香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ 「ヨブ記」を読みなおす

2015年07月20日 07時21分28秒 | Weblog
おはよう・・・!

あっという間に、前回の更新から、一週間が、たった。

毎晩、大変な思いで、車検費用を、つくっている。

その他に、月の収入が、足りない。

厳しいことだ。

本当に、父よりも、先に、逝くかもしれない。

そうなれば、大変だ。

母と共に、新しい、お寺の墓地に、埋葬される。

そして、ほとんどの、4半世紀の、日本のキリスト教の、

日本的な問題意識や新しい多くの試みが、共に、

ほとんどが、闇に消えることになるだろう。

何とか、家庭生活と仕事が、神の、み胸の内に、生き、

一つの働きで、学習・教育・研究し、生活費を、まかない、

ミサに出たり、教会の維持費を、支払って、信仰生活を、全うしたい。

とにかく、日々、自分なりに、頑張るしかない。

そして、今回の一連の問題で、日本の教育・研究の稚拙さを、知った。

まじめに、自己批判しているつもりだけれど、

多くの人々?周囲の人々?は、私を、蚊帳の外において、

満足しているようだ。

皆さんの健闘を祈る。私は、神から、決して離れない。

早く、しっかりとした仕事をしつつ、結婚に踏み切らねばならない。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti.

********「ヨブ記」をよみなおす*********

1 幸せの絶頂にあったヨブ

   『ヨブ記』に登場する主人公のヨブは、

神の前でも、人々の前でも、「正しい人」として登場しています。

ヨブについては、主をして、「地上に彼ほどの者はいまい。無垢な

正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている(1・8)」と言わせる

ほどでした。それゆえにヨブは、神に祝福され、そのしるしとして、

あらゆる富を所有し、子宝に恵まれ、円満な家庭生活を

享受していました。

まず彼は、子宝に恵まれ、

しかも子供たちは皆、互いに仲良く、平和な

生活を送っていました。

********本日の転記はこれまで********

聖書の親しみ 母に捧ぐ「ヨブ記を読みなおす」

2015年07月13日 20時49分00秒 | Weblog
こんばんは!

私は、昨日の主日ミサの後、急に、元気に、なった。

土曜日のカトリック墓地清掃も、限りなく、まじめにやった。

そして、やっとの想いで、決して、知的とは、言えそうも無い

「アルバイト」を、仕事の後で、することになった。

ん~~~むしろ、限りなく知的と解釈していいかも・・・!。

なぜならば、この地方では、車は、必需品なのに、

どんなに節約しても、車検費用が無い・・・。

私は、今回の一連の過去と戦う。

可能ならば、関連の全ての死者を、生き返らせ

「現実に流れていた時間」の通りの幸せを、

母を初めとして、返したい想いだ。

放送大学卒業2回と専門学校卒業を、持ちながら、

純真な信仰を、復活させて、全てを、新たにしたいと思う。

最も放送大学二回目の卒業は、今後の生活の安定に、

かかっている。来年か、さ来年3月の卒業予定だ。

さらに振り返れば、慶應義塾大学の卒業証書も、子供時代に、

もらっていたのは、間違いない。

しかし、残念ながらそれは今、私自身の反省のもとに、

跡形も無く、消えている。

私の母も大変な息子に、苦しんだだろうと心配する。

息を引き取る前に読み聞かせ、会話が、復活したこの本を、

転記し、読者の皆さんと共有したいと思う。

前書きや、編集後記のようなものを含むサンドイッチではなく、

私の焦りは、直接本文から始めた。

心ある皆さんは、その私の心を、お察しいただきたい。

勿論私は結婚し子供を育てる。

Pietro Francisco Xavier

Francisco Hiroyuki Sawaguti.

