母は78歳、持病もありますがグランドゴルフ、友達とお茶飲みなど・・一人暮らしをエンジョイしていました。入院する当日の午前中もグランドゴルフを楽しみ友達とはしゃいでいたそうです。
夕方腹痛のために自力で病院へ行きそのまま入院。
我慢強い母が自分で病院に行った位なのでよほど痛かったのだと思います。
この時点ではいつもの便秘による腹痛だと家族も母自身も思っておりかなり楽観的
入院して4日後、明日が詳しい検査日という日に強い腹痛が母を襲いそのまま深夜の緊急手術。
腸に出来た穴から漏れた便を取り除き、敗血症、口から肺へ人工呼吸器、透析、輸血、多数の点滴、そして人工肛門まで。。
医師曰く「便秘を甘く考えてはダメです」
私が鹿児島にいる間は薬で眠らされておりました(意識があると人工呼吸器はとても辛いのだそうです)
延命治療ではなく回復のための治療です、が母が目を覚ました時自分自身の変わりように「なぜ死なせてくれなかったの?」と思うのではないかな・・とふと考えます。
何より子供に迷惑をかけない事を一番に思っていた母ですので。
一時は生死の境目にいた母の回復力を見て医師が「強いお母さんですね」と一言。
今は機械に生かされている母を見て「生きる事も死ぬ事も辛く難儀だなぁ」デス。
父が逝き、母まで逝ってしまうと無条件に私の事を心配してくれる人がいなくなる・・と思って悲しかったです
「孝行したい時分に親はなし」の言葉がよ~く解りました(・・てか遅すぎる)
母が元気になったら親孝行しよっと。電話するだけなんですけどね
退院はまだまだ先の事になりますが退院後は姉が同居する事になりました。
「透析をしつつ、人工肛門の義母さんを一人暮らしをさせる訳にはいかない」と同居を快くOKしてくれた義兄に感謝感謝
帰省中は姉宅に寝泊まりしていました。1,2日は遠慮もありましたが徐々にずうずうしくなりすっかりリラックス
国の規定で月に2回までしか使えない高価な医療機器や毎日長時間かけてする透析。。
普通なら治療費は目玉が飛び出るほどの金額なんでしょう、たぶん。
それが年金生活者という事で自己負担する治療費は「へっ、うそっ??自宅にいるより安いじゃん」
健康保険制度に感謝
夕方腹痛のために自力で病院へ行きそのまま入院。
我慢強い母が自分で病院に行った位なのでよほど痛かったのだと思います。
この時点ではいつもの便秘による腹痛だと家族も母自身も思っておりかなり楽観的
入院して4日後、明日が詳しい検査日という日に強い腹痛が母を襲いそのまま深夜の緊急手術。
腸に出来た穴から漏れた便を取り除き、敗血症、口から肺へ人工呼吸器、透析、輸血、多数の点滴、そして人工肛門まで。。
医師曰く「便秘を甘く考えてはダメです」
私が鹿児島にいる間は薬で眠らされておりました(意識があると人工呼吸器はとても辛いのだそうです)
延命治療ではなく回復のための治療です、が母が目を覚ました時自分自身の変わりように「なぜ死なせてくれなかったの?」と思うのではないかな・・とふと考えます。
何より子供に迷惑をかけない事を一番に思っていた母ですので。
一時は生死の境目にいた母の回復力を見て医師が「強いお母さんですね」と一言。
今は機械に生かされている母を見て「生きる事も死ぬ事も辛く難儀だなぁ」デス。
父が逝き、母まで逝ってしまうと無条件に私の事を心配してくれる人がいなくなる・・と思って悲しかったです
「孝行したい時分に親はなし」の言葉がよ~く解りました(・・てか遅すぎる)
母が元気になったら親孝行しよっと。電話するだけなんですけどね
退院はまだまだ先の事になりますが退院後は姉が同居する事になりました。
「透析をしつつ、人工肛門の義母さんを一人暮らしをさせる訳にはいかない」と同居を快くOKしてくれた義兄に感謝感謝
帰省中は姉宅に寝泊まりしていました。1,2日は遠慮もありましたが徐々にずうずうしくなりすっかりリラックス
国の規定で月に2回までしか使えない高価な医療機器や毎日長時間かけてする透析。。
普通なら治療費は目玉が飛び出るほどの金額なんでしょう、たぶん。
それが年金生活者という事で自己負担する治療費は「へっ、うそっ??自宅にいるより安いじゃん」
健康保険制度に感謝
私は高齢の母親を、介護、看病していますが、毎日とても大変です。
お姉様に看てもらえ、帰って来られるやまぶきさんが羨ましいです。
大きな手術されたお母様今は少しは安定になれたんでしょうか
気丈なお母様なら治りも早いかもね、
やまぶきさんも気疲れしないようにね。
生死の境目をさまよった母が峠を越えたので看病の時も姉妹で冗談など言っておりました。
母が元気になったら「葬儀の相談していたんだよ」って驚かせてやろうなんて。
当分は病院生活が続くと思われ、介護の大変さがピンとこないのも現実です。
退院したら私も出来る限り母の世話をしたいと思います。
ただ母が昔から世話になるのは地元の姉の近くが良い、と言っていたらしいです。
友人もいない遠い我が家に来るの母が逆に可哀想です。
コメントありがとうございます。
umiさんへ
先生が感心するほどの回復力です。
朝10時に自宅を出て飛行機、バスと病院に着いたのは夕方5時でした。
まめに帰る事の出来ない距離なので看病は姉妹に任せてます。
ホントに感謝です。
大変な痛みだったのでしょうね。
それでも退院後はお姉さまが同居してくださるんですね。
お母様もですが、やまぶきさんも心強いですね。
姉妹とは毎日メールか電話のやり取りをしてます。
母の事以外でもいろいろありまして