香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月31日 08時34分07秒 | Weblog
教皇パパ・フランチェスコ(ローマ法王)様、仙台司教様・主任司祭の板垣神父様、そして、皆様、おはようございます。

昨日は、色々と勉強になりました。  私も早く結婚しないと時間が無いですね・・・しかし、家宝は寝て待て・・・?かな? 自分自身の成長と整理の時間は貴重です。

それでも、そろそろ積極的に動かないと本当に大変かな?とも思います。

  さて、年金受給の高齢になってもまだ、社会的な栄光を、雲をつかむように追う?人もいるんですね。それは唯の不毛な時間になってしまいます。私は、年長者に、怒こったりしませんが。

帰宅してから、暫く、今日の明け方近くまで、フェイスブックなどインターネットで、なんとなくそれを思い出してしまい、無謀な時を過してしまいました。

そのため起きた時には、もう、早朝ミサも半ば過ぎの時間で、もちろん、そのまま寝ていて、先ほど調理して朝食を済ませ、暫くインターネットのニュースを見ていました。


さて、昨日のことは、仕事に関係あることだけを記憶に残して、今日からまた頑張ろうと思います。


  父も高齢だと言うのに、いつも庭にいて、体を冷やしていて、いつ肺炎になってもおかしく無い状況です。

私の、今の仕事は公的で公共の福祉の仕事だし、自宅拠点なので、この状態を知って、対応できるので、本当に良かったと思います。



本当に今の仕事に就けてよかったと思います。収入的には心配なところもありますが、今まで沢山の学習や公的職歴もあるので、色々頑張って、収入を普通に増やしてゆきたいと思います。

時間がかかりますが、同僚諸先輩、政府関係機関、社民党初め、各リーダーの皆さんと各国の同様の皆様におかれましても、宜しくお願い致します。



  さて、今日は、何十年ぶりかでの、私の家庭料理をしたいと思います。父が素直に食べてくれればいいのですが・・・皆様お祈りください。

また、なるべく早くに自然と環境コースを卒業し・・・とは言え一年後の卒業で良いと思います。できれば、修士、博士を引き続き取ってから、ゆっくり後で、医学部に行こうと思います。

とにかく今は、仕事の内容の充実と安定な安全な熱意と情熱と健康のある結婚を頑張って、築きます。

では、この世界中に神の平安が充たされますようにと祈ります。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

********************************マタイによる福音書の続きから**********************************

   同害賠償

  「あなた方も聞いているとおり、『目には目を、歯には葉を』と命じられている。しかし、わたしはあなた方に言っておく。

悪人に逆らってはならない。右の頬を打つ者には、ほかの頬も向けなさい。また、あなたを訴えて下着を取り上げようとする者には、

上着をも取らせなさい。無理にも一ミリオンを歩かせようとする者とは、一緒に二ミリオン歩きなさい。求める者には与えなさい。

あなたから借りようとする者に背を向けてはならない」。

******************************本日の転記はこれまで**********************

聖書の親しみ   マタイによる福音書から

2015年10月30日 19時18分46秒 | Weblog
教皇パパ・フランチェスコ(ローマ法王)様、仙台司教様・主任司祭の板垣神父様、そして、皆様、今晩は!

  私は、今日は、仙台に無事行ってまいりました。

母の介助の疲れも取れつつあり、かなり、楽に、大胆な動きが、とれ始めております。

  4ヶ月前から一年前は、体の介護疲れ、仕事疲れ、学習疲れで、本当に大変だったのだ、と自分自身、思い知りました。

また、長いこと、様々な、アルバイト的な仕事をしてみて、若い私の判断の正しかったことと、多くの人々の、社会での苦しみの状態を

私自身がやってみて、本当に、いろいろな事が、判ったと言えます。皆様お疲れ様です。

尚のこと、政治を、良く保つことの重要性と神に仕えることの重要性を、心から深く悟ったと思います。

  そう考える時、神に仕えることが、時間と精神と生活と社会的な地位が、必要であり、全身全霊を要することを思うならば、

本当に、カトリック教会の発展は不可欠であり、また、実際に、それが、実現しなければならないことを、痛感いたします。

今の私は、長い間の経験によって、以上のことを、自分のできるかぎりの力を持って、行っていたので、これからの半生は、

今まで目標としてきた表の顔が、そのものの目標となり、より安定に効率良く、社会での権威に充たされ、安全と知恵と知識と発展と研究のの基として、

力強く、神に恵まれ、祝福され、社会の権威の基となって、安全に、平安と富の内に、進むことを、心から望み希望し祈りたいと思います。

  一日も早く、確かな決心と、決意のもとに、それらを満足し、全ての必要を、充たせる、神に祝され、正しく行う結婚を、希望し、望み、実現したいと思います。

それでは、遅くなりましたが、今日一日の労苦を思い、全ての人々に、神の平安が、ありますように、と祈りたいと思います。

Pietro Francisco Zaxier Francisco  Hiroyuki Sawaguti

*****************************マタイによる福音書から続き*******************************

   誓い

  「また、あなた方も聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いをしてはならない。誓ったことは主に対して果たさなければならない』と

命じられていた。しかし、わたしはあなた方に言っておく。決して誓ってはならない。天にかけて誓ってはならない。天は神の玉座だからである。

地にかけて誓ってはならない。地は神の足台だからである。エルサレムにかけても誓ってはならない。エルサレムは偉大な王の都だからである。

  また、頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一筋でさえ、あなたは白くも黒くもできないからである。『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』と

だけ言いなさい。それ以上のことは悪魔から来る」。

*********************************本日の転記はこれまで***********************************

聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月29日 09時13分08秒 | Weblog
教皇パパ・フランチェスコ様、主任司祭の板垣神父様、そして皆様、おはようございます!!