******ヨブ記を読みなおす*****

第一章 幸福の絶頂と、絶望のどん底を体験するヨブ

  わたしたちは、「ヨブ」の名前を耳にすると、

すぐ自動的に、「苦しんだ人」、という記憶に呼びさまされます。

しかし、わたしたちは、ヨブが体験した苦しみや災害の大きさや

重さについて正しく理解するためには、彼が以前に、

いかに恵まれた、いかに幸せな生活をおくっていたかについて

知っておく必要があります。

*****本日の転記はこれまで******

聖書の親しみ 母への想い

2015年07月12日 07時08分37秒 | Weblog
おはよう・・・。

母が、亡くなって、ちょうど、二週間が、経ちました。

私が、生まれた時からある、この、父と母の家には、

母の遺骨が、ある。

いつも、共にいてくれて、ありがとうと言たい。

大変優しく、知的な母が、思い出される。

地域の特異性や日本の特異性で、

本当に長い間、私たち家族間の感情さえも

何者か?に、虚像を、作られていたことに、改めて気付く。

日本の自画自賛状態での「皆同じくしなければ」は、

他人よりも、遅く気付くことに対する、

恐れと恥ずかしさの回避と損失の回避の

最高の対策のつもりに違いないが、

私と母の深く高度な会話に気付いたものは無く、

それどころか、勝手に「私が母を面倒見たくないから、

殺したいんだ」と解釈して、そのように言いふらしたり、

今回のように、「ご臨終です」と言いたかったかのように、

麻痺して言葉を言えない母、殆んど、顔を、見た事が無い医者で、

それだけでも言葉にならない母を、知的にも障害が、あるかのように

ズケズケと自分の所見だけを、言い放って、放り出した

比較的若い医者。

施設には、18年もの長い間、相談や入所で、心から感謝しつつも、

生活上の様々な明確な問題点も挙げられる。

今月限りで、私は、1月から勤めた病院勤務を、止め、

民間企業の準社員として、国の仕事に、従事する。



今回つくづく天国での「完全な姿での再会」と言う重さを感じ、

それが、今回の全てだった。

聖書のすばらしさを感じた。

キリスト教について、なるべく判りやすく、

決して破壊的ではない事を教えつつ、

このブログで、キリスト教の輪郭を伝えたい。

教皇、パパ・フランチェスコ様、ベネディクト16世様に、

心から感謝して、私が父よりも長生きできたならば、

カトリック墓地への移管を、お願いします。

今度のことで私の心は、皇室や、世界の王室に対しての

思いも清められたと思います。

では皆様お元気でお過ごしください。

Pietro Francisco Xavier

Francisco  Hiroyuki Sawaguti.

聖書の親しみ  カトリック墓地清掃

2015年07月11日 09時34分31秒 | Weblog
こんにちは!

今日は、朝のミサの後から、

地域教会の墓地清掃に行った。

今日だけは、日頃の違和感は、吹っ飛んで、

楽しい朝となった。

もっとも、違和感から、初めの一時間は、大変緊張感が、あった。

母は、亡くなっても、教会墓地の無い私でも、汗を書きながら、

頑張っていたので、労を、ねぎらってくれた。

やっと、私自身も、本来の所属の、郡山カトリック教会員としての復活の

第一歩に、なった。

これから、存分に、祈りに、交友に、ミサ、他の催しに、頑張ろうと思う。

幸いにも、国民年金の仕事は、決っているし、

そして、出来れば、多くの月収を、

得るための求職活動、就職活動も続けている。

そして、いよいよ、今月いっぱいの、退職も決まり、

ますます学習研究にも、

力が入るし、ダイエットも、かなり成功してきている。

これからのパパ・フランチェスコ教皇とベネディクト16世教皇、

そして、USA、UK、ロシア、ドイツ、Franceとの関係を、

有意義にしてゆきたい。

Pietro Francisco Xavier

Francisco  澤口  宏行

聖書の親しみ  

2015年07月07日 04時59分09秒 | Weblog
おはよう!

