ウツウツ記

毎日の生活で感じたことを書いています。

「放蕩記」

2011-12-10 10:35:55 | 読書
村山由佳さんの「放蕩記」を読んだ。
新聞広告の「どうして私は、母を愛せないのだろう」の一文が胸にささり
その日のうちに本屋さんへ走って購入した。

一ページ目から愕然とした。
母親が放つ、本人は気の利いた冗談のつもりのセリフ。
いちいち目くじらをたてる会話ではない、と頭では十分理解しているのに
心がざわりと鮫肌になってゆく感触。
これは小説なんかではなく、私が育った家庭を誰かが覗き見して書いたのではないか?
ずっと関西弁を直そうとしない、そんなキャラを作り上げる人が母親として描かれているが
私の母も東北に住みながら、転勤で住んだ四国の言葉を時折覗かせては人の気を引いていた。
そんな瑣末なことまで同じだなんて。
それほどまでに、うちと似ていたのだ。

冗談好きで快活でお洒落で綺麗な母。
でもそれは自分大好きなナルシストの裏返しで
あくまでも自分が中心であり続けたい、母親には一番向かないタイプの人だったのだ。
躾という名の荒れ狂う感情が納まるまで延々と続く攻撃。
理想の母親ごっこは好きだけれど、自分が見たくない面はあくまでも否定し続ける子育て。
世間の流行や子どもの世界の微妙な付き合いも、全て自分の物差しで計り自分が仕切っていくデリカシーの無さ。
自分はいつも正しいことを正しく行動している、という絶対の自信。

この本の主人公の母はそんな人だった。
そしてそんな人は私の母親だった。

世間の誰もが「お母さん」を心の拠り所とし求める気持ちが
いつもわからなかった。
「お母さん」はそんなにいいものなのか?
叱られても、それでもなお求めたいほどいいものなのか?
世の中の絶対真理のように、「お母さん」は思われているけれど
それを求めない私はやっぱりどこか、おかしくて、ものすごく冷淡な人間なんだろう。
ずっとそう思って生きてきた。

本屋さんへ走ったくらい勢いづいて読んだ本なのに、
書かれている内容があまりに自分の体験と似ていて
途中で苦しくなって読めなくなってしまった。
私が意識して、また意識せずに封印していた体験や気持ちが
どんどん出てきてしまうからだ。
ちょっとした一文が、あぁ正に私はあの時こう感じ思っていたのだ、
とあまりに見事に言い当ててしまうからだ。
勿論同時に、その時の母親の口調も顔も振り上げられる手のひらも蘇る。
でも、読まなければ。読みたいのだ。
私はこれを読んで、追体験をして、自分の忘れていた感情も全て思い出したい。
何があり何が起こり、何をされてきたのか。
何故なら、それが今の私に繋がるからだ。
心を強くして読もう、と決めた。

私は何を思い出し、何に怯えているのか。
それを言い当てている箇所に付箋を貼りながら読み続けた。
付箋は49枚貼られた。
そうして、もう一度、次はメモを取りながら読んだ。