   やっと、私は、このブログが、読まれているんだ、と認識したところです。

収入の関係やら、感情的な問題やらで、一晩中、このインターネットを解約しようか、と思いましたが、

次のような理由で、今回は、自分のために、思い留まりました。

  そもそも、私が、母との時間を、多く過した理由は、生きている時間は、そんなに、多くないのだから、可能なかぎり、

共にいて、生きる時間を、多くとろうとしていたことは、小さい時からのことでしたし、今回それを、母に思い出してもらって、認知症を、避けるためでした。

そして、母の終末に関わる洗礼の準備のためでしたが、誰も、助け手として、関係してくれませんでしたし、そもそも、私は、教会の人々を、恐れていました。

様々で、ばらばらな、心と知識と霊的なレヴェルから、正しくない判断も多かったからで、落ち着いて、正しく、私の認識を、持ってもらうこと以外は、考えられませんでした。

  まあ、それはともかく、今回、自分のために考えた理由は同じで、この世界に、生きている時間は、ある程度長くても、なかなか、生きているうちに、共有できることも、時間も少ないので、

  せめて、ブログは、もう長い間、書くようになったのだから、基本的に、ブログの内容を、自分の生活レヴェルに合わせようと結論したところです。


  思えば、私がたぶん教皇様と同じ「フランシスコ」で、洗礼を受けたときは、かなり小さかったと思います。

当時の若いガリエピ神父様や、シスターの一部にいたっては、母の実家まで来た事が何度かありました。(大人になって、皆は、忘れていたのかもしれませんが)


 今までは、逆にそのせいか?多少困った状態が、続いていたようです。最近は、親族とは、話をしたくない原因のようです。

長いこと大人の社会で、苦しんで、様々な教会を一時的にも体験し、1989年「フランシス・コザビエル」、1991年「ペトロ」で洗礼を受けました。(変則的ですが)


 それまでの人生は、まじめに学習や仕事をしていましたが、様々な神の計らいか?高校や大学を決める事が非常に難しかったです。

1983年ごろには、猪苗代湖・・・ちょうどガリラヤ湖みたいかも知れないですが、で、全身を水に浸る洗礼を受けました。(バプテスト)
 

  もちろん主の洗礼は一つであり、多数回はいらないし変だと思いますが、社会状態と自分の責任における立場が不安だったためです。


 他にも、洗礼の経験が、あるのかもしれませんが、その他は、覚えてはいません。

苦しいけれどなかなか面白い日々でした。当時の私には、大学というところが、まず良くわからなかったことと、

現実に、主イエスが、人間の形を取って現れ、私に対して、短いけれど、問題を解決する言葉を、かけてくれていたこと、にも原因しているかもしれません。

さて、長い時間になりました。今日も人々の間に、神の平安がありますようにと祈りたいと思います。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

********************************マタイによる福音書から続き*****************************

   離縁

  「『妻を離縁する者は、妻に離縁状を渡せ』と命じられている。しかし、わたしはあなた方に言っておく。

非合法な結婚以外の理由で、妻を離縁する者はみな、妻に姦通の罪を犯す機会を与えることになる。

また離縁された女を娶る者も、姦通の罪を犯すことになる」。

********************************本日の転記はこれまで**************************

聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月28日 10時28分21秒 | Weblog

皆様おはようございます!!

今日は、普通に早く起きたのですが、昨日、疲れて早く寝たせいで、メールを、二倍の処理することになって、今になってしまいました。

それに付けても、私には、もう不労所得とやらの、大助かりになるであろう立場は、巡ってこないのでしょうかね?

母の介助に19年・・・最近の母の様態による集中は、大変な時間でした。

そして、今の新しい職場・・・頭が、まだ働かなく、メールを、頂いても理解できず、その上、一度、学習時間確保のために、PCの音声コードを、

捨ててしまったので、なおさら、メールを、お送りくださっている超善良な方々が、何を言っておられるのか?わかりません。

そして、USAの心理学会からは、毎日ご丁寧に、メールが届きますが、当然私は、時間もお金もなく、読む気にもなれず、先ほど書いたとおり、

PCの音声も、現在なくなっています。・・・・????。

外は今、快晴になりました。朝のうちは、厚い雲に覆われていたように思いましたが・・・これから人生、挽回できるかな?

さて、まだまだ整理することが多く、時間も学習時間も運動の時間も確保しないと、さらに、できれば、食事を、しっかりと自分で創る生活を、確保したいところです。

ようやく、パパ・フランチェスコ教皇(ローマ法王)様に、焦点が合ってきたところなので、もっともっと努力して、日常生活を整えつつ、信仰生活も創造して行かなければなりません。

もちろん誰の責任でもなく、私自身の責任で、私自身と神ご自身と法王様はじめ世界中の皆さんとの関係によります。

私のこれからの成長と、学習・研究の成就と仕事の必要十分な成果と必要な結婚と社会での活躍を、どうぞ、ご期待ください。

このように、善い生活を続けるためには、やはりこの仕事を頑張って、自然と環境コースの卒業と自然環境科学で、放送大学院の修士・博士課程に学んで、まずは、学術博士をとろうと思います。

