私的海潮音 英米詩訳選

数年ぶりにブログを再開いたします。主に英詩翻訳、ときどき雑感など。

リチャード・ウィルバー 汝妹よ 第七~八連目

2019-12-11 14:00:42 | 英詩・訳の途中経過
She
Richard Wilbur

Tree, temple, valley, prow, gazelle, machine,
More named and nameless than the morning star,
Lovely in every shape, in all anseen,
We dare not wish to find you as you are,

Whose apparition, biding time until
Desire decay and bring the latter age,
Shall flourish in the ruins of our will
And deck the broken stones like saxifrage.

木や寺や舳〔ミヨシ〕やガゼルや機械など
いや増しに名づけられ或いは朝の星よりも名を持たずに
いずれの形でも心惹きつけ すべては見えざるまま
吾らは敢えて願いはしない あなたをあなたのまま見出そうとは

その現れは 切望が廃れ果てて
後の世をもたらす時に至って
花開くだろう 吾らの望みの荒廃のもとに
そしてゆきのしたの花のように打ち毀された石どもを飾るのだろう


*不思議な詩がとうとう終わってしまいました。Paradise Lostに戻れる目途が全く立っていない……
 八連目最終行の「ゆきのした/Saxifrage」は植物名です。『ジーニアス英和辞典』によれば《英米で珍重される岩生植物でRock plantといわれる。花言葉は「情愛」》とのこと。
同じく最終行の「Stones」は墓石でしょうか? この部分の映像的イメージには心が慄きました。毀れ朽ちた墓石の群れに絡みついて咲き誇る雪のような花。……かなりよく似たイメージとして思い出されたのが、我が愛する伊東静雄の「冷めたい場所に」の後半分でした。


 私が愛し
 そのため私につらいひとに
 太陽が幸福にする
 未知の野の彼方を信ぜしめよ
 そして
 真白い花を私の憩いに咲かしめよ
 昔のひとの堪へ難く
 望郷の歌であゆみすぎた
 荒々しい冷めたいこの岩石の
 場所にこそ

 ……一体この「冷めたい場所」とは何処か?--という考察を、ちょうど十年前、2009年12月6日から23日まで「自作雑文」のカテゴリで当ブログに載せております。そのときには、近世以降のある種の男性詩人たちが共通して併せ持つように思われるこの「冷めたい場所」とは自他の区別を認識することによって自分の孤独に気づいた人間の内面世界だと結論付けました。ではそこに咲く「花」とは何か? 


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