法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

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主宰者の《日乗》

文部科学大臣の選出について

2007年09月30日 22時15分37秒 | 日乗

先日のブログで書いたことだが、時津風部屋の力士リンチ死の件で、北の湖理事長が謝罪と指導を受けるために文科省に出向き渡海大臣との挨拶の図は、不思議な光景であった。
謝罪し指導受ける側の北の湖理事長に対し、指導する側の渡海大臣の方が低頭していた。どういうことだ。

話は変わるが、足立区の学力テストに関する不祥事にしても、沖縄戦での日本軍が住民に「集団自決」を強制した記述の教科書検定での削除にしても、全く理解できない。

この頃の、文部科学省をトップにした教育行政は、本当に問題が多すぎる。

教育は、国家100年の土台づくりであるのに、派閥の力学で文科大臣が決められたり、内閣が代わるたびに文科大臣が代わるようでは、本当の教育は実現しないであろう。

他の大臣はともかくとして、文部科学大臣は日本で一番の人材をあて、10年ぐらいは一人の大臣にやってもらいたいものである。

 

 

 

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9月の吟醸会

2007年09月29日 23時23分32秒 | 日乗

只今、9月の吟醸の会から帰宅しました。

本日のお酒は次の通りです。

「喜楽長 ひやおろし」 喜多酒造

「泰山北斗」 田中酒造

「正雪 備前雄町」 神沢川酒造

「勢起」 大澤酒造

「南部美人 ひやおろし」 南部美人

でした。

講評は、吟醸さんのホームページでご覧ください。

http://www2.ttcn.ne.jp/~ginjo/2007_3/2007_3.htm

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ちょっと、変ですよ・・・。

2007年09月28日 21時44分04秒 | 日乗
大相撲の時津風部屋の力士が急死した問題で、日本相撲協会の北の湖理事長が文部科学省から指導を受けた由。

テレビで、北の湖理事長と渡海文科大臣の対面の映像が流れていたが、指導を受け叱責される側の北の湖理事長より渡海文科大臣の方が最敬礼をしていた。

これでは、北の湖理事長のもとに渡海文科大臣が謝罪に訪れた図である。
これは、変だ。



相撲協会の記録では、1985年以降、急死の例が16人あり、最近10年では4人だそうだ。

ビール瓶殴るなど、以ての外である。

日本独自の柔道も国際化している時代、相撲も「国技」などといって縛りをしないで、世界に開かれたスポーツにしたほうが良いのではと思う。

横綱二人もモンゴル出身者であるわけで、そのほかにも大勢の外国人力士が活躍している。

「相撲」だけ、「国技」にする時代ではないように思う。
オリンピック種目に、「相撲」が登場するようになったら面白いと思う。

その時は、柔道・レスリングのような重量によるランクは導入しないで欲しいものだ。



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ヴァスバンドウ(世親)

2007年09月26日 22時38分05秒 | 日乗

只今、夜学から帰りました。

今晩は、ヴァスバンドウ(世親)についての導入の授業でした。

これまで、仏法については素人で、新聞に載るような流行の本は読んだことはありますが、専門的には勉強してことはありません。

4月から、夜学で専門的に色々教えていただいていますが、「大洋の一滴」の如く何も分かりません。でも、何も知らない世界にいる快感とでもいうのでしょうか、良い気分ではあります。

「私の一歩」。

それは、幼い「一歩」・拙い「一歩」ですが、自分の「一歩」を実感できるのは良いものです。

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六波羅蜜

2007年09月25日 23時26分57秒 | 日乗

夜学で、「六波羅蜜」を題名にした“詩”をいただいてきた。

ご存知のように、六波羅蜜とは、「布施 持戒 忍辱 精進 禅定 智慧」である。

詩は長くなるので、詩の題名だけを紹介しよう。

布施…あたたかに

持戒…大いなる約束

忍辱…ほほえみを

精進…ひたすら歩む

禅定…静かにおもう

智慧‥一つにとける

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2世・3世議員に思う。

2007年09月24日 15時54分03秒 | 日乗

テレビでは、自民党の三役人事の決定について、繰り返し放送されている。

明日、いよいよ、日本初の親子2代の内閣総理大臣が誕生する。
国会議員に2世・3世議員が多くなったので、当然予想されたことでもある。

話はとぶが、昨日の朝のテレビで、レーサーの鈴木亜久里 近藤真彦 片山右京が鼎対談していた。

その中で、「自分の息子をレーサーにしますか?」と問いに、鈴木、片山の答えが同じであった。
「子どもが、自分から進んでレーサーになりたいのであればいくらでも応援するが、いつも死が隣にあるような仕事なのですすめられない」と。