どれもが私の体験と似ていたが、
特に強く感じたのが、中・高生時代にお金が欲しかったという感情だ。
主人公はミッション系の私立に通っていた。
当然、周囲は裕福な友人が多くいる。
裕福とまではいかなくても、ある程度の環境の人が通う。
その学校に通うということは、教育理念だけではなく、
そういう人達と付き合っていくということも含まれている。
けれども、当然、母親にその理解はできない。
他所は他所、うちはうち。
あまりにかけ離れた金額の小遣いしか渡されない。
「できないことはできない、と言えばいいのだ」と言う。
それが出来る人がいるだろうか?
母自身だって出来るだろうか?
でもそれを当然として要求するのが、母親なのだ。
私も同じ環境だった。
私は幼稚園から中学まで続く国立の小学校に6年生の時に編入した。
親は殆どが医者や弁護士、大学教授に会社経営。
父が公務員の私は特に恵まれてはいなかったけれど、世間的には極、普通だったはずだ。
私の友人は派手な子は一人もいなかったが、
それでもそれなりの付き合いはあった。
例えば、中学の時。
クリスマス会に呼ばれた。
クラスの中でもいいな、と思っている男の子も参加しての、内輪のパーティーだった。
当然のこととして、プレゼント交換がある。
一人500円以内だった。
その、500円が私にはなかった。
付け加えれば、私には小遣いがなく、お年玉も誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントもなかった。
(母は熱心なクリスチャンだったが子どものプレゼントには興味がなかったのだ)
転勤族でどの親族からも離れて暮らす核家族で、お年玉をくれる人もいなかった。
母は「必要なものは全て与えた」と言うだろう。
それはあくまでも、母が必要と認めたもの、なのだけれど。
とにかく、この時、私には500円がなかった。
でもパーティーには参加したかった。
勇気をふるって母に言った。
当然の答えが返ってきた。「お金がなければ作ればいいじゃない」
・・・
仕方なく私はその時ちょうど新聞に載っていた工作記事を頼りに、工作用紙でサンタを作った。
惨めだった。
今なら自分にこう声をかける。
「どうせ惨めなんだから、無駄なことはやめなよ」
でも、その時は行きたい気持ちが勝ったのだ。
パーティーは楽しかった。
男子三人、女子三人。中学一年生。
いつもと違う私服の友人。
親もいない初めての空間。
最後のプレゼント交換までは、本当に楽しかった。
私のプレゼントは私に当たればいい、と願ったけれどそんな事が起きるはずもなく。
「誰だぁ?こんなのくれたヤツ!」
そんな男子の声が今でも聞こえる。
こんな場所に来るのではなかった、と強く後悔しても始まらなかった。
私は「そういうヤツ」というレッテルを貼られた。
帰宅して、母に苦情でも言えたら、言える関係だったらと思う。
でも当たり前だけれど、言えるような相手ではないのだ。
言ったら最後、もっと面倒くさい彼女の正義が降って来る。
日常の細々とした母親の面倒くささに付き合い、ひたすらに顔色を伺う生活は
それなりに上手くこなすことができた。
でも、思春期、まだお金を稼ぐ手段もない時期に
友人と付き合っていくのは本当に難しいことだった。
誰とも付き合わず、孤高の人で過ごすことは私には苦し過ぎたから
ごく普通のキャラで生きていこうとすると
それは本当に、いつも頭を悩ませた。

そもそも、とにかく相手の状況というのを理解できない人なのだ。
本の中に小学生の時の駄菓子やのエピソードが綴られている。
これも私と似ている。
私は、駄菓子やに行った経験がない。
みんなが懐かしい、というお菓子を食べたことがない。
いや、近所に駄菓子やはあった。
みんな行っていた。
でも「我が家には駄菓子は必要ありません」だった。
確かに父が出張や会議の後に持って帰ってくるクッキーやゴーフル、ケーキ
珍しいチョコはいつも家にあった。
でも、学校での話題に泉屋のクッキーは出てこない。
当たりくじの付いたお菓子の話だ。
思い返しても、家に他のお菓子があったから駄菓子を禁止したのではないと思う。
毎日の10円20円がもったいなかったのだ。
子どもにお金を使うのが単純にイヤだったんだと思う。
不思議なのは、そういう事実を(駄菓子やに行ってみたい・・とか)
母がダメなら父にでも言えばいいと思うのだけれど
そうしたことはない。
多分、父は私が小遣いもなく暮らしていたことは知らなかったと思う。
父は私に厳しかったということもなかったのだけれど
困ったことを家族の誰かに相談してみる、という感覚自体がなかったのだと思う。
母を頂点に、後の父・姉・私はそれぞれが孤立し、横の連絡を取り合うでもなく
ただひたすらに頂点だけを見つめて暮らしていたのだ。
お金にまつわるエピソードを書いたが、お金だけが欲しかったのではないと今頃気がつく。
「お友達と同じようなことをしてみたい」
だたそんなわがままを言い、その気持ちをわかってほしかったのだ。
お金がないから行けない、のなら、それをゆっくりと説明してくれれば
多分、私は理解しただろう。
駄々もこねなかっただろう。

