ウツウツ記

毎日の生活で感じたことを書いています。

待つことは荒行。

2021-05-01 13:02:19 | 日常
本日は強烈な風が吹いています。
時折、雨がバラバラっと降って酷く荒れたお天気です。
せっかくのGWとも思いますが
出足を挫くお天気の方がマシだな、とも思います。
それでも高速道路が渋滞しているようで
一体、何を考えて行動しているのやら。

新聞で「待つ」ことについて書かれたコラムを読みました。
中学受験について書かれているもので
どちらかというと、焦る親に対しての内容が多いコラムです。
今回は、やる気が出るまで待つことは
待つことでやる気が出るとは限らず
出なかったとしても、それがその子そのものであって
それこそが子供をありのまま受け入れるということ。
ネガティブな言葉でやる気を出したとしても
それは恐怖に対して行動しただけであって
合格しても、それが必ずしも良い方向に向かうとは限らない、とも書かれていました。
正に、親にとっての荒行。

まるで、私に対して書かれたようなコラムでした。
読んでいてとても痛かった。
心も頭も、全て痛かったです。

私は待てない親でした。
今ならば、教育虐待をした親だと自覚しています。
今も待つことはとても苦手です。
他人を待つくらいなら、自分で行動する方がどれほどラクかと
いつも思います。
そう、行動した方がよっぽどラクなのですよね。
だから、待てない。
待つことは苦痛です。
でも、苦痛だとは誰も言わなかった。
これは修行ですよ、荒行ですよ、と誰かに教えて欲しかった。
教えてもらえれば、苦痛の想像がついたとも思いますが
他人のせいにして解決できることでもありません。

このコラムで一番痛いのは
待ったからといって、必ずしも子供のやる気が自発的に出るとは限りませんよ
と断言されていること。
そうなんですよね。
これをしたから正解、とは限らないところが
私には一番、痛く、辛いことでした。
結局は、子供といえども自分とは違う人生を歩くのですから
ある意味、ひどく客観的な眼差しや心を持たないとできないことだと思います。
自分の努力は、結果が見えます。
だから、良い結果にしろ悪い結果にしろ、自分に返ってくるのだから
納得することができます。
他人の人生を見守るなんてことは
ある意味、自分との相性、悪く言えば「くじ運」みたいなものだと
感じます。
これをしたからこうなる、あれをしたからあぁなる、
とは限らない。

でも経験から、一つだけ言えるのは。
私は待つことができず、行動した結果
より悪い「くじ」をひく確率が高くなったと思います。
もし、待つことができたなら。
と反省することがたくさんあるからです。

もしも、あの場面で私から話し出すのではなく
子供が話すことを待つことが出来ていたならば。

「待つ」というとてつもなく苦しい時間を過ごすことで
親は、自分と子供が違う人生を歩むのだと
仕方なしに理解していくのだと感じます。
別な人生ならば、それほど自分は傷つく必要はないのかもしれない、
と諦めがつくのかもしれません。
そう、待てない私が怖かったのは
自分が傷つくことだったと今はわかります。
あなたのためじゃない、「自分のため」に待てなかった。
愚かでしたね。

「待つ」ことは本当に苦しい。
でも。
待たないことで、悪い「くじ」を引く確率が上がるのだとしたら。
待つことの苦痛を少しは我慢できるかもしれません。
こんな風に思う私は、やはり親失格でしょうかね。
子育てを「くじ」に例えること自体、不愉快に思われたらごめんなさい。
でも。。
それほど、ありのままの子供を認めるって難しくいことなのですよ。
愛情と、時に冷酷に現実的な客観性を持たないとできないことで
これは相反することですから。
本当に、親であること自体が荒行だと思いますね。
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