫌いである。自分の生きて来た全てを否定される気がしてならないからである。
思えば、社会に出る前での約20年の間は価値観が異なっても許されはした。無論、そこには「孤立」という代償を伴うがそれでも何とかなった様に思う。 「孤立」という代償をまざまざと感じたのは今から16年前からの6年間。それが必然的に後々作用して、また同じ様な道を繰り返す事になっているのは言うまでもなく、世の中のせちがらさをまざまざと感じさせられる結果になっている。
1つの共同体と言われる集団の中で、「価値観の共通化」は必須条件であり、その事が「まとまり」を呼ぶようであるのは、言葉にしなくても体感的に解るものらしい。
その「価値観」に自分の価値観が等しければ何の問題も無いのだが、違う時に問題が起こるのは言うまでもない。
人はどうやって、自分とは異なる価値観を調整するのか気になる所であが、「流され染まる」というのが答えとしてあると言う。こんな危険な話は無いと思うが、「共同体」という1つの「集まり組織」においては、「基本」と呼ばれる様である。
考えてみると、私は、過去16年前からの6年間場所は違えど過ごした共同体の中で、何時しか芽生えた、空気の様に掴めない「価値観」を否定した訳は、「同じになりたくない」という想いだった。殊に、13年前からの3年の間は、「流されたら、駄目になる」という畏怖感があったからである。
しかしその「同じになりたくはない」事に必要なのは「同じになれる」という「基礎」があってこそである事は考えもつかなかった話である。
価値観の共有が出来てこそ共同体は成り立ち、また世の中は共同体の集まりであり、価値観の共有化は必須になっているが、どの様にしたら価値観は共有出来るのか?価値観の共有は「協調」の1つだとも思うが、私にはそのやり方が解らない。
20歳も過ぎて今更こんな話をしている時点で何だか自分1人、年齢だけが大人で実体はそれに応じていないのは自明の話。
「自分の価値観を守る」イコール「自尊心の高さ」とされてしまうのもどうも嫌だが、共同体においては「自分の価値観を捨てて染まれ」は絶対という狭間に陥るのも困り果てた話である。
この世の中、自分だけの価値観を持ってならない、という暗黙の掟でもあるのだろうか?
本来こんな話は気づいてはならない話でもあるが、一度始まった気づいた、考え出した走り出した物は止まれない、変われない。
私は、自分の価値観が否定されるのが1番嫌いである。自分の生きて来た全てを否定される気がしてならないからである。
思えば、社会に出る前での約20年の間は価値観が異なっても許されはした。無論、そこには「孤立」という代償を伴うがそれでも何とかなった様に思う。 「孤立」という代償をまざまざと感じたのは今から16年前からの6年間。それが必然的に後々作用して、また同じ様な道を繰り返す事になっているのは言うまでもなく、世の中のせちがらさをまざまざと感じさせられる結果になっている。
1つの共同体と言われる集団の中で、「価値観の共通化」は必須条件であり、その事が「まとまり」を呼ぶようであるのは、言葉にしなくても体感的に解るものらしい。
その「価値観」に自分の価値観が等しければ何の問題も無いのだが、違う時に問題が起こるのは言うまでもない。
人はどうやって、自分とは異なる価値観を調整するのか気になる所であが、「流され染まる」というのが答えとしてあると言う。こんな危険な話は無いと思うが、「共同体」という1つの「集まり組織」においては、「基本」と呼ばれる様である。
考えてみると、私は、過去16年前からの6年間場所は違えど過ごした共同体の中で、何時しか芽生えた、空気の様に掴めない「価値観」を否定した訳は、「同じになりたくない」という想いだった。殊に、13年前からの3年の間は、「流されたら、駄目になる」という畏怖感があったからである。
しかしその「同じになりたくはない」事に必要なのは「同じになれる」という「基礎」があってこそである事は考えもつかなかった話である。
価値観の共有が出来てこそ共同体は成り立ち、また世の中は共同体の集まりであり、価値観の共有化は必須になっているが、どの様にしたら価値観は共有出来るのか?価値観の共有は「協調」の1つだとも思うが、私にはそのやり方が解らない。
20歳も過ぎて今更こんな話をしている時点で何だか自分1人、年齢だけが大人で実体はそれに応じていないのは自明の話。
「自分の価値観を守る」イコール「自尊心の高さ」とされてしまうのもどうも嫌だが、共同体においては「自分の価値観を捨てて染まれ」は絶対という狭間に陥るのも困り果てた話である。
この世の中、自分だけの価値観を持ってならない、という暗黙の掟でもあるのだろうか?
本来こんな話は気づいてはならない話でもあるが、一度始まった気づいた、考え出した走り出した物は止まれない、変われない。
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