香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月30日 07時38分18秒 | Weblog
皆様おはようございます。

暫く、GABA(抑制系の能内伝達物質のようです)を飲んでいますが、なかなか良いようです。

弟にも試してみるように勧めてみたら、これもまた良いようです。

思うに、母のことや、年齢的に高くなって、心配事が増えたことを思うと全てに良く働いたと感じます。

昔、元気な母にもあげられたら良かったと思います。今それなりに元気な父は、頑固だから・・・?飲まないかもしれない。

USAの研究ばかりが、成功したとは、言えませんが、これは、今のところ本当に良いです。

副作用があるかどうか分かりませんが、実際に本来は脳内にあるものなので、大丈夫かもしれません。

まだまだ試してみますが、ストレスや過敏になっていたり、高度過ぎる研究で疲れた方、家族の心配などで疲れた方には本当にお勧めだろうと思います。

私が個人輸入代行で、USAのGABAを大変安く手にい入れられれますから、教皇様はじめ、心の応援をいただける方、私の生活費のサポートのために

必要な方、企業、薬局などや、もちろん個人も必要な方に出会えるようお祈りください。ただし前金です。

私も早く、多少お金持ちになって、多くの国々を訪問したり、教皇様やUSA大統領にたびたびお会いで切れば幸いに思います。

この製品は特に、司教・司祭はじめ、まじめな信仰者にとっては、すばらしい効果があると私には思えます。

それでは、ようやく今日は、国民年金案内の仕事の集りです。まもなく、本格的に稼動します。

どうぞご期待ください。そして私の結婚や医学部進学のためにもお祈りお願いします。

もちろん東京大学医学部に不満は無く、結婚のお相手によっては、そんなことが起こっても、良いと思います。

一日も早く、正しい判断が出来るよう、確実な出会いをお祈りください。

私は神には、できれば元気な母が生き返って神を証明してほしいと思いますし、母は、今、天国であると信じます。

では、この世界の全ての人々に神の愛と慈しみと恵みをお祈り致します。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

**********************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き************************

  しかし、彼はその反面、「罪と悪がどれほどわたしにあるのでしょうか。私の咎を示してください」(13・23)、

と神に嘆願し、また、もし「わたしが過ちを犯したとしても、あなたにとってそれが何だというのですか」(7・20-21)、

とも祈っています。ヨブのこのような祈りがどれほど不完全であっても、彼が神を信じ、神に深い信頼を寄せ、

助けを求めていたことは明かです。

このように考えると、ヨブはやはり「信仰の人」だったのです。


   第二章  ヨブへの神の答え

1 ヨブが期待していた神

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聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月29日 08時19分43秒 | Weblog
皆様おはようございます!!

今日から、数日主任司祭が、仙台での黙想会で不在のため、早朝ミサが無いとの事。

それ故に、数日間は、私も、私らしい柔らかい文章で、・・・とは言っても、主任司祭が過激な人なのではなく、

早朝ミサでの説教で、様々な問題を派生して考えるので、色々と、厳しく見てしまう傾向はあるかなと思うから。

確かに、安倍総理のことは、努力する青少年にとっては、かえって、「いい優良な大人」として映っているここと思うし、

東日本大震災、災害時に、物資を集めて、トラックを運転して訪問するなどは、私も個人として立派であったと思った。

ただ、心配しすぎであったかもしれないが、疑いも残った。

それは思い過ごしであったのかもしれないが、私は何十年もやっとの生活で、身動き取れなかったことを思うと

やはりかなり精神的に参っていたともいえる。

今後は、USAの皆さんのこともあるし、全力疾走するように心がけたい。

もちろん、キリスト教社会での苦労や努力の中で、私の特異な体験や研究心は、どうしても必要なものばかりだし、

何よりも、自分を信じられる人々を見捨てて生きるのは、罪になってしまう。

何とか、今後の問題を正しく整理して、国民年金案内業務の正当な評価の延長で、

USAやUK、その他の訪問が、かなうことを期待したい。

また頑張って、その延長で地域社会からの評価も得て、数年後の確実な進学で、福島県立医科大学医学部での研究成果につなげたいと思う。

皆様宜しくお願い致します。この世界中の全ての皆様に神の恵みと平安がありますように、お祈り致します。

Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti

*********************************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き*************************************

  たしかにヨブは、信仰と闘い、この信仰にゆえにこそ、神に不平を言い、批難さえ繰り返してきました。

しかし、それでもヨブは、ただの一度も、神を否定したことはありませんでした。たしかにヨブは、完全な虚無主義に

陥った時がありました。しかしヨブの虚無主義は、神の存在を信じるがゆえの虚無主義だった、とわたしは考えています。

ヨブは、どれほど深い、深刻な虚無主義に陥っても、あくまでも神を信じ、どこかで神に助けを祈り求めていました。

  たとえば、それまでヨブはたしかに、自分の無罪を主張していました。

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聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月28日 08時17分55秒 | Weblog
皆様おはようございます!!

今日は、久しぶりで、早朝ミサに出かけた。

久しぶりと言っても、結構時々、出ているけれど、昨日は、偉そうに書いたものの、

インターネットでニュースを見ているうちに、大人情報?に目が行ってしまい、

夜遅くまで、基本的に興味も無い?変な写真をいつまでも見てしまって、心の良心の働きで、

大いなる反省を促されているから、「久しぶり」と書いたのだ。我ながら困ったものだと思う。

(とは言え、長いこと男女?の友人がいないから、彼らの行為は魅力的に見えるし、

実際に、理想に近い太祖アブラハム夫婦のように、・・・ただし、私ならば神に信頼して、妻を妹などとは、

どんな場合でも、言えないし、言ってはならない、むしろ果敢に、

力あるものに負けないための信仰を持つのが正しい・・・実際に肉体的なことで、

結婚した男女が、楽しめるならば、極めていいことだ思うし、心をしっかり持つことで、

他の力ある者や上位の聖職者に対して、不徳にはならず、むしろ、それらの責任を持つことで、

社会的にも信頼を得られると自分自身、考える)

