2012年7月の大水害において阿蘇市は浸水、土砂崩れ、家屋の倒壊と甚大な被害に見舞われた。そこで阿蘇市車帰地区の住民に懸念されたのは、背後の採石場(山)に造られた貯水池の崩壊。今回の朝倉、日田市を中心とする大水害でも理解されるが、仮に同貯水池が土砂崩れ等で崩壊し、その40万立方メートルの大水が集落へ流れ込んで来たら、どうなるか。それを不安視した住民は県に陳情したわけだが2015年、県は「2019年以降に埋め戻す」と回答。永田町辺りで走り回る市民なら「暴動」も起きる熊本県の姿勢だが、ここで根本的な問題というのは、このスタンスにある。補償、産廃施設と「親方日の丸式」に公費を投下する一方、弱い立場にある住民の防災は棚上げという熊本県行政の姿勢、その分別の基準が、先述した負の構造という中で狂ったとしか思われないのである。
繰り返すが、採石法では「採石権者が採石権を消滅させる(終掘)際、その土地を原状に回復し、又は回復しないことによって生ずる損失を補償しなければならない」とされる。
熊本県は、この採石法に基づいた跡地整備とは異なる手法(公費による代払い整備事業)によって処理するのだが、公費をここで投下する以上、県民に対して説明責任が発生するはずだ。安倍総理も語る通り、執行部には「丁寧な説明(理由)責任」が求められる。
そして理解、納得の上でそれが執行された場合、その行程、経過(回収状況)には透明性の高い報告が必要。この二点を履行することがなく実行するとなると、それは闇における謀議による反民主的な執行であって、熊本県議会の野党はどうあれ本来、良識ある熊本県民には絶対に認められない自治行政。
そもそも原状回復に応じられない該当業者によって生ずる自然公園法、砂防法、景観条例等に反する損失だが、そこで発生する補償の相手は管理及び指導の立場にある自治行政ではなく、国民及び該当住民であって、該当の阿蘇市車帰地区住民には、ここでの損失における補償を求める権利を有する。それを「県、行政が決めたことに文句などは想定されない素朴な住民で、他県と違って訴訟など起きる訳がない」という彼らの傲慢不遜こそが問題。
また熊本県は、「安全性は確認された」として直壁(跡地)で整備終了と結論しているが、その安全性の中身、その確認者とは誰なのか。責任所在の明かされない行政発表には驚きもしないが元来、それは公表する義務にある。
また、ここは阿蘇くじゅう国立公園。先祖が代々において遺して来た自然、国民の共有資産であって、それを誰もが認める「形状変更」をさせていながら、そのまま放置するなど国民から反発の声が挙がるのは明白。
管理不行き届きの環境省も問題だが、その同省から「最低でもラス張工による整備は必要」と見解が出た。網を張り、周辺の環境に適合した樹木、草等の苗や種子を肥料と一緒に掘った穴に埋め込んでいく修復整備だが、それを実行させる必要がある。
阿蘇市豆塚に続いて、ここでも国立公園の中で破壊を認めるとなると、そもそも原点となる「与えた採石権」への責任問題はどうなるのか。
果たして、これらについて県エネルギー政策課は、どう答えるか・・・。(つづく)
ところで記者クラブの弊害が内からも語られ始めたが、当局側に「都合の良い情報だけ」をコピーで手渡され、今風の特ダネ奪い合いでコピペ記者が増えると、自ら被害者にさせられた「誤報による名誉棄損」も発生するし、その癒着によって「都合の悪い真実には蓋」という事実も生まれる。新聞の購読部数が激減傾向という事実からして、新聞は終末の段階に入ったとも語られるが、その元凶は明らかに記者クラブ。支持率10パーセントにも満たない野党第一党の問題点は、代表の二重国籍問題ではなく、その代表を含めた議員の平穏無事的な資質、彼らが乗っかる与えられた組織にある。その民進党の明日を元社会党と予想する者もあるが、その背景は新聞も同様とは言い過ぎであろうか・・・。