香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ 

2015年06月28日 05時58分20秒 | Weblog
おはようございます。

ローマの教皇フランシスコ様ありがとうございます。

昨日は、ブログに書いたとおり、何も知らない?母に、

ヨブ記に関する教皇様達の言葉などが書かれた本を、

読み聞かせることで、意識がほとんど無く、

恐れに満ちていた母が、NHKのTV番組を、

見ているほどになりましたから、

安心しましたが、そのため、予定していた

教皇ベネディクト16世様の書いた「イエス様」についての

本は、読まないで、帰りましたが、

先ほど、「血圧が低く危篤の可能性がある」との連絡がありました。

ただ血圧が低いだけであればいいのですが、

今日は、地域ミサ出席は、しないつもりでしたし、

「日本の?地域の人々の冷たさに、7月11日の墓地正装も、

出席しない決心を、していたところです。」

尚、これから、施設に行って、可能ならば、本を読みますが、

場合によっては、命を、落とす可能性もあります。

尚、まだ可能性がある限り、お祈りをお願い致します。

日本人が、平和を乱そうとしているのではなく

それぞれ可能な限り努力はしているのですが、

ヨブ同様に、難しい生きる世界なのです。

私の日本の社会批判は、双方の社会から判らない可能性があります。

どうか平安があるようにお願いします。

なお、7月11日の地域教会墓地清掃は、休みます。

追伸

本日朝に、母は、亡くなりました。

やはり昨日は、安心しすぎたためでしょうか?

「イエス様」について、読んで聞かせたかったですが残念です。

母の最近の諦めが良く判ります。

親族等、皆、お寺の葬儀しか考えが無く、皆、希望的な言葉よりも

権威的であったためと思います。日本の個人生活で見ると、

日本の課題であり、この問題は、日本全般に、言えることでしょう。

7月1日 17:00から 通夜

7月2日 11:00から、葬儀になります。

場所は、大野日和田斎場。

西方寺(天台宗)住職による葬儀となります。

最後まで希望を捨てずに私も母も頑張りました。

本当に皆様長い間ありがとう。

私自身、孤独死を、避けて、教会員として、

自分が、埋葬されることがないかもしれません。

正常な結婚が無ければ、基本的に孤独死の

可能性があります。

努力を、お約束して、このお知らせといたします。

母は、最期には、十分に、理解できていたと思います。

煉獄で、再度生まれることがあったら、

幸せであってほしいと思います。

もちろん、天国にいると信じます。

         Pietro Francisco Xavier

          Francisco 澤口宏行

聖書の親しみ

2015年06月27日 07時10分45秒 | Weblog
おはよう・・・。

母にとって、厳しい時間が、相変わらずだ。

何とか、病床の母の「恐れ」を取り除き、

「平安」が、神によって、与えられるよう

パパ・フランチェスコ様にも、お祈りいただけますように、

また私自身も、正常な健康な祈りに入れますようにと希望し祈りたい。

昨日は、「ヨブ記を読む」を読んで、聞かせた。

母の意識が、どこに行ったのか?判らないように見えたが、

数十ページの音読のうちに、質問への「うなづき」が復活してくれた。

神や著者や人々の力ともいえるのだろう。

とりわけ、ローマ法王(教皇)の文章が、こんなにも心強く、

感じられるとは、思ってもいなかった。

他の国民に、ごく普通に、厳しかった日本人の、母の生まれた頃の

日本人の問題を、難なく突破できた。

私が、詩篇を読んで、元気な母に、子供の頃を、

思い出してもらいながら、

説明するよりも何十倍もの浸透力が、あった。

私もその発見で、平安を得た。

それでは、ベネディクト16世教皇、フランシスコ教皇様のお祈りを、

感謝とそして、更なる祈りを、お願いしつつ、本日の更新を、終える。

私の、卒業研究の準備も、センター長に、相談しつつ、

ゆっくりと、確実に、動き出した事を、お知らせする。

Pietro Francisco Xavier

Francisco  澤口  宏行

聖書の親しみ 

2015年06月26日 06時54分43秒 | Weblog
おはよう・・・!