冷静に考えて、UK、USA、の一部の人が「結婚は邪悪だ」との意見に対して

「私はそうは思わない」と書いたとおり、冷静な愛を持ち合わせているけれど、

近年の日本の「性の解放」としか言いようの無い無造作な性活動と、反面、

女性達の「行き過ぎに感じるプライド」との板ばさみで、私は、自分自身の結婚相手を

決めるために、情報を集めるために女性達と話すのが怖いほどだ。

そんな年月が、30年続いてしまった。

今まであったことは、自分自身に自信がついてきたから、もう無いと思うけれど、

しかしながら、今まであった事は、これからだって、同じ可能性を否定できないから

私がいつも書く「神は何よりも神を信じないことによる恐れを忌み嫌う」に反した、

しばしばある、大人情報の過剰な鑑賞時間に明け暮れることに繋がっている。

それは自分自身の理論の正しさの自信と共に、人間ゆえの非常な弱さに自分を

巻き込んで、しっかり自分自身に立っていないことを思い知る。

日本の学歴序列に、巻き込まれているのかなとも思う。

そう考えると、しっかりと気を引き締めて、日々の暮らしで、祈りや、仕事と学習研究に

励まなければと、もう一度、正義と愛と神の力を頂きつつ、結婚して、

それらの社会的責任を持つ思いを強くする。

日本社会的には、東京大学医学部で、人をも寄せ付けないほどのプライドで、高度な研究と

その成果を人々に還元しながら生きてほしいのだろうけれど、人間は、ひとりで生きるものではないから、

自分自身をしっかり引き締めて、聖書や信仰に立ちながら、人々との厳粛な関係と

親しみのある関係を築きながら、あらゆる学問研究に根ざして、居住地の福島県立医科大学

医学部に進学して、頑張るのが、私には、正しいことだと思われる。

もちろん、しっかりと時が来るまで、公共の福祉の仕事として、国民年金案内の仕事を頑張らなければならない。

長くなってしまった。皆様お許しください。

この世界に神の愛と恵みと慈しみと平安がありますよう心から祈り求めます。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

**********************************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き*****************************************

  しかし、これにはそれだけの理由があります。

この詩編作者は、自分自身のことを、「わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥」と公言しています。

彼自身の言葉を借りると、彼を見る人々は皆、「嘲笑い、唇を突き出し、頭を」振って、「主に頼んで救ってもらうがよい。

主を愛しておられるのなら、助けてくださるだろう」、などと嘲ります。

彼らの言葉は、そのままヨブに向けられたそれであり、後で、十字架のイエスに容赦なく投げかけられるそれでした。

  しかしこの詩編作者が、このように自分の苦悩を具体的に、生々しく表現するその意図は、野獣のように激しく

自分に襲いかかる悪や悪人から救ってくださるように、と神に祈るためでした。

だから彼は、「主よ、あなただけは、わたしを遠く離れないでください。わたしの力の神よ、今すぐにわたしを助けてください。

わたしの魂を剣から救い出し、わたしの身を犬どもから救い出してください。・・・・。」(20-21参照)、と

声を限りに祈り続けます。そしてこの詩編作者は、神への感謝と、絶対的な信頼の言葉で、この詩を終わっています。

この詩編の作者の意図は、初めの熾烈な言葉とは異なって、神への深い感謝と、篤い信頼の詩です。

この点が、ヨブには見られない、詩編作者の、深い信仰の表現です。

  とは言っても、わたしは、ここでヨブの信仰を、詩編二十二の作者のそれと単純に比較して、後者の信仰が、

前者のそれに勝っている、などと言おうとしているのではありません。


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聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月27日 12時36分03秒 | Weblog
皆様こんにちは!!

今日は主日ミサ。

先週の「福島県カトリックの集い?」をサボって?(実際に主任司祭は、郡山に残って、地域ミサの司式してくれたし、私も侍者をした)

と言うより、サボったのではなく、家のかたずけに急がしかったので、

申し込みをしないでしまっただけだ。ただ、母の急変からこの方、特に、このような意識のズレが多い。

もちろん、教会を取ってみれば、初めから意識はずれていたが、「私の公式の洗礼は1989年」などと

公表する以前に、沢山の努力と教会に慣れる生活体験を持っていて、(実際に洗礼も何回も経験してしまった)

