香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ

2015年08月23日 22時58分15秒 | Weblog
こんばんは!

ちょっと、更新するのが、惜しいのですが、(母の事が書いてあって、

新しくする事が、もったいない)

教皇様の『パパ・フランチェスコ』とUSAのオバマ大統領に、

対するお願いがあって、更新しました。

日本の深く、複雑でありながら、福音的には、簡単に解決できる

重大な社会問題の一端を、知っていただいたと思います。

同時に、私は、女性信徒の干渉を、黙って聞き流しながら、

ミサでは、侍者奉仕を、再開したことは、書いたとおりです。

 聖書もほとんど暗記し、かなり理解し、さらに、過去の歴史上の

大教父たちのように、私自身の、新たな研究成果を、社会に

述べ伝えなければならないことは、私にも、良く判ってきました。

しかし、収入の件で、全く身動きできない状態にしてしまっていたことは、

私自身にとっても、日本や全世界、全世界の教会にとって、

大きな損失であることは、きっと否定なさらないことと思います。

私も頑張りますので、今後の20年間は、自分自身のためにも、

家族のためにも、世界中の人々のためにも、十分な教育・学習・研究の

活動と共に、強力な仕事と政治・経済活動を、する事を、お許しください。

女性信徒に気を使って、小さなことに、心を、砕いて、終わることは、

黙示録の「イザベラ」の問題に、匹敵する、大きな問題であろうと

感じています。社会的地位も経済力も指導力も必要です。

ここ数年、一気に、後退したかのような、日本の教会の問題

でもありますが、『過去の時間のロスや時間の強盗』のような事が、

起こったとも言えます。

私たちは、この問題に対する専門家として、社会を「READ」

しなければならないと思います。

400年前の日本の多くの殉教と社会からの拒否は、

当時の殉教者達も、この問題を、甘く見ていたからと、考えております。

私は、ミサを忘れて、教会に、戻ったのではなく、自分ひとりでの

仕事と祈りの日々で、人々とのレヴェルが合わないので、自分自身の

生活から、しばらく祈りを、取り除いて、日本語の精神レベルを、

合わせていました。それが、母をなくした大きな原因でもありますが、

人間は、社会共同体として、生きなければならないので、

当然の努力だと思います。

同時に、長い間の日本の自民党支配の問題は、日本国民が、

それぞれに、「人に優しい社会」を求めてきましたが、

「自民党の演説内容は、良くても、その根を持たない演説」であり、

ちょっと、正しく感じますが、それは、薄い考えであり、

日々の、様々な、一人ひとりの働きを、正しく受け容れていないし、

階層化して、変な格差をつけなければ、出来ない、

基本的な問題のある人間理解でした。

それを改めて、大人として、様々な挫折に合い、気付いたことです。

ですから、政治的には、公私共に「社会民主党」を支持しつつ、

今後の政治活動の援助と自身の努力を、すると公言します。

そして、それは、反社会的な考えではなく、理にかなった

日々の努力の積み重ねによると、信じていただきたいと思います。

全く母が、ラザロのように、生き返ってほしいのですが、

最善であろうと信じます。

私自身の、一日も早い、信仰を、壊さずに、守る結婚と

日々の仕事と教育・学習・研究が、

成功する事を、お祈りくだされば、幸いです。

「医者を必要としているのは、病人です」の深さを、

心から感じております。

健康な私は、医者を必要とすべきではないと考え、

全ての神学的研究と教育的研究と生命科学的研究と

言語学的研究と心理学的研究を、大事に頑張ります。

この世界中に、神様の恵みと祝福と栄光が満ちますように

心から信じて祈ります。

Pietro Francisco Xavier Francisco

Hiroyuki Sawaguti.

