やさしい芸術論

冬が来たなら、春はそう遠くない

金子みすゞさんの恐るべき観察眼

2024年08月25日 | 金子みすゞ

金子みすゞさんの詩について語ろうと思います。

『雀のかあさん』  金子みすゞ

子供が

子雀

つかまへた。

 

その子の

かあさん

笑つてた。

 

雀の

かあさん

それみてた。

 

お屋根で

鳴かずに

それ見てた。

 

大多数の人間は、主観で物事を見ます。

喜怒哀楽にしても、

自分が嬉しい、自分が悲しいという様に

"自分のこと"のみの視点となります。

 

一歩進んで、

目の前の人はどう思うか、

他人の目線になって物事を考える、

客観的な視点もあります。

 

さらに一歩進むと、

これは自分でも、相手の視点でも無い。

全体的に、物事をありのまま見る

俯瞰という視点があります。

 

人間の子供と母親が

嬉しそうに子雀を捕まえている様を

親の雀は見ていて、

その全体の悲哀というか、矛盾、理不尽な様を、

金子みすゞさんは俯瞰で見ている訳ですね。

 

雀はどんな気持ちだったでしょうか?

我が子が人間に捕まっている。

必死で鳴いて助けに行きたいけれども、

己の無力を知ってか、

これがこの世の常と諦めてか、

鳴かずに見ている。

 

その気持ちに寄り添える心が優しさであり、

金子みすゞさんの

恐ろしいまでの観察眼でもって

その哀愁をそのままに伝えています。

 

人間の親子と雀の親子の対句。

笑いと悲しみの対句。

何よりも、

『見てた』の三文字の中に

どれほどの想いが込められているのだろう。。。

 

心揺さぶられる詩でした。

 

 

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