天皇皇后陛下、教皇パパ・フランチェスコ様、皆様こんばんは!
人の想いと言うのは複雑で、本人には単純でも、
他者から見たらなんで?何を馬鹿な事・・・。と言う場合が多い。
かく言う私も、母の復活など、他者から見たら認知症に過ぎないのだろう。
実際私自身も、本当に介護施設で働いて、人の心の想いの複雑さを思い。
ある意味、本当に贅沢な死を迎えた母だと納得させられる。
或いは、まさに苦しみの極致の時満ちた中に、
まさかの、今時中年以降の息子の毎日のおしゃべりが、
数年続けられた贅沢は、これほどの高度な時代にも無いに違いない。
今時の比較的若い年齢で静かに最期を迎えられたことは、
私の心の苦しみをも納得させることが出来ていると
悔しいながらも、認めざるを得ず、
しかも、どれほどの霊的な働きに寄与できることも不可能と言う
判断をした私が選んだ、日々の継続する社会生活の中での
正当性のある努力をし続けつつ、信仰を健全に維持するという
子供の時からの自身に与えられた力と使命であることを改めて思う。
私たち家族は母の一周忌法要を、父母の先祖たちと同じ天台宗のお寺で
家族だけで静かに行う。
私自身も望んだ「平和な母の死の記念」であろうと思う。
母の生前にもイエス様の見せてくだされた奇跡は、
実はもう一つありました。
本当にきれいな奇跡です。
それは実在するのかどうか知りませんが、幼いイエス様が、
聖母マリア様と手を上げて、反抗している切手が、
多数載せてある記事を見ましたが、まったくの偶然か?
母と私の姿でした。
本当に幸せなことだと思います。
実は「疾風怒濤の青年期」と言われる日本の教育にも
私自身が、心揺れて苦しんだ男性の精処理の問題について、
今も実際にあるのかどうか?聖書にある勇者の記事が載せて
あるのを読んで納得したものです。
産めよ増えよの時代には、重要な行為であったと読み取れます。
しかしながら実は、今はもう
その時代は、終わっているのかもしれません。
確かに人間にとって一番大切なものを守るには、
今の時代、産めよ増えよでは決して生活できない
時代になったと思います。
それでも私には、同性愛は理解できませんが、
これから神の恵みが、どう日々の生活に
与えられるか楽しみにしたいと思います。
それでは、神の祝福と恵みと平安がこの世界中に、私自身に
ありますよう心からお祈りいたします。
澤口(沢口)宏行
Pietoro Francisco Xavier Francisco
Hiroyuki Sawaguchi