記憶は、そのハイレヴェルなところばかりを、つなげるとゼロ歳からになるのだけれど、

それらの内で、他の信徒の人々との交わりについては、本当に薄い関係としか感じていない。

それほどに、日常の私の生活は、父母やその他の近しい皆から、大事にされてきたし、何よりも

その中には、神ご自身とイエス様・マリア様が含まれる。

話は飛ぶけれど、安倍総理も、実際に「気さくで良い人」と言いたい人々も居ようが、これまでの政治の進め方を、

振り返って、概観すると、決して本人が言うほど完璧なものではなく、むしろ、高レヴェルで、反論以前の問題で、

今後、確実に必要かもしれないものを、かなり無謀に推し進めた感じが強い。少なくとも私はそう判断している。

とは言え「日本軍」(高度な自衛隊業務・国防技術は、必要と思う)は、いらないように思うけれど。

私たち家族ならば、生まれ育った地域だからこそ、何とか受け容れる事ができた「人々の冷酷」にめげないで

社会活動をし、「母と共に、また私と共に苦しむ母」と父と弟、そして、母と子の努力の結果であったと思う。

決して、安倍総理やUSA・UK市民の中でも、楽観視した人々が書いたような日本の社会情勢ではないようだし、

日本の科学技術も、私が、世界の全ての人々に対して自信を持ってお勧めできる「私の心理分析」的に私が考えると、

かなり危うい日本の科学界だし、一方では、私たち親子に対して、協力的に外部から見えたとしても、

決して、そんなことはない親族関係者達であったと思う。科学的な思考が、今、危ういのは、

日本だけの弱点では、ないかもしれないが、かなり厳しい判断をすると、偶然(実は神が与える)の科学技術、政治手法の発達意外には、

今後の、世界の発展は、望めないかもしれないと、心から思う。

それだけに、私自身も、今後、精一杯に努力するけれど、人々の中の良い部分まで摘み取らないように、

前回書いたように、どんなに苦労しても、今の国民年金の仕事を主体に生活しつつ、福島県立医科大学医学部への

進学を果たして、日本の、世界のカトリックの深い教えを、生かしつつ、

医学者として、大成できるよう、全ての、それらに関わる人々との連携を、強めて行きたいと思う。

早く放送大学二回目の卒業や私自身の結婚をしたいと思う。

母の奇跡の生還を期待しつつも天国での憩いを信じつつ奇跡を待ちたい。

私に、早くこれらの基礎として、カトリック墓地の取得や結婚、医学部進学が、成し遂げられることを、

約束し、神にも、全ての皆様にも願い求めます。

もちろん、国民年金案内等の成果は、しっかり働いて、出します。

この世界に、神の愛と慈しみと恵みと平安が、満ち足りるよう、心から祈ります。

教皇フランシスコ(パパ・フランチェスコ)一世様、天皇陛下におかれましても、

どうか、お心に留め置きくださいますようお願い致します。

私も皆様のためにもお祈り致します。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

******************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き***********************

  4 ヨブの信仰

  旧約聖書に登場するほとんどの預言者たちも、ヨブに勝るとも劣らないほどの、

熾烈な試練や、激しい迫害を受け、苦悩し、そのときの心情を、ありもまま神に向けて訴えています。

しかし彼らは、けっしてヨブのように、自分の無罪を主張したり、

神を厳しく攻め立てたりするような言葉を言ってはいません。

たとえばその一例として、詩編二十二に目を通して見ましょう。この詩編は、

十字架上のイエスご自身が、ご自分の祈りとして唱えられた有名な詩編ですが、

まさに苦悩する詩編作者自身の、代表的な詩です。

  作者はまず、「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのですか。

なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず、呻きも言葉も聞いてくださらないのか。

わたしの神よ、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙することをお許しにならない」(22・1-3)

という悲壮な言葉を神に向けています。

*****************************本日の転記はこれまで*******************************

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月26日 07時59分10秒 | Weblog
皆様おはようございます。

 今日は、知らずに早朝ミサに出かけて休みだった。

雨も降っていたので、今日も休もうかとも思ったが、当てが外れてしまった。

 しかし、ある意味、なんとなく、心の曇りが晴れてきたようにも感じる。

弟は今、社会的弱者でもあるので、可能ならば、無理のないアルバイトをしてでも、

早くお金を返してやろうと思うようになった。


  もちろん、本業にしていただいた(つまり神が選んでくださったと思われる)

国民年金案内の仕事で、そうなれたら最も良いことだが、今後に期待しつつも冷静に日々を過そうと思う。

急にですます調を離れたけれども、これからは、こうして適切な表現を追い求めて、自分の定番の表現を

形成したいと思う。

  さて、今日は、その様な訳で、心配の絶えない地域教会ながら、まだまだ、実力不足を思い、

日常生活の安定と興隆に尽くしたいと思う。今誤って、司祭への道を歩み始めても

今までの様々な努力が、道をそれさせると思われるからだ。

ここは冷静に、多少心が狭くとも、公共の福祉の仕事をしつつ、放送大学二回目の卒業を無事に迎え、

仕事と交遊と学習・研究、そして福島県立医科大学医学部への進学を果たしたいと思う。

いつも心に正直にしつつ、しっかりとした結婚も志したいと思う。それは一日も早く実現したい。

博士を取れたら尚良いけれど、やはり最近の経験から、開業医を目指したい。

年を取り過ぎたという事は無いと思われるし、むしろ必要であったと考えられる。

何にしても、キリスト教の本質を分かってもらい現実的に平和や平安な厳格な日常生活の実践が、

実に平和で、正しく、優しく生きられ、科学的でもあることが理解されることを期待したい。

この世界に、神の慈しみと愛と平和と恵みがありますようにと祈りたい。

私の母の上にも同様にそれらに充たされ、天国での安らぎを得るよう祈りたい。

Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti

*******************************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き*************************************

そしてヨブはついに、「どうか、過ぎた年月を返してくれ、神に守られていたあの日々を」(29・2)

とさえ主張し、「なぜ、神は愛する者が、神の目を見ることができないのか」(24・1)と、神の不正を

批判しています。少なくともこの点に関して、わたしたちはヨブに賛同することはできません。

たとえわたしたちが、どのような過酷で、厳しい試練に直面しているとしても、しかし、だから

「わたしたちは神に嫌われている」とか、「神がわたしに懲らしめを与え」、「神がわたしの人生を

台無しにした」などとは、決して言ってはならないことです。

*************************************本日の転記はこれまで****************************************


聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月25日 08時30分17秒 | Weblog
皆様おはようございます。