前回に最下位の話を載せたから、

ブログランキングまで、最下位にされてしまったわけだが、

ここまで日本の社会を、反映されると、

個人の投資みたいに、頑張らせられた昔を、思い出して、

なるほど、「知らない」と言うことは、恐ろしいと改めて気付く。

結局、日本の「みんなでやる」精神は、単なる「見栄と怠惰と嘘が入る」

それでも、私自身に、真実は、残っている。

単なるミーハーのように思われていても、現実は、怒りの固まりである。

人間としての行動と判断だけの社会では、人間として生きよう。

中途半端で、殺されたみたいな母にも、生き返ってほしいと、

願っては、いるけれど、現実的に、心が、通じる社会ならばであり、

心が通じない社会では、無駄な気遣いだけになり、泥沼になることが、

こんなに、はっきりと判ったのだから、最後に理解を、示した母が、

天国にいて、いつも共に居る事を信じる。

これから、母が、理解を、示してくれた本を、転記したいが、

葬儀の忙しさの中で、今は、どこに置いたのかわからない。

「祈りと共に生きる」と言うと、日本仏教の

「勝手な想像による指導」が入って、

知らない事に干渉することが、ますます酷くなりそうだから、

慎重に、ブログは、書きたい。

勿論、指導は、悪いことではないが、生き方に違いがあって、

説明しても仕方ないほど違った考え方なのに、拒否もおかしいから。

多くの人々に、「読んでもらうため」ではなく、真実に気付くために、

書いているのだから。

では、日本の皆さんのご健闘を祈る。

私は早く、今までの甘えた状態ではなく、自分のカトリック墓地を持ち

家庭を持ち、いずれは、母も共に入れたい。

父の希望では、父までは、仏式で最後の葬儀を望んでいる。

だから私が、父より長く生きた場合だけに、

可能性が、あると言えるのかもしれない。

Pietro Francisco Xavier Francisco 澤口 宏行

聖書の親しみ  母と父と弟とともに

2015年07月05日 11時15分31秒 | Weblog
こんにちは!

脳梗塞と言うと、やっぱり、大変な状態を、思いますが、

仙台の司教様も、札幌で、そうなったとの事で、

かなり心配しましたが、今日は、元気に、郡山で、ミサを、司式しました。

思うに、若い時には、万能に近く思えてしまう体を、

大事にするための警告ともいえます。

私もしばらく、無職の時には、無理を、していましたが、

何とか、体を、もたせていました。

去年、おじが、亡くなった、葬儀の、東京からの帰りに、

親族の従兄弟たちの誇るままに、最下位の状態で、帰ってきたためか?

