香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月21日 13時02分06秒 | Weblog
こんにちは!

  今日は、朝早くに、ブログの準備をしたのに、何度目かの、ウインドウズ10セットアップが作動して、

昨日の夜は、一晩中、OCNモバイルワンを、起動していたため、ぜんぜん、何も出来ませんでした。

その上、やっぱり、ウインドウズ10は、インストールできなかった様子です。

  早く、ひかりに、戻したいし、PCも新しくしたいです。

 とにかく、今の年金の仕事を、早く一人前になりたい、と切に思う今日この頃です。

朝の空を、アップできませんでした、モバイルワンの限界のためです。

   しかし、かねてからの住宅の大掃除も、本当に、最終段階になりましたし、年金業務をしっかりと覚えるように時間をかけれます。

 頑張りますよ!ですから、出来れば、この氷のような環境ではなく、身の回りの人々の心が、やわらかく、温かく変化して、

 良い結婚が、信仰の基準値で出来るように!、もし、出来ましたら、教皇パパ・フランチェスコ様のお祈りに加えていただきたいと思います。

私自身も、教皇様方と一緒に、叙階の恵みにあずかる日がないとは考えませんので、今の状況のベストを選ばせてほしいと思います。

そして、やはり、年取った父と病弱な弟は、二人だけでは、こうして、この家に、置けないので、私の家庭を、一緒に住まわせてください。

母のことでは、『主イエスを信じなさい、そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます』の言葉が重く、自分の不信仰であったかと

思いたいものの、現実は、このあたり、全域、もしかしたら、日本全域の地域の人々の、神の、知識は、不正確で、実際に、本当の知識もないのが、現実であり、

どんなに立派な人々も、高校レベルの倫理社会の教科書程度で、そうであったので、私が、実際には三人分ぐらい考えて、人々からは、見えない、弱く見える動きでした。

   それで、現在のような私の判断になったのです。

  もし叙階を、昔、受け容れていたならば・・・?この家が残ったかどうか・・・?と言うところです。

もちろん、国公立大学の医学部での学習・研究は、ぜんぜん諦めていませんし、実際に十分に可能だと思います。

では、この世界に神の平安が満ち溢れますようにと祈りたいと思います。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

*************************マタイによる福音書から続き***************************

   第一の説教  言葉におけるイエスの権威

5章

   山上の説教

  さて、イエスはこの人々の群れを見て、山にお登りになった。

そして、腰を下ろされると、弟子たちが近寄ってきた。

イエスは口を開き、彼らに教え始められた、

「自分の貧しさを知る人は幸いである。

天の国はその人たちのものである。

 悲しむ人は幸いである。

その人たちは慰められる。

 柔和な人は幸いである。

その人たちは地を受け継ぐ。

 義に餓え渇く人は幸いである。

その人たちは満たされる。

 憐れみ深い人は幸いである。

その人たちは憐れみを受ける。

 心の清い人は幸いである。

その人たちは神を見る。

 平和をもたらす人は幸いである。

その人たちは神の子と呼ばれる。

 義のために迫害されている人は幸いである。

天の国はその人たちのものである。

 わたしのために人々があなた方をののしり、迫害し、またありとあらゆる、いわれのない悪口をあなた方に浴びせるとき、あなた方は幸いである。

喜び踊れ。天におけるあなた方の報いは大きいからである。

あなた方より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」。

************************本日の転記はこれまで****************************