今日はこのあたりは、早朝から雨。

早朝のミサはサボってしまいました。(前日の疲れか?寝坊ですが)実は昨日もなんとなく寝坊?でサボったのですが・・。

そのせいか?昨日から母が、苦しんでいる時の様子が思い出されて少し辛くなった。

もちろん、今、多くの皆様と共有のために転記している「ヨブ記を読みなおす」で確かに安らかではあったものの

自分自身も勝手な思いを書けば、母も比較的に多くの人々がいる教会からの訪問を心待ちにしていたけれど、

約20年近いなか・・・この5年間でも人が来てくれた記憶がない。

しかし、私自身は、結構良く祈り、人々には愛想良かったようにも思う。

ただ確かに、私は大学の授業や図書館にはまじめに出かけていたし、NTTに行っていた時はあまり行けなかった。

母の苦しみもそこにあったようだ。

亡くなる一ヶ月前に、私の服の胸をつかんで暴れられたときは、辛かった。

奇跡を願うには時間も沢山経ったけれど、そして、母も私も年をとってきたけれど、何かはっきりとした奇跡がほしいと感じてしまう。

私ももっと人々に信頼して、司祭として有名になったら解消できる問題なのか?とも考えてしまうが、

それでも、やはり、日本の歴史は、私にこれから、遅くなってでも医学者としてサポートする気持ちにさせる。

そこまで日本人の?大抵の日本人の生活は、自立的なある種高度な精神では生きていない。

政策の中心に合わせて若者が、自分自身のためにがんばることで何とかつじつまを合わせているけれど、

現実の心の問題は、深く厳しく、答え・出口のないと感じる日本の一般的な人々の心境だと思う。

自分自身「回心」の深い意味を、生活の中で、人々に教えて大丈夫か?とまだまだ感じる今日この頃だ。

神の愛と慈しみと恵みと平安がこの世界中に満ち溢れる日が来ることを願いつつ今日のブログを終えたい。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti


*************************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き****************************

このように、神の不公平を神に強く訴えるヨブの心中には、当然、

神に完全に忘れられ、見放されて、今や不幸な日々を送っている、惨めな自分自身があるからです。

このように恵まれ、祝福された毎日を過しているその人々は、呼ぶとは正反対に、神に向かって、

「ほっておいてください。あなたに従う道など知りたくもない。なぜ、全能者に仕えなければ

ならないのか。神に祈って何になるのか」、と主張していた人々です。

しかも神は、かつてヨブに対してなさったように、彼らから財産を奪い去るようなこともせず、

彼らが幸せに生きることを許しておられるからこそ(21・13-16参照)、ヨブは神の不公平を

厳しく咎めるのです。

******************************本日の転記はこれまで*******************************

聖書の親しみ  「『ヨブ記』をよみなおす」から

2015年09月24日 09時57分06秒 | Weblog
おはようございます!

実は、昨日の夜遅くまでかかって、オリエンス宗教研究所の4講座めを終えた。

そこで、やはり、挨拶は、自分自身の立場上、全ての人々に対して、

日本の皇室、私の真実として、ローマの教皇様、創始者のイエス・キリスト様、そして、何より、全世界の全人類が知る全能の父なる神を通じて、

意見を書いたり、愛し合ったり、議論していることを、心の底から痛感し、また信じて言動したいので、

今から、極力、丁寧な言葉を使いたいと決心した。

しかし、全世界レヴェルで、私も十分な年長組みに入ったと思われるので、プライドを持って「ですます調」は、可能な限り避ける。

教皇フランシスコ様、ベネディクト16世様、そして、多くの力ある諸先輩方、

UK、USA、CANADAの諸先輩方、ご指導宜しくお願い致します。(もちろん、その他の国々の諸先輩方にも、お願いします。)

ところで、母の思い出の中に、私が郵便局の郵便配達に苦労していた頃、もちろん母はまだ若く、体も健康であったけれども、

良く私の苦労をねぎらって、入浴中の私の体を洗いたがったが、私が嫌がって鍵をいつもかけていた。

この頃気のせいか、私の入浴中、人が歩く音がする。父と弟ならば、トイレのはずだし、母なのだろうか?と思いたくなる。

そんなことが何度も続いている。長年カトリック研究をして、重大な問題点を知りつつ、

本当に心の底から気遣いながら、カトリック改宗を導きたかった私なので、今回の母の死は、その病の時からすでに痛恨の苦しみであり、

これは、もしかするとと思わずにはいられない。思えば私は、カトリック教会に熱心に通う前から、自信を待たないまでも、

冷静に、医学部での精神医学研究を、年老いてからするよう心に描いていたし、いつも努力していた。

今は幸いにも、教会を子供の時に離れた原因究明の手助けになった教育学・心理学・諸環境科学理化学を学ぶ。

教育学・心理学の学部での卒業をし、諸環境科学・理化学も。区切りとして、学部卒業も近い。

近年のこの地方では、キリスト教徒は、苦しめるだけ苦しめても、いい結果になると、信じられていた感じがある。

それは難民を生む環境にも影響したと思われる。私のように、現代にも、人間の姿でイエス様が現れ、言葉をかけるという現象に

出会った話は、世界中でも、ほとんど聞かないからだ。

教皇様や地域の司祭や司教には、悪いと思えても、今のところは、そんな過ちと甘えを起こさせないために、

適度な他の教会員との距離が必要なのと、本当に正しく思える結婚を心がけたい。その意味では、司式と司牧司祭にとって、

私が非常に、世間的な嫌な信徒のように、しばらくは見えると思うけれども、皆様お許し願いたい。

私もなるべく、理性的に、冷静に、現在、将来とも結婚して役立つ関係かどうかを、一人ひとりの女性について判断したいと思います。

もちろん世界中すべてということは出来ないし、限られている?のか?すべては、神の御心によると思われる。

しかし、一日も早い結論を出さないといけないし、そう出来ないならばそれは、私の怠りよっていると考えられます。

「頑張る」は、この場合、相応しい言葉ではないと思われるけれども「頑張る」事を約束したい。

私が司牧のために、今、司祭を目指すことは、全てを元に戻して、また日本や世界に混沌を生むことだと深く認識しています。

それは、私の理性的な社会生活から充実をし始めた今の社会であって、自発的な充実ではなかったからだ。

もし、私が、人々からの私への苦しみを覚えた憎しみならば、司牧や司式ができる司祭・司教へ招かれる可能性もあると認識している。

ただ、今のところ冷静な私は、現在の仕事の行政のサポートや、その他の可能性としての、教育学者や自然科学者としてのサポートや

精神医学者としてのでのサポートが、客観的に相応しいし、現代の社会には、必要と感じている。

それは、私の冷静で、客観的、理性的な社会生活の努力の結果、充実してきた今の全世界の全ての社会生活だから、

もし、これらを、止めてしまったら、全世界の、全ての良い努力が、おしまいになってしまうだろうから。

全世界に、神の愛と慈しみが、豊かに注がれることを祈りつつ、今日のブログを書き終える。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