******『ヨブ記』を読みなおす*******

後になってヨブは、自分が幸せだったかつての生活について、

「神との親しい交わりがわたしの家にあり、私は繁栄の日々を

送っていた。あのころ、全能者はわたしとともにおられ、

わたしの子らはわたしのまわりにいた」、と当時を

懐かしく回顧しています。その当時のヨブは、「乳脂はそれで

足を洗えるほど豊かで、わたしのためには、オリーブ油が

岩からすら流れ」出ていた、とさえ言っています。

****本日の転記はこれまで*****

聖書の親しみ

2015年08月09日 20時10分05秒 | Weblog
  今回は、早いとも思わなかったが、もう8月16日の夜。

母の遺骨は、まだ家の中にあり、信仰のない親族や

信仰を、持たない近所の人々と話していると

不思議なもので、本当に母が、消えて、

なくなってしまったかのように感じられるが、

一人落ち着いてミサに出かけ・・・今日は、何十年?ぶりの

侍者奉仕をした。

そして、先ほど「神発見の手引き」を、学んでいると、

U先生の書いた「医師にはわからない『抗癌性体液』がでて

病勢が一年も二年も停止する経験が現在でもある」

と学んだ。U先生は、戦前からの優秀な医師だ。

緩やかに生活し、学習研究と生活が、順調な時の私ならば、

「きっと、それは、体の中で抗体が頑張っていて、その後に残った

抗体の古い死体の水だから、体もがんばっているからきっと大丈夫」

などと他人なら、励ましたに違いない・・・しかし、

U先生の文章は、力強く、確信に満ち、神の力を示唆していた。

また、私は、母から、自分の至らなさを学んだ。

母の同級生で、隣に住んでいた同級生の父が、「体に水がたまった」

と嬉しそうに話していた母を、何年か前に「それはきっと悪いことに

違いない」と言って、あまりに私に対してわがままで、恥知らずな

言葉しか言わない同級生の素行を責めた。

しかし、現実には、母が、そんな私を「冷たいやつだな」と咎めた。

そして、それから、何年もたった、母の今度の最期の診断では、

若い医師の、私以上の心無い言動と

施設同居住人達の心無さで、母は、絶望していた。

母も娘時代に、国家公務員だったようで、人を、攻めないからだ。

私は、既に大いに反省して、十分な包容力を、信仰に加えていたが、

最悪な事が、重なったかのようであった。

そして、教皇の教書の大切さを、身をもって、知ったところで、

私が思うに、日本の最も悪い考え方が重なって、

母の死に、至ったと思えた。

全く、奇跡を、願いたいところだが、同じ苦しみにあわせたくない。

神学生の緊急洗礼と言うわけには行かず親族やら習慣やらを考えての

日本仏教式の葬儀をした。

勿論、教会のミサでは、祈っていただいたので、母の実際の意志が、

そうなってくれたように、母は、天国に行ったと信じたい。

父の頑固さは、どうしようもなく、本人のそんな必要の時が来たら、

もし、私のほうが、長生きであったなら、同じ二つの葬儀になる。

私は、自分の墓地と先祖、子孫の墓地は、カトリック墓地にしたいが、

そんな私を、早く殺したい地域の日本人達なのだろうか?(つまり、

比較文化も、信仰の考察も必要ない、昔からの葬儀で、済むから)

だから、私自身は、

それよりも、神と私の意思・関係が、重要だと思う。

負けるものか。必ず、平和的に、墓地を、移したい。

親族が、理解するかどうかではないし、日本人にとっては、

皇室との関係を保って、平和的に暮らすには、

この方法以外に、無いはずだから。

大学の学習研究も医学的にも役立つ、全世界の平和と科学の発展に

寄与する研究を成功させるには、医学部の外部である教育学部の

領域になる人間発達科学で、修士、博士の論文に託すのが、

今の状態ならば、一番いいと思われる。

結婚と子育てをするには、たぶん十分な健康な体になってきたので、

しっかりしようと思う。

※追加::もし、どうしても自己主張ばかりの市民生活者ばかりの、

日本人社会になってしまっているならば、年齢的にも、私には、

どうしようもなく、私も日々の生活に追われるばかりになる。

その場合には、せめて自分自身のためだけに、現コース卒業後、

名古屋学院大学院の英語学で、修士・博士を、とろうと思う。

Pietro Francisco Xavier Francisco

Hiroyuki Sawaguti.

****「ヨブ記を読みなおす」から続き****

 神に祝福されていたヨブは、また、そのしるしとして多くの財産を

所有しています。『ヨブ記』には、「羊七千匹、らくだ三千頭、

牛五百くびき、雄ろば五百頭の財産があり、使用人も」多く、

「東の国一番の富豪」だった、と記されています。

****本日の転記はこれまで*****

聖書の親しみ

2015年08月08日 14時57分03秒 | Weblog
早くも、もう八月八日・・・ずいぶん更新できなかった。

理由は、かなり頑張っているともいえるけれど、

最近は、長年の睡眠不足を補うかのような睡魔による。

新車を、買えて、ほっとしているとも言える。

来月末に、納車になる。

母のおかげだ。

実際に睡眠時間が2時間ぐらいで、ず~~と続いている。

厳しい生活は続く・・・たぶん厳しいと思うけれど、

もしかしたら、自宅がメインの活躍場所になってきたから、

いい結果が期待できる。

それでは久しぶりの「『ヨブ記』をよみなおす」から

*******ヨブ記を読みなおす  続き*****

 ヨブは、「7人の息子と、3人の娘を持ち」(1・2)、「息子たちは

それぞれ順番に、自分の家で宴会の用意をし、3人の姉妹も招いて

食事を」していましたし、「宴会が一巡するごとに、ヨブは、息子たちが

罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」、と心配して、「息子たちを

呼び寄せて聖別し、朝早くから彼らの数に相当する「いけにえ」を

ささげていました(1・4-5参照)。わたしたちは、幸せな生活の中では、

容易に神を賛美し、神に祈ることができます。」

***本日の転記はこれまで・・・括弧が一箇所変なので、無視します。***