香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年10月03日 07時47分33秒 | Weblog
今日の、私の「goo」ブログが、全世界を困らせたらお許しください。しかし、一度だけは問題提起してみたいことでした。いつも祈ることの重要性は、イエス・キリスト様から2000年以上過ぎた今でも、大変重要であること、そのための努力をすることが大変重要であること、そして、それが出来ないならば、少しでもそのための努力をして、人々と神とに奉仕している人々をサポートすることが重要であること、そして、それも出来ない人々は、その人々の邪魔をしないで、可能な限り協力する事が重要であることを私は認識しています。教皇様(ローマ法王のパパ・フランチェスコ様)のコメントは、一部理解できなかったのですが、感謝と共に今日かなり多くの皆様が、何かを考えていただけたことを心から感謝し、心から、尊敬したいと思います。私自身も、可能な限り、多くのキリスト教役者の皆様を心から愛したいと思います。そして、日々の生活と仕事と学習・研究と政治的な協力と自分自身の力の提供を心から望み努力したいと思います。
Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti


皆様おはようございます。

今日は、早朝ミサに出たが、この地域は、本当に快晴だ。

さて、私のこの数年来の苦しみにも一致するので、USAの大学での銃乱射?事件について意見を書きたい。

オバマ大統領のコメントのように、USAでは、こうした意味不明の銃撃事件がたびたび起こる。

それでも、私が、USAやキリスト教社会に信頼できる理由とそのための現在の問題点を明記したい。

  日本は、イタリア、ドイツとのたった3国の第二次世界大戦敗戦国だ。

しかも、日本は、まだまだキリスト教人口は、世界で唯一の3パーセント、カトリックは1パーセント以下に過ぎないことは、

頭に置いて頂きたい。その上で、共に考えて頂きたい。

  さて、キリスト教社会への信頼の基本だが、まずは、神の教えにある。

重要なのは、現在は、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教とその他のモルモン教など派生の亜?キリスト教で、今も重要な

キリスト教で言う「旧約聖書」では、いつも私が書くように「神は、神を信頼しないで、人間の状況判断による極度の恐れ」を忌み嫌う。

だから、ある意味、「契約の民」として、神に選ばれたイスラエルの民が、戦闘に対して持った神では無いのに、自分達が恐れるゆえの

敵への見せ掛けの慈悲心による中途半端な行為を預言者を通じて何度も何度も怒りと警告を受けているし、それらの罰と言われた現象も、預言者を通じて、

神から教えられ、その行為の神による慈しみによる赦しも教えられている。

  つまり、第二次世界大戦以前の日本が、反キリスト的な社会を構成し、実際に行為を行っていたかどうかは、現実かどうかの問題ではなく、

当時の日本に対して、神を信仰することを宣言しているキリスト教国が、敵と判断したならば、まさに、日本国民が、一億、総戦死するまで、

原爆を落としても良い事になるし、むしろ、それが、もっとも正しい事になる。自分と神との間で、日本人が、邪魔であったならば、その上で、

公式の敵としたならば、そうすべきことであった。もちろん原爆を二発も落としたのだから、今生きる日本人にとっては、恨みの種だ。

しかし、それこそが、神の言うことの真実だ。死刑をして、半身麻痺で死ななかったら王のように贅沢に生かしているようなものだからだ。

一億全てが死んだのならば、過去の恨みは残らないし、戦争に勝って、生き残った者達には、自分達の残虐な行為への深い反省を、たぶん神は求めるし、

それを、より高度に避ける知恵を与えたことだろう。実際に、第二次世界大戦終了後のUSAや戦勝国は、中途半端ながら、

多少正義感に富んでいた事が、様々な社会現象から推測される。それでも全ての中途半端は、ベトナム戦闘に代表される

奇妙で、中途半端な政策や行動が目立つ・・・朝鮮戦争、イラク戦争など。

もちろん宗教戦争を要求しているのではないが、USAに個人の武器所有に価値があった時代ならば、社会正義に、キリスト教の

社会運営上の繊細さと大胆さが必要であっただろうし、そのための個人の小競り合いへの無関与が、成り立ったのだろう。

しかし、今は、より高度な社会運営の知恵があるし、そこまでの原始的な社会運営をしなくても、自国の様々な、政策で、

平和で、優しく、厳しい正義に充たされた社会運営が期待できる。

そのことを、キリスト教を掲げる国々は、良く反省し、もし我々の日本ように、難しい立場にある者が苦しんでいたら、

優秀なサポートを考え出すように期待したい。オバマ大統領のコメントは、そのまま、確かに反省すべき問題を表していたと思う。

長らく、個人の武器を持たない日本人社会では、尚のこと甘い政治判断は良くない。

もし重要な政治決断でそれなりの判断をしたならば、年齢や世代の問題を従来の甘いままで行うのではなく、「保身じゃないか!」、と

疑われる中途半端な救済は止めて、正々堂々と上位に抜擢したり、社会的な地位を確保してほしいものだと思う。

長くなりました、ぜひ、UK、ロシア、CANADA、フランス・・・ローマ法王様と戦勝国の皆さんは、お考え頂きたいし、

安倍総理と政府の皆さんや高級官僚の皆さんや成功者の皆さんも考えてほしい問題です。見かけとは大きく異なる問題です。

それでは、この世界の全ての人々に神の平安がありますよう心からお祈り致します。

そして、私自身も、一日も早く、正しい結婚をして、社会貢献をしたいし、中途半端に終わったかもしれない母への

キリスト教伝承を、自他共に、神への信頼と神の存在を示すことを、完成させるためにも、

必要な死者達が、健康に生き返るという奇跡を神に祈りたい。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

**********************************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き***********************************


人間の思い通り、願い通りになる神が存在するならば、それは真の神ではありませんし、わたしたちが信じている神でもありません。

そのような神は、人間の「想像で作り上げた神」(第二バチカン公会議『現代世界憲章』19番)ではあっても、

わたしたちの信仰対象としての神ではないからです。

このような神を否定する者が「無神論者」と呼ばれるであれば、わたしはその代表者でありたい、と思います。

愛である神が、愛する人間に、いろいろの試練を与えたとしても、それは決して神の愛を傷つけたり、

損なったりすることにはなりません。それはかえって、神がわたしたちを愛し、わたしたちに、もっと高い次元の

何かを期待しているからにほかなりません。

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