地図のいろいろ

半世紀も地図作りに携わっていましたので、この辺で振り返って地図を見直してみようかな~・・・。

五千分一東京図測量原図

2008-02-12 12:17:24 | Weblog
地図表現は進歩したといえるのだろうか。
明治16年の「五千分一東京図測量原図」を見て、その美しさ、内容の豊富さに驚嘆するのですが・・・

ところが、この美しいカラフルな地図は一度も刊行されないままお蔵入りになっていたのです。皇居を中心に半径約8kmの範囲を36面作っていたのですが・・・
それは、軍内部の体制変革によることで、始めこのフランス式(清彩図式)の多彩な地図作りから始まったのですが、ドイツの軍制を採用ることから、地図もドイツ式の一色線号図式(ボカシのない墨1色の線画)に変わって刊行されました。(明日、取り上げます)
彩色原図はお蔵入りになったわけです。もったいない話です・・・

この東京図は、明治9年測量が開始されましたが、明治10年に起った西南の役で中断され、測量半ばで、製図するまでに至らなかったようです。
しかし、明治14年に測量が再開され、華麗な清彩図式で測量原図が作成されました。
当時、西南戦争の経験から、地図が如何に大切かを痛感し、迅速2万分1図に取り掛かりましたが、併せてこの1:5,000図を製作再開したその真意は、やはり一抹の政情不安による新政府の本営たる東京市街の内戦用市街図が必要とされたのではないでしょうか。
コンターは勿論、上水道、井戸、一軒一軒の家屋描写(木工・瑞工の別)、また、軍事施設の描写等、市街戦におけるあらゆる要素を刻明に描写していることでもうなづけます。
なお、ドイツ式地図では空白になっている皇居内も、この原図においては刻明に描かれており、終戦までタブーであった皇居内を知りうる唯一の資料でもあります。