それでは、この世界中の皆様に神の平安がありますように。

Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti

****************************マタイによる福音書から続き****************************

   姦淫

  「あなた方も聞いているとおり、『姦淫してはならない』と命じられている。しかし、わたしはあなた方に言っておく。

情欲を抱いて女を見る者は誰でも、心の中ですでに姦淫の罪を犯したことになる。それで、もし右の目があなたをつまづかせるなら、

それをえぐり出し、投げ捨てなさい。全身が地獄に投げ入れられるよりは、体の一部を失うほうがましである。

もし、右の手があなたをつまずかせるなら、それを切り取って、投げ捨てなさい。全身が地獄に落ちるよりは、体の一部を

失うほうがましである。」

*************************本日の転記はこれまで**************************

聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月27日 08時20分34秒 | Weblog
おはようございます。

今日は、朝から町内会の文書を届けたり、ゴミの日で、すっきりした気分と本当によい天気です。

今日は、仕事でこれから出かけます。

昨日は、フェイスブックで、いつものセミヌード?って言いますか?だと思ったら殺人の首切りも付いていました。

ですから、もちろん「いいね」しないで、「これはいけない、殺人は罪です」とコメントしましたが、

今までも気付かないでそんなことがあったとしたら、やはり自民党の?一方的な政治が悪いのか?むしろ民主党時代の時が悪いのか?

いづれにしても、世界三大宗教(仏教は含めません。①キリスト教・イスラム教・ユダヤ教)を理解していない一般の日本人には、

もっともっと、どこまでも謙虚になってもらわないと宗教のことは、少なくとも私は教えられません。

さて、遅れないように、もう出かけます。

警察庁の皆さん!都道府県警察の皆さん!!頑張ってくださいね。

「謙虚さ」がなければ、私には、教皇様(パパ・フランチェスコ法王様)の意向だったとしても邦人としての苦労によって教えることまでは難しいです。

では、この世界中の全ての皆様に神の平安がありますように。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

************************マタイによる福音書から***********************

今日はもう出かけますのでお休みします。

聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月26日 13時45分30秒 | Weblog


皆さん、こんにちは!

ついに、卒業まで、残り4単位になってしまいました。

うれしいのですが・・・。

やはり卒業後は、自然環境科学の修士課程に学ぶ必要があるかと思います。

教皇様(パパ・フランチェスコ・ローマ法王様)としては、聖書の読書に・・・とお勧めと思います。

ですから、それもしたいと思います。

また大変な日々が始まる・・・?。

しかし、それに付けても、なぜこのタイミングで、急に原発二機も動かすのか?

実は、先日、フェイスブックに、二、三回の政府からの観艦式の投稿があって、それで私は、安倍総理宛にシェアーと同時に

その自衛隊への労に対する感謝を書いただけなのに、その後、彼の全部肯定されたかのように、すぐに原発再稼動はひどい話ですね。

本当に『はめられた』気分です。私は長いことこんな表現は、一度も使ったことは無いので、その意味でも、彼を恨みたいところです。

とにかく、私は無事に、専門科目の一単位を取りました。楽しかったです。

順調ならば、今年は後もう一単位です。

今日は寒くなったけれども、本当に「日本晴れ」「秋晴れ」です。

それから先日のUKのニュースでは、UKでは長い間教会が閉じられていたのでしょうか?

多少ならば「教会を人々が利用してもよい」と理解したのですが・・・・?どこの国でも大変な時代ですね。

私も頑張って早く結婚しなければと思います。もちろん医学研究もあきらめません。

私のPCやっぱりもうだめです。OCNモバイルワンとの組み合わせで尚のことどうしようもない・・・。

早く当たり前の収入と地位になって、全部新しくしたいな・・・。

まだまだ困ったような事件がニュースに出ていますが、この世界中の全ての皆様に神の平安があることを祈ります。

※追加

私は、どうしても、言葉のコミュニケーションは、重要な年代です。ですから、インターネットを契約しているために、

様々な誘惑があり、「転職サイト」にも登録してあり、その利用を強く促されて、ネット上申し込みしたりしましたが、

やはり、この国にとって年金制度は重要ですから、転職の医師はありません。

申し込んでしまいましたが、各代表取締りの皆様には深くお詫びいたします。またローマのパパ・フランチェスコ法王様におかれましても

どうぞこの点における私のいい加減差をお許しください。しかし、これらは、かなり条件が悪い中での就業になるための心配にもよっております。

どうか祈りの片隅に加えていただいて、私たち家族も日本の教会も発展できるよう助け導いて下さい増すようお願い致します。

今日のフェイスブックでの私の祈りは私の心の真実です。神にすべてのお力を求めつつ、全ての問題を神に委ねます。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

*************************マタイによる福音書から続き**********************

   殺人

  「あなた方も聞いているとおり、昔の人々は、『殺してはならない。人を殺したものは裁きを受ける』と命じられていた。

 しかし、わたしはあなた方に言っておく。兄弟に対して怒る者はみな裁きを受ける。また兄弟に『ばか者』と言う者は、

最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に落とされる。

  祭壇に供え物をささげるとき、兄弟があなたに恨みを抱いているのを思い出したなら、供え物を祭壇の前に置き、行って、

まず兄弟と和解しなさい。それから戻ってきて、供え物をささげなさい。

  あなたを訴える人と一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでなければ、訴える人は裁判官に引渡し、裁判官は下役に

引渡し、あなたは牢に入れられる。よく言っておく。最後の一クァドランスを払うまで、あなたは決してそこから出ることは

できない」。

聖書の親しみ   マタイによる福音書から

2015年10月23日 11時10分33秒 | Weblog
                         

おはようございます。・・・もう、こんにちは!!でしょうか?