モータースポーツのことは何も知らないが、死を隣に感じながらレースに臨んでいる3人の話は魅力的であった。

 

で、国会議員の2世、3世の件に戻りますが、「政治は命がけの仕事」だと思うのですが、こんないに2世、3世議員が多くなるということは、「何かうま味があるのかなー?」と勘ぐってしまいそうです。

ある評論家が、ラジオで、小泉前首相が福田支持に回ったのも、息子に地盤を譲る布石とか・・・。 

国の政治が、世襲議員に多く占められるのには異議を申したい思いである。

 

ただ、そのような議員を選挙で選ぶ国民の意識が低いということにもなるが・・・。

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龍樹菩薩のことば

2007年09月23日 23時30分16秒 | 日乗

夜学のレポートを提出する必要に迫られて、このところ、『眞宗聖典』を読んでいる。

今日は、龍樹菩薩を索引を手がかりに読み進めた。

龍樹菩薩のことば。
龍樹菩薩、『十住毘婆沙論』(易行品6)にいはく、「もし人疾(ヒトト)く不退転地を得んと欲はば、恭敬(クギョウ)の心をもって、執持して名号を称すべし。もし人善根を種(ウ)えて、疑えばすなはち華開けず。信心清浄なるものは、華開けてすなはち仏を見たてまつる」と。

 

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幼稚園・運動会

2007年09月22日 22時53分46秒 | 日乗

今日は、9月から出かけている幼稚園の運動会であった。
真夏のような太陽が照りつける一日であった、幼稚園児は一生懸命、かけっこ・表現に取り組んでいた。

年少児は4歳であるが、炎天下ではあったが良くがんばっていました。

私としては、一昨年退職しているので、まさか幼稚園の運動会に参加するとは、思いもよらないことでした。

 

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くりのみ会

2007年09月21日 22時30分20秒 | 日乗

只今、【くりのみ会】から帰宅しました。

今晩は、「思量」「不思量」「非思量」について、教えていただきました。

『正法眼蔵・坐禅儀』の最後に次のような文章があります。
「兀兀と坐定して、思量箇不思量底なり、不思量底如何思量 これ非思量なり。これすなはち坐禅の法術なり。坐禅は習禅にはあらず、大安楽の法門なり、不染汚の修証なり」

私は、
「思量」…おもい量ること。比べること。
「不思量」…おもい量らないこと。比べないこと。
「非思量」…「思量」「不思量」をこえた世界。

と理解していたのだが、どうも違うらしい。

 

今日の学習で気づいたことは、自分の既修の知識を土台にして理解をしようとしている姿。
会員のMさんは、絵を描く人である。
Mさん曰く「既修の知識や技術に頼ると、絵は描けません。自分の身心のキャンバスを白紙にすることが大事です」と。

 

 

 

 

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【落穂拾い】について

2007年09月20日 23時50分14秒 | 日乗

【落穂拾い】を勧められたの、恩師・五十嵐正美先生です。

カウンセリングの学びで大事なことは、各自の“感性を磨く”ことにあり、その実現のための手だてとして、先生は【落穂拾い】を勧められました。

 

今夜の夜学で、道綽禅師の『安楽集』の中にある次の一文を教えていただいた。

『安楽集』にいはく、「真言を採り集めて、往益を助修せしむ。いかんとなれば、前にうまれんものは後を導き、後に生まれんひとは前を訪へ、連続無窮にして、願はくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海をつくさんがためゆえに」

親鸞聖人 『』教行信証・化身土文類(末)より。

 

親鸞聖人も、超・“落穂拾い”の人であったとつくづくと思う。

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