母の心配をして、改めて、自身の行動の原点を、

思い出した。

やはり、親子とは、そうゆうものであるに違いない。

多くの人々は、目先の行動で、人を、制することで、

精一杯に生きていて、欲望と愛と現実に、区別が、無いように思える。

しかし、やはり、それは、決して、良いとは、言えない。

しかし、高齢者施設での、知的労働者達の苦労は、

精一杯に、それを、利用して、行われているとも言える。

私も母を、かまわないで、月に一度会うくらいで、偉そうにしながら、

仕事に生きていたら、母の苦労は、半分だっただろうと思う。

確かに、母は、12人兄弟の12番目で、

幸せな、独身時代だっただろうから、死期を告げられて、

きっと、その事が、前面に出て、息子を、恨んでしまったのだろう。

それでも、冷静に、私自身、考えれば、戦争で、教育を、

あまり、受けられなかったとしても、社会教育が、

順調であった面が、あるから、55年の子育て?の

重さに代わりはないし、大きな事をしてくれたのだ。

そのことに喜びを感じてくれると、良いのだが。

そしてそれは、神を知る手がかりになるけれど、

時遅しであろうか?

ローマのパパ・フランチェスコ様はじめ、

社会的柱の皆様が、私たちの価値を、受け止めてくれるならば、

きっと判ってくれると信じたいところだ。

自分自身の無駄な呟きを、悔いつつも、

今後の、家族への、社会への貢献を、考えてゆきたい。

Pietro Francisco Xavier

Francisco  澤口  宏行

聖書の親しみ ヨブ記から

2015年06月25日 06時22分07秒 | Weblog
おはよう・・・。

昨日は、記事のとおり、早朝のミサも休み、

自分の体と心も休んだ。

母は、なぜか安心したのか?だまって眠ってくれた。

確かに、キリスト教は、言葉が、優しいだけに、

大変に、奥が、深いもの。

まだ未熟な状態の人にとっては、他人を、大きく頼ってしまう。

初めの一歩で、躓いてしまう人々が、何と多いことか!

今日も早朝ミサは、休んだ。

しばらく、人の目にも、はっきりと社会の中で、違いが出るまでは、

「公教会」になっていない日本の公教会(カトリック教会)に、

十分に、気をつけつつ、出席や所属を、しっかりと考えてゆくことにする。

7月11には、墓地清掃があるとの事で、病院を、休むことにした。

墓地清掃で、G・ミシェル・ガリエピ神父の墓にも、初めて、行く。

葬儀には、出席できなかったこと、残念だったけれども、

それも、日本社会の、本当は、貧しい社会である証拠でしかない。

他の人の思いもあったに違いないが、・・いつか解決できる事を、

心から、神に願いながら、今回の墓地清掃には、行こうと思う。

真剣に結婚と学習・研究と社会的な役割としての仕事を、

頑張って、こなしてゆこうと決心する。
                    
                  澤口宏行

聖書の親しみ  女に汚された事の無い者達

2015年06月24日 21時29分40秒 | Weblog
こんばんは!

今日は、早朝のミサを、久しぶりで休んだ。

そこで、また、はっきりと、気づいたことがある。

黙示録の「イザベラ」の問題と同じものを。

やはり、2000年以上たった今でも、

同様のの問題が、ある。

母の施設でも、母の異変は、

「あなたが、教会に通いだしてからだった」と証言していた。

知らない未信者たちばかりとは言え偶然ではない

「正しい見解」と言える。

私にも、やはり、そうだろうと、考えざるを得ない現実が、存在する。

パパ・フランチェスコの英断を期待しつつも、

特別の母の赦しと私たちの家族の信仰や日本の信仰の

枯れない事を、お祈りいただきたく思う。

それでは、また、次回に・・・・。

Pietro Francisco Xavier

Francisco  澤口  宏行

聖書の親しみ  ヨブ記から

2015年06月23日 21時17分16秒 | Weblog
こんばんは!

久しぶりで、まじめに、祈りの日課をし、

真剣に、今後の事を、考えつつ、日々を、おくりだした。

昨日は、公共の権威に、負けそうになって、

そのような介護の募集に、応募しようと電話したが、

祈りの中で、思いとどまった。

まずは、目の前の、自分の生活費の問題よりも、

生涯の、自分の使命から、今後の行動を、割り出すようにしようと思う。

そうすることで、母の苦しみを、癒し、心の平安を、呼び出し、

教会指導者や、自分の周りの人々の理解が、

得られそうに、思うからである。

きっと、苦しさは、間違いなくあると思うが、

喜びもまた、大きいに違いないと、信じられるから。

今年は、結婚、車検、結婚式と、さらなる大学の学位の取得の計画を、

完全なものと、しなければならない。

多くの、心ある皆様の祈りに、助けられるよう、神に、祈りたい。

Pietro Francisco Xavier

Francisco  澤口  宏行


聖書の親しみ  ヨブ記

2015年06月21日 07時29分20秒 | Weblog
おはよう・・・!