昨日は、インフルエンザの予防接種をして、なんとなく体調が悪く、今日もすこし、遅く起きて、先ほど仕事の資料をめくったり、

インターネットのニュースを読んだり・・・。

もっと早く書けばよかった。

  ちょっと自分の脳のサボリ欲求に乗っちゃったかもしれません。

どうも社会現象的に、日本国内も、問題ばかりの、暗いニュースばかりのようで、ローマの教皇様(パパ・フランチェスコ法王様)や

私たちの司教・主任司祭でなくとも、「叙階」欲求が高まります。



   しかし、冷静に考えると、社会での重要な力強い活躍なくして、正しい教会知識が伝わるはずもないので、冷静に考えれば、

このまま、日本の年金のために、頑張るのが、御旨と思います。しかも、収入は、かなり厳しい収入で、金銭トラブルは起きるはずもなく、

自分の生活を、しっかり切り詰めれば、平安で人々にとっては善い隣人でいられる仕事・・・。かなりキツイ月収入・・・。

これでまた私は、「結構いそうな、私に信頼する女性達からの求婚」、は無いな・・・。とは言え、全くの地域人になってしまえば、

日本の何百年も続けている神仏習合や町内会のような限定社会に縛られてしまう・・・。


・・・・・頑張って、しっかりとした結婚と家庭生活を創れる女性との早い出会いをお与えくださり、1日も早く結婚までできますように。パパフランチェスコ様はじめ、

日々のお祈りの片隅に入れてくださいますよう、宜しくお願い致します。・・・・・


  そして、自分の研究もかなり絞られてしまう。今は、両方の社会にいるから、お金が無くて安全でも、地域人の社会ならば、なんだか分からないことを気にするために、

自分が殺されかねない・・・かも?なんて・・・ね?


  ただこの地域は、かなり穏やかな地域ではあるし、けっこう近くに県の農業総合センターもあって、私はこれからは、

そこの図書館に通うかな?とも考えたりしています。なんにしても早く、年金の仕事の全般に精通し、今までのほとんどの経歴を生かして、厚労省初め、機構、市役所と

政府と世界(ローマ)と地元の教会全体にも精通したいと思います。これで、なぜ、私が、大昔から「叙階」を考えないで、結婚に気を張っていたかが、ご理解いただけましたか?



   早く時間を見つけて、聖書講座の4講座(カトリック2、NHK2講座の)を終えて、人々の中で、毎週の研究会を短時間楽しみ(夜のこと)・・・とは言え素人の中では、満足しないのだけれど。



  だからきっと、主日ミサに、出れる日には出て、早朝ミサに、体調良ければ出るというところだと思います。なるべくは、年間記念ミサに対しては協力しますし、復活節や四旬節には、

なるべく仕事の無い限り、協力して、参加したいと思います。早くローマにご挨拶したくなりましたが、環境次第ですね。



   私は、医学部進学の前に、放送大学の大学院の修了(学術修士・学術博士)が、必要でしょうかね・・?



 それでは、今日も良い日です。この世界中の皆様に神の平安が在りますようにと祈りたいと思います。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

*****************************マタイによる福音書から続き**************************

    律法とイエス

  「あなた方は、わたしが律法や預言者たちを廃止するために来たと思ってはならない。廃止するためではなく、

成就するために来たのだ。あなた方に言っておく。天地の続くかぎり、律法の一点一画も消え失せることはなく、

ことごとく実現するであろう。だから、最も小さな掟の一つでも破り、またそうするように人々に教える者は、

天の国で最も小さな者と呼ばれる。しかし掟を行い、それを教える者は、天の国で偉大な者と呼ばれる。

あなた方に言っておく。もしあなた方の義が、律法学者やファリサイ派の人々の

義に勝るものでなければ、あなた方は決して天の国に入ることはできない」。

******************本日の転記はこれまで***********************

聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月22日 09時02分24秒 | Weblog
おはようございます!!。