********************************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き************************************

彼は、次のように厳しく神を訴えています。

「なぜ、神に逆らう者が生き永らえ、年を重ねてなお、力を増し加えるのか。

子孫は彼らを囲んで確かに続き、その末を目の前に見ることができる。

その家は平和で、何の恐れもなく、神の鞭が彼らに下ることはない。

彼らの雄牛は子を生んで、死なせることはない。

彼らは羊の群れのように子供を送り出し、その子らは踊り跳ね、・・・・」(21・7-12)

******************************本日の転記はこれまで********************************

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月23日 07時35分08秒 | Weblog
おはよう!!ございます。

やはり、早朝のミサに出ると、俳優の故丹波さんの教え同様に、教皇様に書いているつもりでとなるのかもしれない。

親しみを求められていると思いつつも、結局は、人類と言う枠から考えれば、私のキリスト教徒の立場を考えれば、

なんでも教皇様を通じて、社会の人々に話している意識は必要なのだろう。

丁寧に越したことはないと思いなおした。

まだまだ自分自身についてまで思い過ごしは多い。

当然のことながら、やはり全力で生きようと思う。

もう少し母を助け、救いたかった。母の違和感に気付けなかったのかもしれない。

きっと、息子の私が思う以上に、良く解っていたのだと思う。

まだまだ、母から多くを学んでいる日々が続くのだろう。

自分の未熟が問題であったと思うと、そして、多くのほかの信徒さんたちに対しても同様に、そんな面が強かったのかと思うと、

新約聖書から、母にも完全な癒しを頂いて、健康に生き返って、神の愛を人々に示したい思いに充たされる。

信じられないことが起こるよう期待しつつしっかりと生き抜こうと思う。

いつも、教会の奉仕者としての司祭になれたらと、思うこともあるが、自分の愚かさを思うと、

やはり努力して、神に愛される人間の生活を、日々考え創り上げたい。

「結婚」は、「邪悪だ」という意見が、UK、USA市民からフェイスブックに出ていた事があったけれど、

そんなことはないと信じたいと私は思う。この世界に平和と正義と恵みがありますよう心から神に祈りたい。

そして、一日も早く正しい心と姿勢とを持って、しっかりとした、多くの皆さんが納得の行く結婚をしたいと思う。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

***********************************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き***********************************************

  ついにヨブは、「神よ、わたしはあなたに向かって叫んでいるのに、あなたはお答えにならない。

御前に立っているのに、あなたは御覧にならない。あなたは冷酷になり、御手の力を持ってわたしに

怒りを表される。わたしを吹き上げ、風に乗せ、風のうなりの中でほんろうされる」(30・20-22)

とも書いています。

  ヨブが、神についていちばん不満なのは、神が人間に対して示される不公平さについてです。

この問題についてのヨブの神批判は強烈です。

************************************本日の転記はこれまで*******************************************

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月22日 08時43分51秒 | Weblog
おはようございます。

今日は、このあたりでは、朝から雲ひとつない快晴、古い言い方をすれば「日本晴れ」。

さて、収入のことで心配して、本業をおろそかにするわけには行かない。

昨日は、困った弟とは言え、やはり、かわいそうなので、アルバイトで、小額ながら、早く借金を、返すことを実際に検討したが、

それで本業をおろそかにするわけにはゆかない。

相手方が信頼できない以上近づかないほうがいいかもしれない。

世間では評判であったのは昔のことで今は非常に怪しい。

そんな状況はこの地域だけではなさそうだ。

「頭は生きているうちに使え」はよく言われたけれども、愚かになって、欲張りと自己満足の管理職が非常に多くなった証拠だと言える。

こんなことで、後継者達が育つわけがないし、まして彼らの収入は、まさに、不正の夢を食べているにひとしい。

ただこの地域は急激な発展を遂げたところなので、他の地域よりもかなり早くこうなったのだと思う。

それでも成功している自治体の話も聞く。

何とか立て直さなければと思うけれども、次々と難問が生じる感じがする。

最も重大なのは、同じ信頼感が、少なくとも独身の今は、地域教会の期待は、全く逆になると思うのは、思い過ごしであろうか?

いいえ、何十年もこの問題は正しく知っている。いつもある種の成功を収めるのは、教会からの適度な距離による場合が多い。

自民党の理論だって同じ事が言える。

私も負けじとそうすべきなのだろうか?

人々の平和は、日々の平和をどう捉えているのだろう。

私も久しぶりの国の仕事にぼけていないで、しっかりと取り組む必要があるに違いない。

昨日の結論が出たと言うことか。

世界中の心ある皆様の心からのお祈りに、深く感謝します。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

*************************************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き*********************************

ヨブがいつも恐れていたことは、ヨブの呼びかけに、沈黙を守り続ける、不気味な神でした。

彼は、なぜ自分だけが、これほどまでに苦しまなければならないのか、その理由を問い続けていたからです。

わたしたちも体調が不具合で通院し、医者に診察してもらっても、その原因が分からないまま、

一方では病状がますます悪化し、それに比例して、厳しい検査が続く間は、不安に脅かされます。

神はヨブに「非道なふるまいをし」、彼の「周囲に砦を巡らしている」、と信じていたヨブが神に、

どれだけ「不法だと叫んでも答えはなく、救いを求めても、裁いてもらえ」ません。

むしろ神は、かえって「道をふさいで通らせず、行く手に暗黒を」置かれただけではなく、

さらにヨブの「名誉を奪い、頭から冠を取り」(19・6-9参照)去りながらも、

何も答えてくれない、とヨブは考えています。

******************************************本日の転記はこれまで***********************************

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月21日 14時46分15秒 | Weblog
こんにちは!