書いていて不安になる。
きっと他の人には伝わらないのだろうな、という諦めだ。
それでも、書こう。

本の主人公も私も、ひたすらに母親の顔色を伺って育った。
いつしか、それでも自分は平気だと思うようになる。
多分世間とは違う感じで生きているのだろう、とぼんやりと感じながらも
自分は年齢以上に醒めて冷たい人間で、だから傷つかないと信じて。
でも心の中には停滞したままの部分があって、それが時折無茶苦茶にわがままを言う。
自分さえ我慢すればいい、という処世術がストレスを溜め続け爆発し
大事な人間関係まで壊してしまう。
例えば、簡単な一言が出ない。
主人公は夜型の生活を送る自分に朝は電話をしないでほしい、
と母親に言うことができない。
その一言が言えないから、無理をして朝の電話に付き合ってしまい不機嫌になる。
何故、その簡単な一言が言えないのか?
それは、子どもは絶対に親に逆らってはいけない、という刷り込みに他ならない。
少しでも意見をして、へそを曲げられもっと面倒くさくなることを体が知っているからだ。
その付き合い方は、他人へも出てしまう。
ほんの一言、自分を正直に出すことができずに
いつもいつも些細なことを先回りして考えて、勝手に不安になっているのだ。
こじれた感情はいつも飽和状態なのだ。

本では、やがて母親に呆けの症状が出てくる。
こじれた感情をぶつけることも出来ないでいる間に
相手は勝手に土俵から降りてしまうのだ。
主人公が自分を作り上げたものの正体を見つめようとしている間に
その気持ちのどれか一つも汲み取ることなく、さっさと退場していこうとしている。
ずるい。
母親を赦せない、と思う気持ちは何処へ向かえばいいのだろうか。

私の父が亡くなり、でも私はその葬儀にも行かなかった。
それでも、その後の手続きなどで母との接触(電話で)が避けられなかった。
母からの電話に、勇気を振り絞って反論し、その電話を叩き切られてから8年。
ただの一度も連絡をしなかった。
私は一度も連絡をしないことで、もしかしたら私のあの日の反論の気持ちが届いているのかも
とどこかで思っていたのだろう。
期待しない、諦めている、と言いながら、まだ私は母に理解してほしいと求めていたのだ。
でも、8年ぶりの電話で、ようやくわかった。
あの人は、何も理解していなかった。わかろうともしていなかった。
私が8年間、音信不通だったのはただただ、病気のなせる業と信じていた。
違う。まったく違う。
でも、時間をかけてもあの人には、その答えしかでなかったのだ。
そんな人だったのだ。
あらためて、私は自分の母親の輪郭をはっきりと認識できた。
私の何も、伝わらない。8年音信不通にする、という何もしない抗議は全くの無駄で無意味なことだったのだ。
私はそんな人を相手に、もう50年以上もキリキリと生きていたなんて。
まだ親の望む私を演じていたころ、私は母の人生の最期の最期で「あなたなんか大嫌い」と伝える場面だけを
想像していた。
その時の私の快感と母の絶望をシュミレーションしては、自分を慰めていた。
でも、望む私を演じることも出来なくなったし
そもそも、そんなシュミレーションが人生の慰めだなんて悲しすぎる、と気がついた。
私も母に気持ちをわかってもらいたかった。
困ったことは相談したかった。
でも、できない相手だった。そう、人の気持ちなんかわかる人ではなかったのだ。
父の件で私はそれを再確認し、いまだに母を求めていた自分の気持ちにも気付き、
でもそれは無理で無駄なことだと理解した。
だから今は、もう何も求めない。
求めていないから、もう赦す赦さない、という感情からも離れてた。
赦さないという強い感情も、赦したいという優しい感情も
どこかで自分を縛るものだと思う。
縛るものがなくなった今、自由だなと思う。