今日はかなり雲に包まれてしまった空です。

今のところ、まだまだ、頑張らないことには、先に進めませんので、ちょうど良いかも知れません。

やっと、母の最期の頃の、厳しい状況が、和らいできて、何とか、これからの自分自身の人生に、戻りつつあります。

父は、なんだか、私を、信用しないかのような態度ですが、冷静になれば、私自身は、それなりに、ベストを、尽くしていました。

しかし、昨日の日本全体の私の評価のように、普段から、上からばかり、管理されている社会のために、

謙遜に、他人の話を聞いてしまう私が、一方的な話を、遮らないでいると、確かに今回のように、一方的な損失になります。

私は今まで、人々が、一方的な話をするのは、もしかしたら、経験則として、教会との社会的かかわり方について、

達人的な、知識を蓄積しているのだろうか?、と慎重でしたが、さすがに、大人として、教皇様の退位を、二回も経験すると、

むしろ、大昔に比べて、弱小化したとしても、教会社会の巨大さによって、お互いを正確に知るまでに時間がかかり過ぎると言う

潜在的な大きな問題があるからだ、とやっと気付いたとも言えます。

やはり、この問題解決のためには、かなり社会的に頑張って、「一般」としての揺るぎない行動と実績が、必要と思います。

 私が、公立中学生だった頃、良く先生達が、言っていた言葉「正直者が馬鹿を見る」は、確かに似ている問題だと思います。

私の放送大学での専攻の決定に、心の底で作用していた過去の記憶であったと思います。

  だからこそ、「発達と教育専攻」から入った私が、長い時間見られていたために、沢山の時間と授業料が必要であったと思います。

結果として、心理と教育コースの卒業が、一時的にも、地域の教育者の間では、歓迎された原因と思います。

そして、東京修道院長として亡くなった「G・ミシェル・ガリエピ神父」様の私への指導が、いつも、一方的な人々に対する完全フォローを、

求められた原因でもあるのだと思います。

  その結果は非常に良かったものの、私の精神的負担は一時的に大変でしたが、重大な欠点としては、こうした社会的指導者の交代劇は、

一般社会においても、大きな変動をもたらし、その本質が継続不能な事態の場合には、やはり当事者の大きな努力によって、

その問題を整理するしかないという最も基本的な事態に於いて、あまりに巨大なキリスト教社会の中では、それが正しく繁栄されてくるまでには時間がかかることと、

人間である以上、成長が伴うことによって、さらに、時間がかかったと言えます。

  私は、よく、母の主治医について、厳しい批判を書きましたが、難しいことの要求なのではなく「断定的な病態状況を断定的な態度で行うことへの人間としての

霊的な配慮、神知識の欠如、或は、一般的な家族心理への配慮の欠如」を言っているだけだった。

  それは、「心理と教育コース卒業生」として、」もし、素直にそのコースのみで、人間発達科学の修士課程に学んでいたならば、未熟な日本の医学偏重に、慎重かつ従順な態度で、

きっと担当医の自尊心は保たれ、その横暴には至らず、もしかしたら、今も尚、苦しいながら元気な母を見ていることが可能であったであったろうと思います。

  しかし、それでは、この問題の中核が、無視されたままで、日本の過ちが続けられ、第三の世界大戦を引き起こすまで、気付かれなかったであろうと思います。

結果として、第二次世界大戦の繰り返しの結果に終わる可能性すらあったと心配した私でした。渦中の人物にとってはそのくらい大変なことでした。

それらを考えるとなんで今と思って生き返ってほしいものだとやはり思います。

  私は、今は落ち着いて日々を送っています。そして、貴重な反省と記憶の整理が行われつつ新しい努力に進んでいます。

私自身も、相次ぐ教会の指導者の交代で、軽率な言動を柄にもなく、母にしてしまったこともあって、このような結果に終わりました。

そして、自然と環境での大学院の学習を始めた場合にはどうなるのだろう?と思います。私が40年若かったら絶対に起きなかった心配です。

  これからは、さらに、しっかりと冷静に教皇様はじめ、各指導者の皆様と、私自身の大きくなった力や立場を考えて、より謙遜な言動の中で、力強く生きようと思います。

※後から追加ですが、もちろん、結婚して、しっかりとした家庭を持ち、今後も、学習研究の継続として、現在のそして、将来の希望の学習を続けます。

皆様宜しくお願い致します。・・・OCNモバイルワンは本当に、限界です。なるべく早く改善したいと思います。

それでは、この世界中に神の平安がありますようにと祈りたいと思います。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

**************************マタイによる福音書から続き************************

地の塩、世の光

 「あなた方は地の塩である。もし塩がその持ち味を失ったなら、

どうやってそれを取り戻すことができるだろうか。もはやその塩は何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、

人に踏みつけられるだけである。

  あなた方は世の光である。山の上にある町は、隠れることはできない。ともしびをともして、

枡の下に置く人はいない。燭台の上に置く。

  こうすれば、家にいるすべての人々のために輝く。このように、あなた方の光を人々の前に輝かせなさい。

そうすれば、人々はあなた方の善い行いを見て、天におられるあなた方の父をほめたたえるであろう」。


********************本日の転記はこれまで*********************

聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月21日 13時02分06秒 | Weblog
こんにちは!

  今日は、朝早くに、ブログの準備をしたのに、何度目かの、ウインドウズ10セットアップが作動して、

昨日の夜は、一晩中、OCNモバイルワンを、起動していたため、ぜんぜん、何も出来ませんでした。

その上、やっぱり、ウインドウズ10は、インストールできなかった様子です。

  早く、ひかりに、戻したいし、PCも新しくしたいです。

 とにかく、今の年金の仕事を、早く一人前になりたい、と切に思う今日この頃です。

朝の空を、アップできませんでした、モバイルワンの限界のためです。

   しかし、かねてからの住宅の大掃除も、本当に、最終段階になりましたし、年金業務をしっかりと覚えるように時間をかけれます。

 頑張りますよ!ですから、出来れば、この氷のような環境ではなく、身の回りの人々の心が、やわらかく、温かく変化して、

 良い結婚が、信仰の基準値で出来るように!、もし、出来ましたら、教皇パパ・フランチェスコ様のお祈りに加えていただきたいと思います。

私自身も、教皇様方と一緒に、叙階の恵みにあずかる日がないとは考えませんので、今の状況のベストを選ばせてほしいと思います。

そして、やはり、年取った父と病弱な弟は、二人だけでは、こうして、この家に、置けないので、私の家庭を、一緒に住まわせてください。

母のことでは、『主イエスを信じなさい、そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます』の言葉が重く、自分の不信仰であったかと