日中は、いい!  一種類の挨拶語だけで、何にも気を使う必要がない。

さて、ようやく秋の長雨もおさまったようだ。

きれいな、ほど良い雲の青空が、朝から広がっている。

この間の弟の反抗は、私に改めて生きる難しさをテーマ付けた。

チュウハイを持って行って、飲ませたからだったのか?酔っ払いのたわごとに近かったのかもしれない。

それでも、家族の代表と思い、毎日母のところに出かけたわたしに向かって言う言葉ではないと思っていたので、

昨日のミサは危うく出そびれそうになるまで、気分が低下していた。しかも、何かといえば「死にたくなる」

なるほど、こうして一生懸命に、貴重な文章を発信しようと思う努力は、人によっては意味がない。

それでも我々の信仰の手引書ならば、そういう無関心がその人を不幸にしていると判るものの

小さな時から同じ繰り返しに近い様子を、思い出されると、かなり心が冷え切ってしまっていた。

さて、もうそんなことは神のみ旨に委ねつつ一からがんばってゆこうと思い直した。

不思議な心の働き・・・これこそ神の救いともいえるのだろう。

しかし、実際に、多くの人々の期待にお金が無いために答えられなかった日々を思うと、

高額な収入になる仕事に就くべきなのではないかと、やはり考えが甦る・・・。

いったい、どうすべきなのか?心して祈ってみようと思うし、ぜひ多くの、私を必要とし、愛していただけている皆さんの

祈りの結果を期待したい。ぜひお祈りいただけたらと切にお願いする。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

***********************「『ヨブ記』を読みなおす」続きから*****************************

しかも、ヨブが把握していた神は、容赦なく、そして厳しく罰する神でした。

だからヨブは神に、「わたしの上から御手を遠ざけてください。御腕をもって脅かすのをやめてください」と祈り、

「風に舞う木の葉のようにわたしをなお震えさせ、乾いたもみ殻のようなわたしを追いまわされる」、と

嘆いています。ヨブのこのような嘆きと祈りの背景には、「罪と悪がどれほどわたしにあるのでしょうか。

わたしの罪咎を示してください。なぜ、あなたは御顔を隠し、わたしを敵とみなされるのか」(13・21-24)という、

自分が神に見捨てられ、見放されているという潜在意識が大きく働いています。つまりヨブは、

常に神からの被害妄想に苦悩してもいたのです。

**********************本日の転記はこれまで*************************

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月20日 08時24分51秒 | Weblog
おはよう!

今日はどんな日曜日になるかと期待してみたいと思う。

昨日書いたけれども、丹波さんの言葉は、私にではないので、多くの人の私への不満は、

付き合いが悪い、本心がなかなか聞けないと言うところなので、逆に反省して、軽い言葉と言い回しに慣れようと一転した。

また、その方が、日常生活の苦しみを伝えやすいかもしれない。

今の福島原発の仕事に魅力を感じるのは、やっと冷静になりつつある福島原発の収束そういった分野への知的好奇心の高まりと同時に、

やはり地方ではなかなか得られない高収入による。

事実介護の訓練生の時点で、2年目は、中古車を買って、ハードな実習に臨んだ。

しかし、それは、小額を、父親と弟に借りて、安いものを買った。

母は、元気なうちから私に車を買ってやりたいと言っていたのに、本当にだめな息子になったものだった。

新しい車を買ってもらった(もう一週間のった)今となっては、母に喜んでもらうことが出来ないばかりか、

精神障害者になって久しい弟からも金返せの話が出る。

小額とは言え、簡単には返せないのだから困ったものだ。

住宅のリフォームも必要だろうし、このまま家族を増やせば増築も必要だ。

そんなわずらわしさから逃れて、ローマの教皇庁を頼るのも一計なのだろうが、日常の動きがこれほどに少ない日本の生活では、

やはり、日常業務を沢山こなして、それぞれを充たして、個人の人格を高める努力しかないのだろうと思う。

原因は、やはり、私が、バランスの取れた社会活動を、心がけなければならない問題だったのかもしれない。


※とは言え、他地域に行けば、地元のしがらみが大いにマイナスに働く事が多く、よほどの就職先でない限りいい結果は出ない。

今のまま年金の仕事をする。

それに他地域では、それなりにその地区の問題の影響を大きく受ける・・・未開のためばかりではないと思うが。


私にとっての原発事故が、何を意味したのかを知るには、まだまだ時間がかかりそうだ。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

***********************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き***************************

  もちろんヨブも、自分の孤独な気持ちを、主に正直にさらけだし、自分がおかれている状況が、

どれほど辛いものであるかを神に告げ、なぜ神が遠く自分から離れておられるのだろうとさえ痛感し、

苦悩しています。ダビデも同じく、「いつまで、主よ、わたしを忘れておられるのか。

いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。いつまで、わたしの魂は思い煩い、

日々の嘆きが心を去らないのか。いつまで、敵はわたしに向かって誇るのか」、と祈っていますが、

しかし彼はすぐに続けて、「わたしの神、主よ、顧みてわたしに答え、わたしの目に光を与えてください、

死の眠りに就くことのないように・・・・・」(詩13・2-6)とも祈っています。

***************************本日の転記はこれまで******************************

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月19日 07時32分21秒 | Weblog
皆さんおはようございます!!

