コザカナです。実に七か月ぶりに詩の訳を再開いたしました。
昨年からかろうじて確保したささやかな定収入の道が意外といそがしく、訳すこと書くことそのものから遠ざかっていました。しかし、先日新たな友人?(…たぶん友人。片思いではないはず)に「以前ブログで詩を訳していた」と話したことがきっかけでちょっとやる気を取り戻しました。七か月前のバイロン卿はひとまず保留。……保留というか、これはもう訳せないかもしれない。なんというか、このごろ私は何かこう強烈な「若さ」みたいなものを失くした気がしてなりません。永久の無明の夜の底でおわあおわあと月に叫ぶ孤独なケモノの咆哮が以前のようには湧きあがってこないのです。近ごろたいへん生きるのが楽です。しかしあんまりものは書けない。以下の詩はそんな生温いさみしさに妙にぴったりきました。
久々に自分語りが長くなりました。ともあれ、肩慣らしがてら、しばらくはワーズワースでいきます。四蓮構成の一連目、和語の七五調。
I wandered Lonely as a Cloud
William Wordsworth
[ll.1-6]
I wandered lonely as a cloud
That floats on high o'ver vales and hills,
When all at once I saw a crowd,
A host, of golden daffodils;
Beside the lake, beneath the tree,
Fluttering and dancing in the breeze.
ひとつただようくものごと
ウィリアム・ワーズワース
[1~6行目]
ひとつただようくものごと
谷と丘とをみおろして
あゆむわたしはともをみた
ひとむれの こがねのいろの水仙が
みずのかたえの木のもとで
ひらめき 風にゆれるのを
昨年からかろうじて確保したささやかな定収入の道が意外といそがしく、訳すこと書くことそのものから遠ざかっていました。しかし、先日新たな友人?(…たぶん友人。片思いではないはず)に「以前ブログで詩を訳していた」と話したことがきっかけでちょっとやる気を取り戻しました。七か月前のバイロン卿はひとまず保留。……保留というか、これはもう訳せないかもしれない。なんというか、このごろ私は何かこう強烈な「若さ」みたいなものを失くした気がしてなりません。永久の無明の夜の底でおわあおわあと月に叫ぶ孤独なケモノの咆哮が以前のようには湧きあがってこないのです。近ごろたいへん生きるのが楽です。しかしあんまりものは書けない。以下の詩はそんな生温いさみしさに妙にぴったりきました。
久々に自分語りが長くなりました。ともあれ、肩慣らしがてら、しばらくはワーズワースでいきます。四蓮構成の一連目、和語の七五調。
I wandered Lonely as a Cloud
William Wordsworth
[ll.1-6]
I wandered lonely as a cloud
That floats on high o'ver vales and hills,
When all at once I saw a crowd,
A host, of golden daffodils;
Beside the lake, beneath the tree,
Fluttering and dancing in the breeze.
ひとつただようくものごと
ウィリアム・ワーズワース
[1~6行目]
ひとつただようくものごと
谷と丘とをみおろして
あゆむわたしはともをみた
ひとむれの こがねのいろの水仙が
みずのかたえの木のもとで
ひらめき 風にゆれるのを
またしても嬉しいコメントをありがとうございます。
若山牧水いいですね。幾山川こえさりゆかばさみしさの、なんて、たしかにそのままワーズワースの詩句に紛れ込んでいそうです。
青空を渡る風も、冷たい内になんとなくふわっとしているような。
『白鳥はかなしからずや空の青水の青にも染まずだたよう』
この歌を思い出しました。どこまでも澄み切って美しい孤独。
けれど、この詩はあたたかさを見つけた喜びがありますね。
いつも美しく響きのある日本語、素晴らしいと思います。ああ、こんな言葉や言い回しがあったんだ、と、声に出して読んでいます。
次も、楽しみにしています。