思いたいものの、現実は、このあたり、全域、もしかしたら、日本全域の地域の人々の、神の、知識は、不正確で、実際に、本当の知識もないのが、現実であり、

どんなに立派な人々も、高校レベルの倫理社会の教科書程度で、そうであったので、私が、実際には三人分ぐらい考えて、人々からは、見えない、弱く見える動きでした。

   それで、現在のような私の判断になったのです。

  もし叙階を、昔、受け容れていたならば・・・?この家が残ったかどうか・・・?と言うところです。

もちろん、国公立大学の医学部での学習・研究は、ぜんぜん諦めていませんし、実際に十分に可能だと思います。

では、この世界に神の平安が満ち溢れますようにと祈りたいと思います。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

*************************マタイによる福音書から続き***************************

   第一の説教  言葉におけるイエスの権威

5章

   山上の説教

  さて、イエスはこの人々の群れを見て、山にお登りになった。

そして、腰を下ろされると、弟子たちが近寄ってきた。

イエスは口を開き、彼らに教え始められた、

「自分の貧しさを知る人は幸いである。

天の国はその人たちのものである。

 悲しむ人は幸いである。

その人たちは慰められる。

 柔和な人は幸いである。

その人たちは地を受け継ぐ。

 義に餓え渇く人は幸いである。

その人たちは満たされる。

 憐れみ深い人は幸いである。

その人たちは憐れみを受ける。

 心の清い人は幸いである。

その人たちは神を見る。

 平和をもたらす人は幸いである。

その人たちは神の子と呼ばれる。

 義のために迫害されている人は幸いである。

天の国はその人たちのものである。

 わたしのために人々があなた方をののしり、迫害し、またありとあらゆる、いわれのない悪口をあなた方に浴びせるとき、あなた方は幸いである。

喜び踊れ。天におけるあなた方の報いは大きいからである。

あなた方より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」。

************************本日の転記はこれまで****************************

聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月20日 08時00分01秒 | Weblog
おはようございます。

  この頃は、教皇パパ・フランチェスコ様に、挨拶のつもりで、皆に、挨拶が、自然に出来る恵みに、感謝したいと思います。

何十年ぶりかで、町内会の仕事を通じて、近所の人々とも挨拶が出来るし、これで、最初の郵便局勤務時代のように、母が、

健康で、元気であったならば、確実に、旅行も、いつも、新車を持つことも、可能であったと思うけれども、人々の無謀とも言える

私との関係構築の餌食になってしまったとも言える、私の35年の半生になってしまった。特に母にとっては、ひどかった。

私たち家族は、現在の日本のサラリーマン家族の最もはじめの家族であったから、「サザエさん」のようでもあったし、「ドラえもん」の

ようでもあったし、「ちび丸子ちゃん」のようでもあったし、「天才バカボン」のようでもあったし「クレヨンしんちゃん」のようでもあった。

そんな、時々に応じた生活観は、かなり「生きる達人」であったけれども、真剣に、この国のこと、自分の先祖や子孫のことを考えて、

歴史的な問題とキリスト教の研究を通して、政治、宗教、権力、国家や職業を、分析し始めたことで、アルバイト人と大学生生活になった時には、

本当に、一般として生きる人々の「狡猾」とも言える賢さを学んだ。それが良いことか悪い事かは、別として、私には出来ない生き方なのだと悟った。

  それは、自国の危機に際して、政治の世界に入ることを控えて、より国の事務的な、知性的な仕事に、情熱をかけようとした結果であった。

政治にうまく利用されたというよりも、「一般」として生きる人々の、悪く言うと「狡猾」にも近い、賢さ?とその行動に振り回されてしまった。

  それでも、こうして、何とか、再起を期すことができたことに、心から神に、感謝したい。そう考えると、母のこの大病の初めからの時間は、

全くの無意味だし、ある必要のない時間だったと思うとやはり、従来の健康体で、生き返ってほしいものだと思うし、

この地域の郵便局に戻って、本来続けていた、まじめな勤務時間と邦人として、人々に対して、情熱をかける人生に戻ってほしいと思うこともある。

   しかし、悔しいけれど、何もなかった人生で、順風満帆の国家公務員であったときに比べて、今は、人の前で控えめであり、賢い判断と

人に注意出来るであろう力と人前での力強さが身につきつつある。

  やはり、これでいいのだろうか?・・・・「渦中の私」には、まだ判断できない。

  そして、今尚、深く感じることは、かなり昔、TV司会者の「タモリ」さんの言った『日本の恐ろしいズンドコベロンチョ』の問題だ。

若い時の私は、上智大学の講座や法政大学・早稲田大学・慶應義塾大学・日本大学での授業に興味を持ちつつも、

やはり、国家公務員として、自分の生まれ育った居住地に、深い関係のある東京大学と東北大学と北海道大学と新潟大学と筑波大学、(福島大学)に、より深く敬意を持っていた。

  その結果として、どの大学の授業レヴェルも受けられて、満足できる『準国立大学としての放送大学教養学部』で、最後に落ち着いた。

 今後も、今、『担当する年金の仕事』の活躍を終え、年をとってからでも、国・公立大学の医学部での研究ができることを、希望に持っていたいと思う。

  それから忘れそうな、NTTをまとめ社長?になる仕事、政治・・・多すぎですね・・・?。まっ取り合えず神にお任せ!なんてね。

今までのように、どんなに苦しんでも、やはり、生まれ育った地域の福島県立医科大学医学部か東北大学医学部での学習・研究が、私に合いそうだ、とまだ思う。

もちろん、経済力と自分の準備が間に合えば、東京大学や東京医科歯科大学や、千葉大医学部、筑波大学も違和感なんて無い。

   結局は、戦争の関係で、小学校のみで、就職した父母の世代に大事にされることは、自分以外の殆んど全ての大人に使えさせられることでもあった。

そのために、学習に理解のある親なのに、今では違和感を持つ人々にも使えさせた。それが私の苦労の中心問題だった。

もちろん、今になってみれば、それは良いことだったと思う。外国人宣教者の指導では、地域生活では、孤独を、教えられたが、そのための、知的に、大きな恵みもあった。

これからは、仕事と学習・研究と結婚に全力を注ぎたい。婚期を迎えた皇族の皆様にも豊かな恵みを祈ります。私はその点をどう考えるべきでしょうね・・?