苦しく辛い本だった。
でも、一つ一つ追体験し私は私を思い出した。
蓋をしていた感情を見る作業は大変だったけれど、
その感情を見事に言い当てる文章がいくつもあって、私という人間を整理することができたように思う。
母と訣別できた今は、いささか遅いけれど、
平凡だけれど飾ることなく我慢することなく、ゆっくりと平和な人間関係を築いて生きていたいと思う。
コメント (18)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 我が家の流行語大賞。 | トップ | パン焼き器。 »
最新の画像もっと見る

18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
一気に読みました! (makoto)
2011-12-18 12:46:30
はじめまして。放蕩記を検索していてこちらに辿り、一気に拝読!もう村山さんの読まなくていいや、と思うほど、あなたの人生を一気に読みました。あなたも死ぬまでに小説家になってね。もうそうなのかな?
返信する
ありがとうございます。 (くんくん。)
2011-12-18 18:07:54
コメント、ありがとうございます。
長く拙い文章を読んでいただいて、それだけで嬉しいです。小説家なんて夢のまた夢。恥ずかしいです~
勿論、村山さんの本も読んで下さいね!微妙な胸のうちを本当に的確に書かれているので。
私は村山作品は初めて読んだのですが、また違う小説にもトライしてみようと思っています。
返信する
わかります (みけこ)
2012-02-07 10:56:55
はじめまして。
時間が経っているのにおじゃましてすみません。

だれにも分かってもらえないだろうな..っていうあきらめ、わかります。
まったく同じではないにせよ、似たような境遇、幼心、思春期に日々感じていた気持ち..私にはわかります。大人になっても、後遺症に苦しみますよね。

私は40代半ばで、すでに、憎しみも消えていますが。母親の頭ではああしかできなかったとわかったし。私は子どもの気持ちをくむことができますし。

はっきり言って、今まで誰一人として私の気持ちをくんでくれた人はいませんでした。

こんなの甘えだと誤解をされそうなことを恐れずに書いてくれる人がいなければ!

普通の人からしたら「甘え」の一言で説教終了でしょう。

普通の人は、あまり深く考えないのかも。苦しいことや醜いことをあえて深く
洞察するっていうのも皆避けたがるし。

心の深ーいところで感じることができるタイプの人間だけなのでしょうか、母親に傷つけられるのは。

苦しくて醜い現実を、逃げずに深く考え抜いて、分析し尽くさねば、抜けられないと思いますね、この問題は。
返信する
ありがとうございます。 (くんくん。)
2012-02-09 16:50:28
コメント、ありがとうございます。

普通の人にはなかなか理解してもらえない感情ですね。
だから余計に感じてはいけない感情として、自分の中に封印していたのだと思います。
でももっと早く気付いていたら、と思います。そうしたら、子どもとの関係ももっと良くなっていたでしょうし・・・

私の場合、カウンセラーにとても助けられています。
母親ときちんと手を繋ぐことができた人には、理解できなくて当然の感情なんだそうです。
理解できる人もいる、出来ない人もいる。
まぁ殆どの人は理解できないだけで、でもそういう感情を持つ私が間違っている訳ではない、と。

カウンセラーの下で、ようやく呪縛から解かれつつある今は、とても客観的に母を見ることがあります。
可愛そうな人なんだな、と思いますね。
人を力で支配するしかできなくて、いつまでも完璧な自分を求めるのは苦しいだろうな、と。
でももう、お付き合いするのは真っ平御免。

