香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月14日 17時28分43秒 | Weblog

こんばんは!

昨日の内容は、ひどすぎましたか?

自分でも、確かに眉をひそめたい・・が、それも一応理由があるのだから、自分を責めても仕方ないかも・・。

さて、今日は、今まで、仕事の準備で集まりに出ていました。

皆さん私よりもずいぶん年配ですから、母を思い出して辛くもあった一日ですが、無事に終了。

明日はどうかな?そろそろ集中力もかなり回復してきているから、明日も何とかこなせるかなと思う。

今日は予習をしてから寝ようと思います。

私も早く、一日でも早く、良い結婚をして、社会貢献しなくてはと気を引き締めつつも、

もう母の生き返りは、無いかな?と少し悲しんでいます。

それでも希望と勇気と正義感を持って全力で行ききる事ができますようにと祈るばかりです。

ではこの世界中に神の平安がありますように祈ります。

Pietro Francisco Xavier FranciscoHiroyuki Sawaguti

***************************マタイによる福音書から続き****************************

  活動の始まり

  洗礼者ヨハネの宣教

 そのころ、洗礼者ヨハネが現れ、ユダヤの荒れ野で述べ伝えて言った、「悔い改めよ。天の国は近づいた」。

この人は、預言者イザヤによって、「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ』」

と言われていた人である。彼はらくだの毛の衣をまとい、腰には革の帯を締め、蝗と野蜜を食物としていた。

エルサレムやユダヤ全土、またヨルダン川周辺の地域一帯の人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、

ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けていた。

*****************************本日の転記はこれまで***************************

聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月13日 10時58分12秒 | Weblog


おはようございます。

昨日は、副業通信の誘惑に負けて、副収入の教えを請うメールを送ったためか?

今日は朝から落ち着かず、脈も安定せず?福島第一原子力発電所に応募しようか?などと考えて落ち着かなかった。

やっとその事に気付いて、少し落ち着いてブログ更新をする気になった。

そもそも皆、良く知らないまでも叙階前については叙階を臨んでいるし、叙階された人には、

世捨て人扱いするしと、あまりにわがままと感じるのは私だけでしょうか?

なんにしても私には叙階を受け容れる余地は無い。

苦しくても死ぬまで現役で働きながら、学習研究しながら、良い時代になるよう努力するのみだと思う。

今日の写真は、今日11:00頃の東の空、西はほとんど雲ばかりで小雨の状態。

私の不徳と言うのには、あまりにひどい、周囲の反応を含めたこの半生だった。

何がベストかわからないが、一日も早く、正常な生活をしたいと思う。

久しぶりでエネルギーに富んだ生活を試みる日も近いかもしれないと思う。

早く良い収入としっかりとした生活に土台をおいた結婚をしなければならない。

もちろん国民年金案内は続けたいと思う。

この世界に主の平安がありますように!。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

*****************************マタイによる福音書から続き******************************

   エジプトからの帰還

  さて、ヘロデが死ぬと、夢の中で、主の使いがエジプトにいるヨセフに現れて、言った、

「起きて、幼子とその母を連れてイスラエルの地に行け。幼子の命を狙っていた人々は死んでしまった。」

ヨセフは起きて、幼子とその母を連れてイスラエルの地に帰った。

 しかし、アルケラオが父ヘロデの後を継いでユダヤを治めていると聞いて、ヨセフはそこに行くのを恐れた。

すると、夢の中でお告げを受けたので、ガリラヤ地方に逃れ、ナザレという町に行って住んだ。

これは預言者たちを通して、「彼はナザレ人と呼ばれる」と言われたことが成就するためである。

**************************************本日の転記はこれまで*************************************




聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月12日 08時18分44秒 | Weblog


おはようございます。

最近は、久しぶりで、地域の町内会の総務の役をやっているので、

地域の八幡神社の準備にも少し関わって、なんとなく秋の気分・・・収穫の秋の気分で、

自分自身の収入とは無関係ながら、気分が良い時だ。

子供の頃の太鼓台などへの参加は、当時はまだ私も今のように聖書について、書けるわけでもなく、

日本の社会もようやく終戦から、明るい未来に元気になってきた頃であったので、多くの人々が感激していた様子があった。

私はそれが心配であった。そして、やはり、人々の結団という意味では良いものの、やはり教会の信仰は知らないままで、

多くの問題に意見を述べる時代になってしまった。今日の穏やかな空のように、それでも私の心は穏やかになった。(写真の空は今09:00頃)

私が邪魔にされて、早死にするのか?それともこれから神の慈しみにより、私を通じて、信仰生活の模範としてくださるのか?