それでは、この世界中に、神の平安が充たされるようにと祈りたい。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

************************************マタイによる福音書から続き***********************************

   大勢の病人の癒し

  イエスはガリラヤ全土を巡り、会堂で教え、天の国の福音を宣べ伝え、

民のすべての患いや病気を癒された。

そこで、イエスの評判はシリア全体に広まった。

  人々はさまざまな病気や苦しみを抱えた者、悪霊に憑かれている者、

てんかん、中風の者など、あらゆる病人をイエスのもとに連れてきた。

イエスは彼らを癒された。

多くの人々がガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダンの向こうから来て、イエスに従った。

*************************本日の転記はこれまで**************************


聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月19日 15時05分06秒 | Weblog
こんにちは!

今日は、仕事の勉強やら、洗濯、なにやら?でほとんどまだ色々途中半端・・・。

コインランドリーをあえて使う私は、今日見かけた若い女性に声をかけなかったことを、かなり悔いちゃうな・・。

なかなか、一見して、普通の女性と分かる場合が少ないから・・・長年の母の介助のパターンで、人に声を、かけるのが苦手になった。

これからは、一日ごと、そんなことも、できるようになろう、と思います。

では、この世界中に、神様の平安が、ありますように、と祈りたいと思います。

まだ、オリエンス宗教研究所の聖書入門講座を時間を見つけて始めようと言うところなので、なかなか、たくさん祈れません。

少しずつ、結婚の祈りもしなければと思います。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

***********************マタイによる福音書から続き*************************


最初の弟子

  さて、イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンと

その兄弟アンデレが、湖に網を打っているのをご覧になった。二人は漁師であった。イエスは仰せになった、

「わたしについて来なさい。あなた方を人を漁ろ漁師にしよう」。二人はただちに網を後に残して、

イエスに従った。さらに進んでいき、ほかの二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で、

父ゼベダイとともに網の手入れをしているのをご覧になった。イエスはこの二人に呼びかけられた。

彼らもただちに舟と父を後に残して、イエスに従った。

**************************本日の転記はこれまで****************************


聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月18日 11時41分33秒 | Weblog

こんにちは!

今日も良い天候です。先ほど、主日ミサから帰りました。教会では、いつもながら、近所の人々が集まって、なかなか盛況な教会バザーのようです。

私も幸いにも、オリエンス宗教研究所からの紹介状を頂いたので、(写真は修了証)これからは、私にも一定の立場が出来ると思います。



本当に、わたしたち人類は、世界中が、お互いにキリストの体ですね。

社会的立場によって、お互いに助け合う事ができます。

まさに、神に感謝です。

後は、一生かかる、私自身の聖書研究のためにも、自分自身のカトリック生活のためにも、改めて、ずいぶんと、昔でしたが、一度は、やったことがある

聖書入門Ⅰ・Ⅱと今回初めて?何十年ぶりかで取り組むNHk新約聖書を読む・旧約聖書を読む、の合計四講座を、もう一度、自分自身の日常生活の基礎にすえて、

すなわち、しっかり、と改めて、学んで、講座を受講し切って、私自身の生涯の学習・研究とカトリック生活に生かして行きます。

私も、早く、冷静に、自分自身の結婚生活を、創らなければ!と心引き締めています。

そして、私の人生が幸運ならば、きっとUK、USA、ローマ法王庁、ロシア政府を、訪問したり、まだまだ先ながら、

聖書研究、生活研究の一貫として、放送大学二回目の卒業後に、国・公立大学医学部に進んで、今までにはなかった考え方を、論文と実績で、

公開することになると思います。※ただし、すぐに医学部に行くのではなく、年金の仕事を存分に義務を果たして、NTTは・・?それからになりますが。

さらに、プラス上智大学神学部か総合人間科学部でも良いわけですが・・・。今後に期待したいと思います。


それでは、この世界中に、神の平安が、満ち溢れますようにと、祈りたいと思います。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

**************************マタイによる福音書から続き******************************

   宣教開始

  さて、ヨハネが捕らえられたと聞いて、イエスはガリラヤに退かれた。しかし、ナザレを去り、ゼブルンとナフタリ地方にある

湖畔の町、カファルナウムに行ってお住みになった。

こうして、預言者イザヤを通して告げられたことが成就した。

「ゼブルンの地、ナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダンの彼方、

異邦人のガリラヤ、闇に住む民は大いなる光を見た。

死の陰に覆われた地に住む人々に光が昇った」。

  この時から、「悔い改めよ。天の国は近づいた」とイエスは宣べ伝え始められた。

******************************本日の転記はこれまで*********************************







聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月17日 10時13分26秒 | Weblog
おはようございます。

