市民の健康と生活を負託する市長選挙について日程を淡々と消化するイベントと考えてはならないし、また同候補者もパフォーマンスと評される顔出しであっては、これは実のところ理想とする自治社会からは程遠い喜劇、いや悲劇。
だが、一票を平等に与えられる民主政治においては、数による政治はその過渡期で往々にして負の自治社会を生む場合もあって、過程での悲劇として致し方のないものかも知れない。
政策立案能力、リーダーシップ、そして倫理観の「政令指定都市に相応しい市長の条件」について、「どっちもどっち」という満足度50パーセント以下という市民の見解を前号で紹介したが、この「場合によっては知事よりも高いレベルの政治家資質が求められる政令指定都市の市長像」は棚に上げて、敢えてイベント、パフォーマンスも呑み込んで熊本市長選挙を推察する傾向の補足とした(詳細は前号参照)。
現職の4選不出馬宣言から県議の立候補表明という一連のシナリオからして、アンケート結果でも実証の通り先行有利は否定出来ない。そして、これが自民党候補者選考委員会の停滞を生んだのも確か。先行有利の候補予定者外(某県議談)となると、「勝てる」と確信の出来る候補予定者が現れなかったという点、それにリーダーシップの発揮を期待される代議士が、自らの地方区公認問題を懸念して賭けで動けなかったことが同党の推薦を遅らせた。
それでは先行有利とされる候補予定者の優位は崩れないかというと、色々な見解はともかく、表上は若い世代、市民派として支持層の重なる経済人(出馬未定)なら逆転の可能性もある。浮上した見解からして市民派としての出馬は絶対条件(国政選挙とは異質)で、秋半ばのイベントでのフィナーレを出陣式として、そこからエネルギーを最大限に発揮が出来たら勝利への活路も見えて来るのではないか。パフォーマンスと見る推薦願いを万が一、双方に狂いが生じて自民党が先行有利の候補予定者に推薦状でも届ければ、逆転の可能性はさらに高まるが、この想定の現実性は本人の読み次第。
残念ながら他のパターンでの激戦は想定が困難で、このままだと投票日が晴天で他候補もそれなりにイベントへのパフォーマンスを見せれば、先行有利とする候補者のダブルスコアに近い勝利と読むが、これほど面白味のないイベントは他にない。もちろん、「政令指定都市に相応しい市長」とは異質の話…。
だが、一票を平等に与えられる民主政治においては、数による政治はその過渡期で往々にして負の自治社会を生む場合もあって、過程での悲劇として致し方のないものかも知れない。
政策立案能力、リーダーシップ、そして倫理観の「政令指定都市に相応しい市長の条件」について、「どっちもどっち」という満足度50パーセント以下という市民の見解を前号で紹介したが、この「場合によっては知事よりも高いレベルの政治家資質が求められる政令指定都市の市長像」は棚に上げて、敢えてイベント、パフォーマンスも呑み込んで熊本市長選挙を推察する傾向の補足とした(詳細は前号参照)。
現職の4選不出馬宣言から県議の立候補表明という一連のシナリオからして、アンケート結果でも実証の通り先行有利は否定出来ない。そして、これが自民党候補者選考委員会の停滞を生んだのも確か。先行有利の候補予定者外(某県議談)となると、「勝てる」と確信の出来る候補予定者が現れなかったという点、それにリーダーシップの発揮を期待される代議士が、自らの地方区公認問題を懸念して賭けで動けなかったことが同党の推薦を遅らせた。
それでは先行有利とされる候補予定者の優位は崩れないかというと、色々な見解はともかく、表上は若い世代、市民派として支持層の重なる経済人(出馬未定)なら逆転の可能性もある。浮上した見解からして市民派としての出馬は絶対条件(国政選挙とは異質)で、秋半ばのイベントでのフィナーレを出陣式として、そこからエネルギーを最大限に発揮が出来たら勝利への活路も見えて来るのではないか。パフォーマンスと見る推薦願いを万が一、双方に狂いが生じて自民党が先行有利の候補予定者に推薦状でも届ければ、逆転の可能性はさらに高まるが、この想定の現実性は本人の読み次第。
残念ながら他のパターンでの激戦は想定が困難で、このままだと投票日が晴天で他候補もそれなりにイベントへのパフォーマンスを見せれば、先行有利とする候補者のダブルスコアに近い勝利と読むが、これほど面白味のないイベントは他にない。もちろん、「政令指定都市に相応しい市長」とは異質の話…。