ヘタレソツネラ金矢ヲタ兼イ為放送作家急行特急TH「続きまして、‘‘こんばんは1776H特急三崎口行き行き,,のコーナーです。今朝は1719編成で運転されています。それでは明日もあなたに私に幸運があらんことを…」
ヘタレソツネラ金矢ヲタ兼イ為放送作家急行特急TH「それでは、‘‘おはよう777H特急押上行き,,のコーナーです。今朝は1724編成で運転されています。インバータの車両が8連固定車の基本となりつつある京急です。4連固定車以外は基本がインバータですが、8連車は無機質なインバータという感じです。では今週も今日もあなたに私に幸運があらんことを」
涼風鈴子「みっなさーん、おはようございますぅ~。今日は、何曜日?そー、月曜日~。ということは、ブル~マ~ンデ~。憂鬱ですねぇ、憂鬱ですねぇ~。しかも曇り空ですよ曇り空。嫌ですねぇ嫌ですねぇ。そういう本人は嬉しそうですねぇ毎週毎週という声が寄せられていますが、あたしはあくまでも台本読んでるだけなんですねぇ。この脚本書いたのはアドバイザーイドワイザーですので、ご心配無く。10月に入ってから5日目。これからが今日1日が長い。月曜日は長いですよねぇ~、憂鬱ですけどねぇ~。くたばれブルーマンデー!!殴りつけるぞこんちくしょー(殴の効果音が入る)ですねぇ。朝から穏やかではないですが、今週も始まってしまいましたので、ダラダラと先ずは今日の動き・今週の動きやります。中身はありませんが汗。10月5日の今日は---」
このブログで出て来る「7」という数字よりたまたま見かけた相模神奈交バス町田委託第77号車の車番だけをアップ。
お馴染み、777H特急押上行きも77H表示ということで繋がりがあり、今回の急行特急TH発日曜深夜夜話も7話目を迎えた合わせて狙って掲載。自己満足の極み?である。
お馴染み、777H特急押上行きも77H表示ということで繋がりがあり、今回の急行特急TH発日曜深夜夜話も7話目を迎えた合わせて狙って掲載。自己満足の極み?である。
かなりの暴言になるのは承知の上だが、書いてみたい。
昨今、私を取り巻く周囲の環境での関心事は、表題の通りな傾向が強い。
ある人に、この話をちらりとしてみたが、それがどうも「一般的な物」とされているという回答が出てきて、減なりという所である。
価値観の相違は人間である以上、様々であり、これに正解不正解は無いと私は信じたいが、どうもこれらの関心事にはまらないと、異端扱いされる傾向が多分にある。先ず話が合わないのは言うまでもない。
私は、そのどれもにあまり多くの関心はなく、「だから何ですかぁ?」程度な所為か、異端者扱いになった経験者である。つまり、電車だアニメだというのは、「異端」という目で観られる傾向に強く、否定の対象にもなりやすい。だから何ですか?と開き直り続けるのはなかなか辛い話である。故に私も自然に「目には目を刃には刃を」的に、否定的な目でそれらばかりに目が行く事を観ざるを得ない。
世の中、「当たり障りの無さ」が求められている様に、何を根拠に?と言われても困るのだが、私の個人的な経験上の想い込みもあってそう思うのだが、表題に挙げた、
「金(ギャンブル)、女・男、車、スポーツ」
というのは、多く大衆の中で浸透しているものであり、受け入れ易い対象としてそれらはあるのだろう。故に当たり障りもなく、健全さもそこにはあるのだろう。
何時かに、私は体育会系的人間が、上下巻関係ピラミッド型社会で下者を見下し、弱者を切り捨てるやり方や欲望のままにあまりに忠実過ぎる所を理由に、嫌いだという話をしたが、これは「スポーツ」に関心ありという共通する所があり、受け入れ易い面があるようだ。しかしながら、その裏面は明かされて明かされないままである。
こんな話、声を大にした所で何かが変わるわけでは当然無いのだが、変わってくれたら良いなぁ…という想いはそこにある。
価値観は多様な筈が画一化されつつある。もっともその方が、統制や規律を図る上では重要だと思うが、容認するという「寛大さ」は必要ではないかと私は思う。
とはいえ、それは夢のまた夢の話であり、これからも「価値観の否定のしあい」は続くであろう。
昨今、私を取り巻く周囲の環境での関心事は、表題の通りな傾向が強い。
ある人に、この話をちらりとしてみたが、それがどうも「一般的な物」とされているという回答が出てきて、減なりという所である。
価値観の相違は人間である以上、様々であり、これに正解不正解は無いと私は信じたいが、どうもこれらの関心事にはまらないと、異端扱いされる傾向が多分にある。先ず話が合わないのは言うまでもない。
私は、そのどれもにあまり多くの関心はなく、「だから何ですかぁ?」程度な所為か、異端者扱いになった経験者である。つまり、電車だアニメだというのは、「異端」という目で観られる傾向に強く、否定の対象にもなりやすい。だから何ですか?と開き直り続けるのはなかなか辛い話である。故に私も自然に「目には目を刃には刃を」的に、否定的な目でそれらばかりに目が行く事を観ざるを得ない。