  と、まじめな挨拶を、私は、いったい誰に?向けているのかな?と思わないでもないが、

昨日、俳優の故丹波さんのことを、TVでやっているのを、中学までの同級生の医師の待合室で見て、

息子さんの俳優さんが、父の教えとして「『おはよう』という挨拶は、誰にもしてはならない『おはようございます』と

どんな関係者にもしないことは、監督にもそうすること(良い挨拶をしないこと)と同じだと思え」という『皆が、平等』」と教えられていたと証言した。

なるほど、平等か?と今まで「私も挨拶では(自分自身)いつも、そうしないと、心が重く感じられたのは、そうゆうことに繋がるのか」と

自分の知らない自分の心を客観的に教えられたと感じた。しかし、自分自身は、途中から、自分が変なのかな?と

疑いを、持っていたのだけれども、なんか心が晴れた。

丹波さんを、皆が「悪童」という中で、最後に、兄夫妻が、「死後の世界」を書き著した事を、重要なことを果たした人物として評価されていた。

なるほど、私も紆余曲折したものの、様々な苦労や経験は、聖書の理解や日本仏教の理解とイエス様の理解に大いに役立っている。

私にもきっと、何かを大成する日が来るに違いない、と少し安堵の気持ちになる。

今日は久しぶりで、早朝のミサに出た。自分自身の結婚についても考えたが、まだ具体化しない。

しかし、何かが自分の中で変わったことも感じた。ローマの教皇様のフェイスブックを、まじめに受け容れる事が出来そうだし、

前教皇、前々教皇様も、理解してくださっていたことを改めて思う。ただ、私も、自身の経験は、反省して記憶していたから、

そして、普通の人々は理解しないが、私としては、この上ない大きな苦難をも経験したので、かみ合わなかったに違いない前教皇様についても

理解でき、心から感謝したいと思う。

というわけで、今日は、誰にもなんだかわからないブログ本来の姿を書いた。きっとブログとは、こうあるべきなのかもしれない。

日記のような、親密な手紙のような、現実のような、非現実・・妄想のような・・・希望や怒りや賛美の表明のような。

一日も早く、神にも人々にも愛され、理解され、希望される家庭を創りたいと切に祈りたい。

それから勢いの余韻で、昨日も二つ東京都内の仕事にインターネットで応募してしまったが、このまま頑張るのがベスト。

放送大学の二回目の卒業後は、仕事をしながら、真摯に福島県立医科大学医学部に合格し進学できるよう努力したい。

余力があれば放送大学の大学院の修士、博士もとるけれど、今後のお楽しみと言うところだ。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti


*********************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き***********************

  同じダビデは、逃亡の身で異国の地をさ迷いながら、自分が遭遇している「孤独」の恐ろしさを、

「その道を行けば、そこには罠がしかけられています。目を注いで御覧ください。

右に立ってくれる友もなく、逃れ場は失われ、命を助けようとしてくれる人もありません」(詩142・4-5)、と

嘆いています。しかしダビデは、「主よ、あなたに向かって叫び、申します。『あなたはわたしの避けどころ、

命あるものの地で、わたしの分となってくださる方』と。わたしの叫びに耳を傾けてください。

迫害する者から助け出してください。彼らはわたしより強いのです。わたしの魂を枷から引き出してください。

あなたの御名に感謝することができますように。主に従う人々がわたしを冠としますように。

あなたがわたしに報いてくださいますように」(詩142・6-8)と、神への絶対的な信頼を表現しています。

同じ孤独の苦しみを体験しながら、少なくともこの時点での、ヨブと、ダビデとの違いはここにある、と

わたしは思います。

*******************本日の転記はこれまで*****************


聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」

2015年09月18日 09時36分57秒 | Weblog
おはようございます。

昨日も多少早く書いたので、見ていただけた方が多かったのでしょうか?それとも機械的なものでしょうか?

人数が多く書いてあった。

それはともかく自分のためにも書き続けたい。今日は朝から日光がさして、すがすがしいようです。

夜まで晴れない予報だったので、少し得した気分。

チリ地震の影響は、まだ起きて朝食まもなく、まだ確認していない。

なんにしても、何とか頑張ってほしい・・・どうやって、私個人が、彼らを助けられるのか知恵が無い・・・と言うより急がし過ぎかも。

今回の国民年金の仕事は、その意味でも期待できそうだ。

昨日は勢いで、東京都内の仕事に、インターネットで応募してしまったが、冷静になれば、父を見守る必要があるからそれは無理だ。

もっと早くここまでの知恵があったなら、母も楽だったろうにと大いに反省したい。

せめて早く、しっかりとした結婚をしなければと気を引き締める。

地域教会にも、日本人女性や男性とも話せるようになってきたように思える。

早く本当に助け合いつつがんばって、生きて行ける家庭を見つけて、自分の家庭(妻子)を持ちたいと思う。

そうでなければ、やはり現行の社会では、あまり役立っていない人生を送ることになる。

心して、これからの時間を過そうと思う。

もう自衛官には無理な年齢だし、唯一つ考えられるとすれば、防衛大学校の人文社会コースの教職ならば、貢献できそうだ。

理科系、文科系に、あまりこだわらずに、これからも学習研究を続けて、教職を可能にする論文を書きたいと思う。

その意味では、やはり、自然と環境コースを早く卒業して、人間発達科学を選ぶのが順当かもしれない。

臨床心理士のコースでは限定的になりすぎるかもしれないし、自然環境科学のコースでは、さらに理論に特化して、

限定的になってしまう。人々の必要性が、急を要することなので、キリスト教を初めとした世界中の宗教と、

政治的な安定を狙った政治システム上の問題点と、人間生活上の人間そのものの発達の度合い、深度の異なりを、

世界中の個人個人が、深く参考にしつつ、しかも、普通の学習上で考えながら、各人を深めつつ、生きてゆける学問領域を形成する必要があると

私は思う。そして、きっと私には出来るし、ちょうど、そのくらいの生きる時間が残されている。

家庭を持って、自身の子育てをしながら、収入を確保して、教育研究する生活を構築してゆこうと思う。

出来ればアルバイトしないで、転職しないで、国民年金の仕事をベースに、このまま素直にそこまで、出来ることを、心から願い信じたい。

※文の修正追加をする。

  ※特に、ローマ法皇のパパ・フランチェスコ様に追加します。

日本が、未開国であることに変わりなく、日本軍を事実上復活することに対して、肯定するつもりは私にはないことを明記しておきます。

それに、時が時ならば、現在のようには簡単に、国内も国外も移動できないことを考えれば、どんなに苦労しても、

放送大学の二回目の卒業後は、福島県立医科大学医学部に進学すべきと思います。私ならば、精神科を初めとした研究がいいでしょう。

時間をかけて準備します。それが私の出身高校が長年さげすまれてしまった事への癒しとなることを願いつつ。

もちろん大学は、一度は卒業しておりますので地域の格差や争いには無関心ですし、まして地域の土地の問題については公正であり、

不正にされ続けた問題について受け容れるつもりはありません。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

