楽園の復活―マイ・コールド・プレイス― ⑦
作中に「閉じた異世界」を持っていることと、その場所が可視的に描かれていること。この二つが「楽園」に必要な条件であることはおそらくまちがいない。この二つの条件さえ満たされれば、私は「詩情」を感じうるのだろうか? ここまでガチョウの腹を裂いたからにはぜひとも探ってみたい。「詩情」とは――少なくとも私個人にとっての「詩情」とは何か? さいわい、遅まきながらこのごろ出会った一遍の詩が、私の感じる「詩情」の源に共通してあるらしき何かをはっきりと自覚させてくれた。伊藤静雄の短い抒情詩、「冷めたい場所で」である。
私が愛し
そのため私につらいひとに
太陽が幸福にする
未知の野の彼方を信ぜしめよ
そして
真白い花を私の憩いに咲かしめよ
昔のひとの堪へ難く
望郷の歌であゆみすぎた
荒々しい冷めたいこの岩石の
場所にこそ
野ざらしの白骨のように無駄のないこのきびしい十行を読んだとき、私は、私が惹かれる文芸作品すべての源にあったものをようやく認識したように思う。それは、「私が愛し、そのため私につらいひと」に対するあこがれであり、その人が去ったあとで「荒々しい冷めたいこの岩石の場所」に立ちつくす「私」自身の心情である。
作中に「閉じた異世界」を持っていることと、その場所が可視的に描かれていること。この二つが「楽園」に必要な条件であることはおそらくまちがいない。この二つの条件さえ満たされれば、私は「詩情」を感じうるのだろうか? ここまでガチョウの腹を裂いたからにはぜひとも探ってみたい。「詩情」とは――少なくとも私個人にとっての「詩情」とは何か? さいわい、遅まきながらこのごろ出会った一遍の詩が、私の感じる「詩情」の源に共通してあるらしき何かをはっきりと自覚させてくれた。伊藤静雄の短い抒情詩、「冷めたい場所で」である。
私が愛し
そのため私につらいひとに
太陽が幸福にする
未知の野の彼方を信ぜしめよ
そして
真白い花を私の憩いに咲かしめよ
昔のひとの堪へ難く
望郷の歌であゆみすぎた
荒々しい冷めたいこの岩石の
場所にこそ
野ざらしの白骨のように無駄のないこのきびしい十行を読んだとき、私は、私が惹かれる文芸作品すべての源にあったものをようやく認識したように思う。それは、「私が愛し、そのため私につらいひと」に対するあこがれであり、その人が去ったあとで「荒々しい冷めたいこの岩石の場所」に立ちつくす「私」自身の心情である。
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