今日は、この地域教会でのミサ時間は、午後からのはず・・。

そして、私にとって、今の生活の初めとなった頃に、

短い間ながら、教えを受けたC神父が司式する。

前々教皇ヨハネ・パウロ二世と同じ、ポーランド人だ。

何を話そうか?今から楽しみでもあるが、厳しさも思い起こすし、

優しさも思い起こす。

ヨブ記が、怖いものと思っていた当時の私とは違い、

今では、大変に身近で、素晴らしいものであると感じている。

勿論、キリスト教が、それほど厳しく推移するのではない。

しかし、真剣に、人間としての生き方やあり方を、考える時、

そこには、深く、おそらく、現実に近いかもしれない「霊を含めた世界」の

実際の現実の姿が、隠されていると感じている。

これからの全てを、神のみ手に委ねつつ、

自分の使命を全うする正しい結婚と就労と社会参加・学習・研究を、

思いつつ、今日の、ブログ更新を、終える。

昨日は、疲れていたので、更新を、忘れてしまったようなので、

今後の更新に期待してほしい。

勿論、私は、信仰によって、母は、まだ長生きすると信じられるし、

今後の、私自身の、社会的展開も、ますます、

ダイナミックに、なってゆくと確信している。

それでは、神の慈しみに、心より信頼して、更新を終える。

Pietro Francisco Xavier

Francisco 澤口 宏行


聖書の親しみ

2015年06月19日 20時32分28秒 | Weblog
こんばんは!

今日の私の母は、厳しいながら、個室に移り、

言葉に反応したり、不調を、主張する・・・言葉にならずに、

やっとのことで、意思表示するのですが、・・それでも、

昨日の、まるで、このまま昏睡しそうな状況よりは、

明らかに、良くなっていました。

パパ・フランチェスコの、祈りの賜物か?

カルメル会の「祈りの友」を使った祈りの日課の復活のおかげか?

どちらも神の力に起因している。

やはり、良かったと思う。

一日も早く、私の正しい結婚も、実現する事を、願いつつ

母の回復のためにも、この世界のためにも、自分自身と教会のためにも

この、祈りの日課を、信じてお捧げしたい。

今後に期待しつつ、心ある皆様の祈りの共有によって、母を生かし、

信仰をもって、天国に、送り出したいと思う。

心ある皆様の祈りと祝福と正義の共有を、望みながら、

心から、神に、祈り求めたい。

Pietro Francisco Xavier

Francisco  澤口  宏行

聖書の親しみ

2015年06月18日 19時14分52秒 | Weblog
こんばんは!

今日の母の様子は、悪く見えた。

疲れているだけならば、いいのだけれど。

もし私の力が、正常に働く事を望む、賢者の皆さんには、

ぜひ、正常に生きる母の姿を、祈ってほしい。

地域教会の早朝ミサに出ることで、母の具合が、

どんどん悪くなっているかのように見えることには、

何か良い意味が隠されているならば良いのだが・・・。

それとも、地域教会の最悪なのか・・・?

パパ・フランチェスコには、申し訳なく思うが。

或は、もしかしたら、気のせいなのか?

実際どうなのか確かめようが無い。

ADLは、下がっている。

やはり、神に心から信頼して、日々の生活を、十分に活用しつつ

この世界の平和と安定と母の命の喜びを、確実にできつつ

私自身の結婚と仕事の成功と社会的正義教育の一環としての

信仰生活と働きの充実を心より祈りつつ全てを神に委ねたい。

Pietro Francisco Xavier

Francisco  澤口 宏行


聖書の親しみ

2015年06月17日 22時56分44秒 | Weblog
こんばんは!

皆で、思惑が、大変なのかな?

公共の仕事に採用される事が、困らなければ、いいのだけれど。

しばしば、疑いたくなる。

私も、願望は、これぐらいにして、

実効力ある行動を、考えて、行動しなければならない。

この、生きることも厳しい今月を、乗り切りつつ、

今後のための、あらゆる収入を、確保する必要が、ある。

明日からは、もう一度、一から。生活を、考え直そうと思う。

それでは、この世界中に、神様の恵みと平安と平和と

正義と秩序と新しい力が、現されますよう、心から、切に祈る。



Pietro Francisco Xavier

Francisco 澤口  宏行。

聖書の親しみ

2015年06月16日 19時42分19秒 | Weblog
こんばんは!