多少の収入は、あっという間に、無くなる日々が、続いています。

後10日を、難なく過さないと、今月の給与は、まだ無いし、

心配な状態です。

本当に、生まれたときから、今日に至るまで、母には、

守られて、過してきたのが、判ります。

他人から見ては、どうであれ、私にとっては、大変立派な母でした。

これからの私の人生を、しっかりと頑張って、母の存在した事を、

決して、無駄にはしない事を、改めて誓う。

今までのように、母が、施設に、人質みたいな状態ではなく、

私自身の、心の中に、共にいてくれる事を、信じ、

そして、多くの、社会での出来事を、また、神との間の出来事を、

正しく整理したいと思う。

そして、そのように、心が安らぎ、きびきびした体と精神と心の動きが、

復活してきた事を、宣言したい。

それにつけても、良い仕事に就けば、それなりに、

母が、亡くなってしまった事が、心の中で、重く、大きくなりそうだ。

こうしていても、世界中で、戦闘状態が、あり、多くの人々が、

一瞬にして、このような苦しい思いを、していることは、大変残念だし、

出来れば、避けてほしいと思う。

恨みの連鎖は、決して、いいことではないのだから。

では、神様の慈しみに信頼して、私自身の生活の安定と

恵みと祝福と栄光の復活と、この世界中の平和と平安と恵みを、

願って、今日の更新としたい。

修正ついでに、他人のブログを、見てみた

なるほど、心地よい題がついている・・。

私のブログの変らない状態を、あえて、そうしてきたことに、

気付けないならば、このように、この市内では圏外となろう。

しかし、ご機嫌取りなのではないのだから、

それでも何か良い工夫が必要に思えた。

母に聞いて、ほしがった「柴犬のロボット」買ってやりたかった。

医者の告知方法が、ズサンであったが為の早期の死亡は、私の心を、

変えることになった。

日本語は、今、どこに行っちゃったのかなと思う。

宗教を信じて、低学歴のまま社会に出て、

社会に飽きられると・・・もしかしたら彼らを作って、お互いに

苦しみ、最悪の事態に、落ちているのかもしれない。

日本の闇は、今後どうなるのかな。


Pietro Francisco Xavier Francisco 澤口 宏行

聖書の親しみ  天国を感じつつ

2015年07月04日 09時32分52秒 | Weblog
こんにちは!!

今度の、7月2日に行った母の火葬で、細く、小さな骨を集め、

悲しみに沈む中でも、確実に、将来に訪れる

自分自身の姿でもあることを、冷静に受け止めて、

何とか頑張りたいと思います。

介護福祉士の病院勤務は、7月いっぱいで止めて、

今度の月曜から、病院の介護職に、復帰するのですが、8月からは、

NHKか、福島大学か、なんとか、自分に会った生活が、出来る仕事を、

希望しています。

企業による、自宅直行直帰の、年金の仕事は、少なくとも、

小額収入ですが、8月からの年金の仕事は、決っています。

ただ、父のこと、弟の事を、考えれば、大変心配な仕事なので、

頑張って、調べつつ、最も良い状態を、作る事を、

世界中の皆様と神にお許しとお導きと慈しみを切に請い願います。

早朝ミサは、一年前とほぼ同じ状態に戻った上に、

母との一体感が増しつつ、母の介護が無くなって、

母との天国での再会を確信し、

体力的には、少し安心していますが、

長年の介護なので、疲れや、自分自身の万が一の病気を考え、

介護職ではなく、男性向きの重要な仕事に就けるよう希望します。

今日は、ハローワークも見てくるつもりです。

今から行って来ます。

神父になったら良いのかな?とも思いますが?

基本的に堅実な家庭を創らないと、

1300年以上続くこの町にとっては、

逆効果に思いますから頑張ります。

正しい結婚と就職のため皆様、

そして神の慈しみと大きな助けを信じます。

Pietro Francisco Xavier

Francisco 澤口  宏行

聖書の親しみ  天国の鍵

2015年07月03日 23時37分25秒 | Weblog
こんばんは!

母の葬儀は、昨日、無事終了?しました。

父も、同じ方法での、将来の葬儀を、希望しています。

そして、私自身は、もし、長生きできたら、

父の葬儀を、今回同様に終えて、

その後に、墓地を、カトリック墓地に、

両親ともに、移動したいと考えています。

そして、その旨は、人々に、話しました。

母の頑張りが、良く判る「痛々しい

小さく、もろそうな骨でした。全く、たいしたお嬢様でした。」

いつでも、出来ることならば、会いたいです。

とは言え、今は、確かに、いつも、ともにいるように思えますし、

自分自身の、心の成長を、感じております。

必ず、非の打ち所の無い家庭を、創りたいと思います。

パパ・フランチェスコ様、ベネディクト16世様、

どうか、この希望を、かなえて、両親ともに、

そして、親族ともに、カトリック教会に、受け容れられますよう

心より、お願い致します。

私自身が、日々誠実に生き、相応しい家庭を、築き、

相応しい社会的な就業責任を、果たせますよう

祈り、助け、導いて、くださいますようお願い致します。

今週は、毎日、地域教会早朝ミサに、参加しました。

7月11日の教会墓地清掃も果たしたいと思います。

それでは、神様の恵みと祝福と平安と平和と正義とが、

この世界中の、全ての人々とともに、

ありますよう、心より、お祈り致します。

Pietro Francisco Xavier

Francisco 澤口  宏行