明日は、教会のバザーがあるようです。

私は、今年は、バザーには全く関係しておりません。・・・いつものことですが。

従来の祈りや、聖書研究が、中心の私のカトリック生活では、なかなか、学校文化中心の、現在の日本では、受け容れられません。

それでも、私の、大学の学部生活を、終えることが間じかになって、非常に楽に自然科学や社会科学の研究が、出来るようになりつつある。

そんな、私であっても、多くの人々に、もう少し、優しさのかけらが、見えたなら、バザーに、出せる良いものもないでもないのですが、・・・

と書くと、また私の僻みだと言う人ばかりになりそうだから、一切関係ない問題には、ふれない事としよう。

さて、今日も良い天候ながら、そして雲も多く、もしかして、面白い形の雲がとれるかもしれないけれど、

今日もこの世界に神の平安がありますようにと祈りたい。

今日も遅く起きた。これから仕事のコンディションを整えるため引き続きの大掃除の予定。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

*******************************マタイによる福音書から続き*******************************

   荒れ野での試み

四章

  さて、イエスは霊に導かれ荒れ野に行かれた。それは悪魔によって試みられるためであった。

そして、四十日四十夜断食した後、空腹を覚えられた。すると、試みる者が近づき、イエスに言った、

「もしあなたが神の子なら、これらの石がパンになるよう命じなさい」。イエスは答えて

仰せになった、「『人はパンだけで生きるのではない。神の口から出る全ての言葉によって生きる』

と書き記されている」。

  次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れていき、神殿の頂に立たせて、言った、「もしあなたが

神の子なら、ここから身を投げなさい。『神はあなたのためにみ使いたちに命じ、あなたの足が

石に打ちあたらないよう、手であなたを支えさせる』と書き記されている」。

  イエスは仰せになった、「『あなたの神、主を試みてはならない』とも書き記されている」。

   さらに、悪魔はイエスを非常に高い山に連れていき、世のすべての国々とその栄華を見せて、

イエスに言った、「もしあなたがひれ伏して、わたしを礼拝するなら、これらのものをすべて

あなたに与えよう」。そこで、イエスは仰せになった、「サタンよ、退け。『あなたの神、主を礼拝し、

ただ主のみに仕えよ』と書き記されている」。そこで、悪魔はイエスから離れた。すると

み使いたちが現れ、イエスに仕えた。

*******************************本日の転記はこれまで*******************************


聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月16日 08時35分53秒 | Weblog


おはようございます!!

今日は、昨日の疲れ?か8:00頃に起きたので、早朝ミサには行きませんでした。

今日の写真は昨日の朝の快晴の空の下にお祭りだった八幡神社の森が写っています。

昨日の朝取った写真と前回のミサの前に取ったカトリック教会の祭壇の写真で、当分行けそうですね。

自分自身が、昨日の夜のビールに酔った感じで、何も判断がつかなかった昨日でしたが、

私自身はより真剣に、信仰生活を極めながら、仕事と学習研究に励もうと改めて決心しました。

そして、問題は、私自身の本当の結婚を決めるためには、何が必要なのかを良く考えたいと思います。

もちろん、ローマの教皇様や、USA、UK政府など訪問出来たら良いのですが、収入が全く足りません。

たぶん結婚することで、ほぼ、私の生活は、外部に向かって、自分の生活は、公的なので、非常に助かると思うのですが、

一日も早く、結論を出せるように、宜しくお願い致します。

この世界中に神の平安が充たされるように祈りたいと思います。

Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti

*****************************マタイによる福音書から続き********************************

   イエスの受洗

  そのころ、イエスはガリラヤからヨルダン川にいるヨハネのもとに来られ、彼から洗礼をうけようとされた。

しかし、ヨハネはそれを思い留まらせようとして言った、「わたしこそあなたから洗礼を受けるべきです。

あなたがわたしのもとにおいでになったのですか」。イエスは仰せになった。「今は、

止めないでほしい。このように、なすべきことをすべて果たすのは、わたしたちにふさわしいことだから」。

そこで、ヨハネはそのとおりにした。イエスは洗礼を受けると、すぐに水から上がられた。

すると、みるみる天が開かれ、神の霊が鳩のようにご自分の上に降ってくるのをご覧になった。

そして、天から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。

*********************************本日の転記はこれまで********************************

聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月15日 21時15分32秒 | Weblog
こんばんは!

先ほど仕事の集りから帰ってきました。写真は、朝、出かける時、駅側から取った、公民館と八幡神社の森です。

出かける時も非常に晴れていました。

私も何十年ぶりかで、大量のビールを飲んでしまいました。

明日、無事に、起きられればいいのですが・・・。

私も早く結婚を決める必要があるのですが・・・。

とにかく一つひとつ、しっかりとがんばってゆこうと思います。

この世界中に神の平安がありますように!!

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti.

**************************マタイによる福音書から続き***************************

   ファリサイ派とサドカイ派の人々が、大勢洗礼を受けにきたのを見て、

ヨハネは彼らに言った、「マムシの子孫よ、来るべき怒りから逃れるように、誰が教えたのか。

悔い改めにふさわしい実を結べ。『われわれの父はアブラハムである』と、心の中で思っては

ならない。わたしは言っておく。神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを造ること

がおできになる。斧はすでに木の根元に置かれている。だから良い実を結ばない木はすべて

切り倒され、火に投げ入れられる。わたしは水で、あなた方に悔い改めの洗礼を授ける。

しかし、後から来られる方は、わたしよりも力ある方で、わたしはその方の履き物をお脱がせ

する資格もない。その方は聖霊と火で、あなた方に洗礼をお授けになる。その方は手に箕を

持ち、麦打ち場の麦をふるい分け、麦を倉に納め、籾殻を消えることのない火で焼き尽くされ

る」。

*********************本日の転記はこれまで****************