拙いブログですが、よかったらまた覗いてみてくださいね。

返信する
ドキドキ (今ウツウツ)
2012-06-18 20:33:50
母を愛したくても愛せない同じ気持ちでずっと悩み続けてきて、ドキドキしながら共感して読みました。私は最近は薬に頼らない心理療法に通っています。
母親も幼少期に同じ思いをして育ってきたのだろうと母の心の傷を見るように努力中です。
とてもキツい事ですが、乗り越えたいと思っています。
返信する
ありがとうございます。 (くんくん。)
2012-06-19 16:16:50
コメント、ありがとうございます。

私の思っていた以上に共感してくださる方がいて正直、驚いています。
心理療法、とてもいいことだと思います。
自分の気持ちをしっかりと見つめることができると思います。
自分の気持ちを大切にできるようになって初めて、他の人を思いやれるのかなと最近感じています。

でも、お母様の心の傷を見ることは大切なのかな。
失礼なことを書いてごめんなさい。
まずは自分を大切にしてほしいと私は思うの。
あまりに辛い努力なら、それはしなくてもいい努力ではないかしら。
勿論、今ウツウツさんがそれも納得ずくでの努力ならいいと思うけれど。
辛いことを経験してきた上に、さらにあなただけが努力を強いられるのは疑問に思うの。。
事情もよくわからないのに、失礼なことを言ってごめんなさい。
返信する
またコメントさせてください (はな)
2012-09-10 10:34:42
「お金がなければ作ればいいじゃない」 これは子供を拒否する言葉ですね。涙が出ます。この言葉から、自分の母のある表情を思い出してしまいます。それは、私という存在を拒否するときの、気に入らないものを眺めるような顔です。ツメタカッタ。 人に話してもわかってもらえないので、本を読むことで自分を救ってきました。「放蕩記」も読んでみようと思います。  
返信する
ありがとうございます。 (くんくん。)
2012-09-11 11:14:05
はなさん、コメントありがとうございます。
私も自分の家のことは、誰に話しても理解できないことだと感覚的にわかっていて(事実、誰かに相談したこともなかったので)だから、自分の気持ちを隠してきました。
でも、この本を読むと、あまりにも自分と似た風景があって本当に驚きました。
辛いけれど、自分を整理するにはとてもいい本だと思います。

拒絶は辛いことです。
拒絶されないために必死で顔色を窺っていたんですよね。。
以前はそんな子供時代の私を辛いと思わないように緊張して生きていました。
でも、今はそんな子供だった私を大変だったんだな、と
素直に認めるようになりました。
認めることでやっと、前を向けたように思えます。
返信する
放蕩記読みました (はな)
2012-09-20 16:07:23
読んでいて思い出したのは、自分の気持ちが母には「どうしても伝わらない」という感覚です。プラスチックに何か有機的なものを浸みこませようとするかのような、無理な感じです。数年前、帰省した時に、つい母に自分の話をする気になってしまいました。私がほんの一言、話した時です。母はくるりと顔をそむけて、「これ見て、どう?」と自分が書いた書道の文字を見せました。「聞きたくない」という意思表示です。いつも自分のことを話し続け、娘の話を聞く気はありません。気に入らないと怒声を浴びせ、私はどんなに傷つけても構わない存在だったと思います。
放蕩記を読んで、自分の母がどんな女性であったか、どんな母親であったか、理解を深めることができました。
返信する
同じ記憶ですね。 (くんくん。)
2012-09-21 14:25:21
はなさん、コメントありがとうございます。

読まれたのですね。
本当に、ふっと自分の体験がよみがえってくる本ですね。
忘れていたような情景が浮かんできて辛くもなりますが、
冷静にもなれる本だと思います。

私の母も、自分が大好きな人です。
聞きたくない話には応答がなくなるのがわかるので、
いつも母が聞きたい話だけを話していました。
「○○と話してると面白いわ」と言っていました。
当たり前ですよね、そういう話しかしなかったんだもん。
ある意味、母を作ったの母自身でもあり、私たち家族でもあったと思ったりもします。

拙いブログですが、またお立ち寄りくださいね。
返信する

コメントを投稿

読書」カテゴリの最新記事