世の中、「当たり障りの無さ」が求められている様に、何を根拠に?と言われても困るのだが、私の個人的な経験上の想い込みもあってそう思うのだが、表題に挙げた、
「金(ギャンブル)、女・男、車、スポーツ」
というのは、多く大衆の中で浸透しているものであり、受け入れ易い対象としてそれらはあるのだろう。故に当たり障りもなく、健全さもそこにはあるのだろう。
何時かに、私は体育会系的人間が、上下巻関係ピラミッド型社会で下者を見下し、弱者を切り捨てるやり方や欲望のままにあまりに忠実過ぎる所を理由に、嫌いだという話をしたが、これは「スポーツ」に関心ありという共通する所があり、受け入れ易い面があるようだ。しかしながら、その裏面は明かされて明かされないままである。
こんな話、声を大にした所で何かが変わるわけでは当然無いのだが、変わってくれたら良いなぁ…という想いはそこにある。
価値観は多様な筈が画一化されつつある。もっともその方が、統制や規律を図る上では重要だと思うが、容認するという「寛大さ」は必要ではないかと私は思う。
とはいえ、それは夢のまた夢の話であり、これからも「価値観の否定のしあい」は続くであろう。
撮影したのは先週9月28日である。
この視線、
「何だお前、うせろよ!」
と言わんばかりな感じがする、近所のトレインハートネットである。毎日会いたくなくてもあってしまうクロネコ様。不幸の象徴…でも彼等に罪はない。
この視線、
「何だお前、うせろよ!」
と言わんばかりな感じがする、近所のトレインハートネットである。毎日会いたくなくてもあってしまうクロネコ様。不幸の象徴…でも彼等に罪はない。
この夢を見たのは先週9月28日の事である。何が原因なのかは解らないが中身は、穏やかではなかった。
その夢の筋書は、母親が実の娘を殺害するものであった。私は、その殺害された娘の兄役として、夢の中で役を演じていた。
母親は、娘の首を絞めて殺害する話で私は物凄く話の中で困惑と動揺をしていた。一体何故、母親が娘を殺害したのか動機まではその筋書の中では明かになっていなかった。
後にその話に登場する父親は、娘が殺害された事実を知って、不快感を顔には出していたものの、冷静に事実を確かめている設定だった。
こんな夢を見て目覚めると流石に、気分は最悪で、ふざけんな、という想いで溢れた。今までそんな人が殺される等と言う夢は観た事がなかったので、余計であった。
月曜日の朝を迎えるにはおあつらえ向きといえばそうかも知れないが、あまりにも酷い夢であった。
世の中物騒であるとは申せ、せめて眠りの時だけは、穏やかであってほしい物である。
その夢の筋書は、母親が実の娘を殺害するものであった。私は、その殺害された娘の兄役として、夢の中で役を演じていた。
母親は、娘の首を絞めて殺害する話で私は物凄く話の中で困惑と動揺をしていた。一体何故、母親が娘を殺害したのか動機まではその筋書の中では明かになっていなかった。
後にその話に登場する父親は、娘が殺害された事実を知って、不快感を顔には出していたものの、冷静に事実を確かめている設定だった。
こんな夢を見て目覚めると流石に、気分は最悪で、ふざけんな、という想いで溢れた。今までそんな人が殺される等と言う夢は観た事がなかったので、余計であった。
月曜日の朝を迎えるにはおあつらえ向きといえばそうかも知れないが、あまりにも酷い夢であった。
世の中物騒であるとは申せ、せめて眠りの時だけは、穏やかであってほしい物である。
秋の気配の象徴、柿である。良い感じに色づいて居るが食べることが出来ない渋柿。焼酎につける等の措置をとらなければ人間様には食せない。
桃・栗3年、柿8年。柿が実がなるまで1番時間がかかるのが何だか不思議な話である。それで8年経って実がなっても渋いのでは洒落に成らない。
柿は渋いのが基本という話をどこかで聞いたことがあり、甘柿は品種改良の結果に出来たみたいな話も聞いたことがあるが、秋の自然の実りの1シーンだけ引っ張り出してみた。
桃・栗3年、柿8年。柿が実がなるまで1番時間がかかるのが何だか不思議な話である。それで8年経って実がなっても渋いのでは洒落に成らない。
柿は渋いのが基本という話をどこかで聞いたことがあり、甘柿は品種改良の結果に出来たみたいな話も聞いたことがあるが、秋の自然の実りの1シーンだけ引っ張り出してみた。
「明日にはまた欠けて行くのに、満たされた事も忘れて」
(篠原美也子『満月』-1993年-より引用)
満ち欠けは、好むと好まざるとに関わらず繰り返されて行くもの。それは誰にも止められないものであり、きっと自らもそれを止める事は出来ない。
恐れる事も怯む事も無いままに見下ろす月は、起こり得る全てを受け入れているようだ。何も言わずにただじっと成り行きを見ながら…。
(篠原美也子『満月』-1993年-より引用)
満ち欠けは、好むと好まざるとに関わらず繰り返されて行くもの。それは誰にも止められないものであり、きっと自らもそれを止める事は出来ない。
恐れる事も怯む事も無いままに見下ろす月は、起こり得る全てを受け入れているようだ。何も言わずにただじっと成り行きを見ながら…。