ここに来て、なんとか、冷静になった。

昨日のブログ更新時の状況のままだが、自分が、必要以上に、

動き過ぎないようにしようと思う。

ただ、国立大学職員にも応募した。

現在の病院介護福祉士の仕事も、ある、国の仕事も

大学職員の仕事も全て棒にしたら大変だから・・・。

これは、普通の冷静で、若い私にもそんな慎重さや

賢さは備わっていた。

しかし、親の年代のカナダ人シスター達にとっては、

めったに来ない元気で結構、賢い若者であった私に、

司祭への夢を、託すために、良くない入れ知恵を、

たくさんした。

そのために、こんなにアクティブな人生になってしまった。

母には、心から、すまないと思う。

何とか神様に赦され、癒されて、好転してほしいと、今も思う。

そろそろ、日々の、祈りの日課も再開したい。

主よ!私の母を、苦しませず、願わくは、御旨にかなうように癒し、

もうしばらく、安らかな毎日と安らかな死を、お与えください。

願わくは、母も父も弟も私も、天国に行くことが、できますように。

全てに信頼し、心から祈ります。

Pietro Francisco Xavier

Francisco  澤口  宏行

聖書の親しみ

2015年06月15日 21時33分18秒 | Weblog
こんばんは!

今日は、一つの仕事が、採用で連絡があった。

ひとまず、落ちないことは、良いことだ。

相変わらず、収入としては、厳しいままだ。

しかし、環境の改善が、見込まれれは、非常に、

よい効果が、母にも、現れるに違いないと、切に願っている。

また国立大学の職員募集も、放送大学学習センターに、来ていたので、

一応、応募する。

書類は、完成したから、明日送ろうと思う。

今後の生活が、何より、自分自身と、家族を守るために、

そして、この世界の、正しい秩序と平和と安定が、守られるようにと

切に願いながら、日々の生活を、神に捧げたい。

Pietro Francisco Xavier

Francisco  澤口 宏行

聖書の親しみ

2015年06月14日 23時08分25秒 | Weblog
こんばんは!

今日も残り少なくなっての投稿。

ほとんど、人目に、つかないに違いない。

無事、放送大学の面接授業も、全てこなしたから、

残りの必要卒業単位数は、5単位になった。

こうなると、落ち着いて考えるならば、

散々、苦労をかけてしまった母の余命いくらも無い中、

しっかりとした仕事をして、自宅での見取りと

私の結婚を、同時進行したいと切に願う。

わずか残り5単位、卒業研究もしたくなったし、

車も維持しなければと思う。

地域生活に、自家用車は、必須だから。

やはり、まとまった、高額な給与は、必要だ。

今後の就職活動を、強化したい。

Pietro Francisco Xavier

Francisco  澤口 宏行

聖書の親しみ

2015年06月13日 08時22分23秒 | Weblog
おはよう・・・。

今日も眠い中頑張った?!

久しぶりと思っていたが、毎日のミサ出席も

一ヶ月近くなったか?

知識も生活との間で、いい具合になってきた。

今日、明日は、放送大学の授業で、

病院勤務は、休む。

意外に、私たち家族は、いい位置を、占めてきている。

早くに亡くなったおじだけが、知識の消化不良であった感じだ。

もし私が、幼稚園と小学校を、ミッションスクールを、

選んでいたなら、それも避けられたに違いない。

母の病気が、厳しい状態になっても尚、かえって希望を感じる。

なるべく早く、私の結婚と母の帰宅を実現したいと思う。

来年度の放送大学の卒業研究をどうしようかも、今、思案中だ。

今日、明日、無事に全て滞りなく、全部の授業をこなせば、

卒業までの単位の残りは、5単位になる。

ゆっくりやっても、再来年には、卒業する。

多少無理をすれば、来年3月に卒業可能な単位だ。

(つまり後半年で、卒業可能)

しかし、丁寧に、やろうと思う。

卒業研究の相談を、今日してみよう。

Pietro Francisco Xavier

Francisco 澤口 宏行

聖書の親しみ

2015年06月09日 20時43分33秒 | Weblog
こんばんは!

何とか?良さそうな一日が、過ぎた。

お土産は、置いていってしまったようだ。

おば達が、帰って行った様子に、感謝したい。

母は、子供同様に、ふてくされて、今日も、食事を、取っていない。

それどころか、大暴れだ。

しかも、その暴れている様子は、私にしかわからない。

母の施設の女性介護職に、疑われてしまった。

全く困った親だ。

何はともあれ、納得のゆく人生を、生き抜いてほしいと、切に、願う。

全く!!どちらが、親か?わからない。

それでも、大事にしたいと思っている。

         澤口宏行