ネット上の記事は、玉石混淆。
どのサイトと出遭うかは、当人の努力と運もありそうです。
これから紹介するサイトは、私からのお勧めサイトです。
http://www.47news.jp/47topics/e/226577.php
連載コラム 原発の不都合な真実
この記事を書いているのは、共同通信編集委員の井田徹治さん。
科学記者の井田さんが、福島第一原発事故後の1年を生きて、一市民として一記者として真実の言葉を発しています。
思い出して下さい。
原発事故後、数ヶ月、所謂原発ムラ関係の御用学者がTVに出演して、「原発事故が大事にはならないこと」を延々と説明していました。
いま、考えると、本当に非道い状態でしたね。
その時も、ウソっぽい感じは持ちましたし、説明を信じてはいませんでしたが、何せ原発素人の我々国民にはいかんともできませんでした。
TV・新聞等の関係者の責任は、本当に問題有りです。
「大本営発表体質」の日本のマスコミは、本当にいけませんね。
井田さんは、この記事で、原発の危険性を指摘してきた市民科学者の声に耳を傾けない日本の現実を紹介しています。
真実を発信する市民科学者を大事にする日本の文化を作ること。
市民科学者が生まれ育つ環境を整えることを主張している井田さんの記事に、私は拍手を送りたいと思います。
昨日出かけた、さいたま市のお寺で、同朋新聞をいただきました。
掲載の、作家の高橋源一郎さんのインタビュー記事が面白かったです。
高橋源一郎さんの言葉。
一番大切なことは、
この世界はどうなっているのか
ということを自分の中から
考えていくことではないかと思う。
「自分のなかから 考えていく…」とは、凡夫道を歩むということでしょうか!
里村専精先生の、
仏教は 人間学 (凡夫学)
仏道は 人間道 (凡夫道)
と重ねて、味わっています。
また、私が教えていただいたカウンセリングは、凡夫学・凡夫道でした。
「クライエントは、生涯学習者」と教えてもらいました。
「生涯学習者」とは、『教行信証』の最後にある、
「真言を採り集めて、往益を助修せしむ。
いかんとなれば、前に生れんものは後を導き、後に生れんひとは前を訪へ、
連続無窮にして、願はくは休止せざらしめんと欲す。
無辺の生死海を尽さんがためのゆゑなり」
のイメージと重なります。
これからも、頭をぶつけながら歩んでいこうと思っているところです。
先程のTVニュースで、ドイツ・フランス・アメリカ・韓国での反原発、脱原発の市民運動の様子が放映されました。
我が日本国でも、各地で反原発・脱原発の市民行動がありました。
福島・郡山市の郡山開成山球場の「原発はいらない!3・11福島県民大会」には、1万6千人の方が集まったそうです。
高校2年生の、鈴木美穂さんがスピーチをしました。
鈴木美穂さんのスピーチ
「原発がなければ、被害に遭った人を助けにいけました。人の命も守れないのに、電力・経済とかと言っている場合ではないはずです」
日本国の新聞&TVは、あまりデモの報道を控えている感じがします。
今朝読んだ毎日新聞・朝日新聞には、小さいスペースでしたが記事が見られましたが、Y新聞は記事がありませんでした。
Y新聞は、原発賛成派のようです。
東日本大震災一周年の追悼式が各地で行われました。
私は、以前から友人のMさんに誘われていた、さいたま市のお寺に出かけました。
Mさんとご住職とが大学の頃からの友だちでとのことで、紹介して下さったのです。
一日、『正信偈』について教えていただきました。
14時46分、ご住職を中心にしてご参加の皆さまとともに、犠牲者に追悼の黙祷&お念仏に参加させていただきました。
懇談の時間は、お知り合いが末期ガンで最後の治療・看護に関わられている方、我が子を自死で亡くされたお父さん、ご主人をご病気で亡くされたご婦人の方々のお話を聞かせていただきました。
皆さん、言葉にならない深い悲しみを抱えながらご自身の人生を受け容れて、歩まれていました。
復興2年目のこの日に、皆さんとご一緒に人間&自然の「生死」について考えさせていただきました。
帰命尽十方無碍光如来 南無阿弥陀仏
本日午前、「3月の教育とカウンセリングコース」が終了しました。
本日の参加者は6名(男性3名 女性3名)でした。
『正法眼蔵随聞記』を全員で音読したあと、「井戸端」で盛り上がりました。
メンバーの佐藤さんが、私の【落穂拾い】で取り上げた細谷亮太さんの「大丈夫。」に触発され、お孫さんのエピソードを紹介してくれました。
佐藤さんのお孫さんは、2歳。
最近、単語から二語・三語とつながるようになりました。
ただし、お婆ちゃんの佐藤さんには“意味不明”ですが、佐藤さんのお嬢さんのママはしっかりと理解できます。
この頃、お孫さんは「だいじょうぶ。」「だいじょうぶ。」を連発するようになりました。
パパとママの会話、ママとお婆ちゃんの会話に、タイミングよく介入する由。
ある時は、お婆ちゃんとママの間が険悪な雰囲気の時、「だいじょうぶ。」「だいじょうぶ。」と介入してきて、二人は大笑い。
険悪な雰囲気も吹っ飛んでしまいました。
どうして、「だいじょうぶ。」を覚えたのか?
パパが、「だいじょうぶ。なんとかなさ…」といったゆったりタイプの方のようなんです。
佐藤さんは、お孫さんが成長したら次のように話そうと、いまから楽しみにしています。
「あなた(お孫さんが)赤ちゃんの頃、〈だいじょうぶ。〉〈だいじょうぶ。〉を連発していたのよ。パパもママもお婆ちゃんも、その言葉で随分とエネルギーをもらったのよ!」と。
素敵な家族ですよね。
「大丈夫!」