*******************「『ヨブ記』を読みなおす」続きから****************

「神は兄弟をわたしから遠ざけ  知人を引き離した。   親族もわたしを見捨て  友だちもわたしを忘れた。

わたしの家に身を寄せていた男や女すら、わたしをよそ者と見なし、敵視する。  僕を呼んでも答えず、

わたしが彼らに憐れみを乞わねばならない。  息は妻に嫌われ、子供にも憎まれる。

幼児にも憎まれる。  わたしが立ち上がると背を向ける。  親友のすべてに忌み嫌われ、

愛していた人々にも背かれてしまった。

骨は皮膚と肉とにすがりつき、皮膚と歯ばかりになって、わたしは生き延びている」(19・13-20)


  しかし、このように、親しい人々の背きによって、恐ろしい孤独に苦しんだのは、ヨブだけではありませんでした。

ダビデも「わたしを嘲る者が敵であれば、彼を避けて隠れもしよう。だが、それはお前なのだ。

わたしと同じ人間、わたしの友、知り合った仲。楽しく、親しく交わり、神殿の群衆の中を共に行き来したものだった。」(詩55・13-14)

と嘆いています。


**************本日の転記はこれまで**************




聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月17日 07時52分50秒 | Weblog
おはよう!!。

やはり、早く書くと多くの人の目に触れるから、なるべく早く書こうと思う。

自然な睡眠を得た今は、妙に早く起きたりはしないので少し大変。

まだ自宅待機中なので、収入の低さが非常に気になって色々目移りする。

中でも、原子力発電所から、近くなくても、遠くは無いので、発電所での高給が気になる。一石二鳥でもあるからだ。

外部で心配するよりも、見守れる仕事ならば、全ての人と心を共有できそうだから。

とは言え、自分の住宅の整理や掃除・高齢になった父の見守りを考えるとこれでいいのか?とも思う。

実際に外に出始めれば、かなり忙しく動かなければならないし・・・。

今は、かなり自分の心身の疲れも取れたし、「原発に通うぐらい」とも思える。とは言えかなり遠い。難しい問題だ。

そして、未開の国を象徴するかのように、職安初め皆、神に愛される私とのコミュニケーションでの自分の心地良さにしか気付かない。

求職する知識も経験も豊富な私の苦しみには気付く事がない。

別の地域の職安に行ったとしても、今度は差別的に馬鹿扱いだし・・。良く信仰を持たない人々は我慢している?!。

と書くと、それはそれで、余計難しくなるかな?  すべては神の計らいでありますようにと祈りたい。

私もしっかり確実に勉強しつつ、仕事に、高収入にこだわって、全ての必要な支出を十分にしながら、生きようと思う。

Pietro Francisco Xavier Francisco

Hiroyuki Sawaguti

********************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き*********************

ヨブは、神こそが自分の苦悩の原因だと信じていました。

彼は、「神がわたしを餌食とし、怒りを表されたので、敵はわたしを憎んで牙をむき、鋭い目を向ける。

彼らは大口を開けて嘲笑い、頬を打って侮辱し、一団となってわたしに向かって来る。

神は悪を行なう者にわたしを引き渡し、神に逆らう者の手に任せられた」(16・9-11)、

とさえ公言してはばかりません。


  ヨブはまた、神を、彼が体験するもっとも恐ろしい悪であった孤独の原因とも考えていました。

この点について一例を挙げると、彼は次のように激白しています。


******************本日の転記はこれまで******************

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年09月16日 19時44分37秒 | Weblog
こんばんは!

厳しい事を書いたけれども、事実だから更新したくないのだが、

元気に生きてゆかないといけないと思うので、更新したい。

これからは、かなり優しいかもしれないけれど、あしからず。

USAの製品から自分で試すために、医薬品のGABAを、輸入した。

服用すると、なかなかいい感じだ。 

これならば、人間の生活の厳しさにも、十分にいい働きが出来そうだ。

今後の必要を感じる皆さんが、私に気付いてくれたら、安く手に入れられるので、

ぜひ声をかけてほしい。

夜休むにも安らかになったように思えるし、頭の回転もゆったりとしていい感じ。

ぜひ、ストレス気味の方、試されたらいいと思う。

Pietro Francisco Xavier Francisco

Hiroyuki Sawaguti

*************「『ヨブ記』を読みなおす」から、続き*************

そこでわたしは、大司教の言葉を読んで、もう一度ヨブを読み返したことを、

今でも鮮明に覚えています。

ヨブはもちろん、少なくとも直接的には、神を呪ってはいません。

彼は、神ではなく、「わたしの生まれた日は消えうせよ」と、

自分の誕生を呪っているからです。

しかし、ヨブの神に対する不満、不平は、尋常ではありません。

わたしの、「ヨブが神を呪った」、と言う表現は、たしかに大袈裟で、誇張すぎる、

とわたしも考えましたが、しかしあえて、「ヨブが神を呪った」という文言を、

わたしは変えませんでした。

それは、たとえ正しい、正確な表現ではないことは十分承知しながらも、

ヨブが神に向かって叫び続けた悲壮な言葉は、わたしには、神への呪いに等しい、

と思えたからです。

**************本日の転記はこれまで**************