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「慶長・元和大津波 奥州相馬戦記」 近衛龍春

2013-03-26 19:09:44 | レヴュー 読書感想文

相馬といえば、野馬追いである。
残念ながら僕はまだ、その雄姿をこの目で眺める機会を得ていない。
知り合いのおじさんの取引先に、福島県相馬市に籍をもつ会社がある。
この会社、野馬追いの時は休業となる。それだけ、祭事に参じる社員が多いのだ。
そこの担当営業マンは無口で、おじさんはどこか物足りなく感じていたそうだ。
ところがある夏、野馬追いを取り上げたTVニュースを見ていると、その社員が騎手の身なりで画面に現れ、堂々とインタビューに応じていて驚いたらしい。
まるで、だんじりの時の岸和田の町のように、野馬追いが地域の人々に支えられ、誇りとなっていると感じたという。

当地の旧主・相馬氏は、平将門の血流をくむ名家であり、鎌倉時代に領主となって以来、明治維新を迎えるまで700年以上に渡ってこの地の当主であり続けた。
たとえば、鎌倉時代から明治まで、同じ土地の主でいられた大名はわずかで、ほかの島津や伊東、松浦、宗などはほとんどが遠隔地の九州である。
東日本では相馬氏と南部氏くらいなものか。(記憶に頼っているので不明瞭ながら)
それとしても、諸大名に国替えや天下普請を命じて蓄財を削らせることを常とし、口実を見つけては改易の機会を窺っていた徳川幕府の政策を考えれば、稀有のものとしか思えない。
しかも、相馬氏は外様なのである。まさか、将門の祟りを恐れて国替えをしなかったなどというわけではなく、相馬氏という家が幕府から信用を得ていた証拠であろう。
それは、幕府側の好意によるものというよりは、伊達家に対する、飼いならした番犬のような存在だったのではないかとも思っているのだが。


さて、この話。
当主の器量しだいで領地の切り取りを繰り返した戦国時代を生きた、相馬義胤の一代記。
とにかくよく調べ上げている印象が強い。
激動の戦国から徳川の世になるまで家を守り抜き、その間、二度の津波から再生する。
江戸時代のはじめ、先日の津波に匹敵するほどの災害が、この相馬の地に降りかかっている。
3年前なら、誰しも昔話としてしか聞き入れることのなかった話が、現実感を帯びて、この小説の中にある。
津波にのまれた米作地を復旧するのに12年を要したという事実に感じ入った。
必死に抗う相馬家は、どこか、戦後復興を成し遂げたオーナー企業が、バブル後の荒波を渡り歩く姿にも似ていた。
しかし、その事実を伝えることに熱心なあまり、人物を詰め込みすぎて、一人一人の造詣が散漫になっているのが残念。
平たく言えば、つまらない。なるほど、とは思うが、ワクワクしてこない。
たとえば、伊達政宗が隣国の脅威としてたびたび登場し、南奥州の平穏を乱す梟雄として描かれている。
政宗に対する僕の印象もそのとおりで、そのしれっとしたふてぶてしさと、あからさまな野心家ぶりが、どうも好きになれない。
つい先日も、茨城県の民家から政宗直筆の古文書が発見されたが、その内容は佐竹氏配下の小野崎昭通に当てた寝返りを促す密書だった。
敵方の切り崩しは戦国の常とはいえ、政宗のものとなると、どうもダーティーなイメージがぬぐえない。それを僕個人の偏見といわれても構いはしない。
そんな好き嫌いをさておいても、政宗本人が超一級のキャラには違いない。
しかし、せっかくそんな政宗に伍して領土争いをする相馬当主の話なのに、この小説では政宗個人の登場が少なくて物足りなく思うのだ。
家臣一人一人に関わって物語を進行するよりも、もっと政宗とのやりとりにこだわって描いたほうが、小田原攻めや関が原の時の相馬家の立場がわかりやすかったのではないかと思う。

まあ、それはあくまで僕個人の嗜好か。
ということで、満足度は4★★★★

慶長・元和大津波 奥州相馬戦記
近衛 龍春
毎日新聞社


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