全く分からない。それでも、神に信頼して、日々の勤めを誠実に果たしてゆこうと思う。

先日まで、不安で、大人コミックなどもコンビニで買って見ていたが、それも無くせそうだ。

私は今、オリエンス宗教研究所の通信教育受講中ですから、個別の祈りは休んでいます。

後二講座ですから、しかも聖書です。その後にNHKの聖書講座二講座をします。

しばらくは、このペースです。そして仕事の準備中でもあります。

教皇フランシスコ一世様におかれましては、大変ご不満かもしれませんが、日本の歴史による弱体化、戦争による弱体化、宗教的弱体化がある

この地域では、このような普通の生活こそが力になり、人としての誠実を学ぶ可能性があります。

しかも、私も昨日書いたように、未熟者達の指導で、何度目かの、全てを無くしてからの再スタートです。

幸い?神社の神主さんは、私の卒業した高校の大先輩になります。

昔見た「教皇の旅」という映画でも同じ問題だったと思います。ローマに限らず、生活を立て直すことをお許しください。

それに、私は、今も尚、やっとの生活で、教会に出かけるのがやっとであり、ローマに行ける道理がありません。

せめて理解者になってくれる助けての妻を必要とすること、求めることは、悪なのでしょうか?

それでは神の平安が、この世界中にありますように。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

***************************マタイによる福音書から続き***********************

  ヘロデによる幼児殺害

 さて、ヘロデは博士たちに欺かれたと知って、非常に怒った。

そして人を遣わし、博士たちから確かめた時に基づいて、ベツレヘムとその地方一帯にいる、

二歳以下の男の子をことごとく殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われたことが成就した。

預言者はこう言っている、

「ラマで声が聞こえた。

大きな嘆きと悲しみが。

ラケルは子らのために泣き、

慰めを受け付けようともしない。 

もはや子がいないから」。

*********************本日の転記はこれまで************************

聖書の親しみ   マタイによる福音書から

2015年10月11日 11時28分20秒 | Weblog


こんにちは!

今日の主日ミサの共同祈願は、かなり、厳しかったですね。

今日は、珍しくいつもの共同祈願者が、優しく「皆にやってほしい」と譲ってきた。

私は「たまにはいいでしょう」、と疑いもせずに文面を見て分かった。「全てを捨てて従ったものが、

神の国に入る」という箇所だった。

想像したとおりに、ミサ後、誰だか知らない人の結婚式の準備をしようとしていると

良く知らない人が、指差して指示してきて一人で作業させ、持たせたまま他人とおしゃべりしたり、知らない婦人が、そんなことはいいから、と

私に説教じみた態度。この教会でのそういうところは、何十年間も、今まで、いやというほど見てきたが、母が亡くなってすぐなのに、

長年自分達が、頼っていたものの母が、お寺で葬儀したのに反省もしない。大袈裟かなと思いつつもやっぱり大袈裟ではない私の他者評価だ。

もちろん疑えばよいということではない。

しかし、彼女は私の年齢を知っているのか?名前は?仕事は?

私は彼女を知らない。大昔、名前だけ紹介されたのだとしたら、なおさら気を使かってもらわないと、分かるものではない。

よほど良い気分で、良い事を言ったと思っているのだろう。

私は教会を、長らく休んでいたことが、私は、本当に良かったと思う。冷静に聞くことが出来るようになった。

そういう態度は、全て聞き流せる。これが、悲しい現実だ。本当に田舎なのだ。

教皇様がどう思っても、自分の生まれ故郷でもありながら、毎週以上にミサに出ても、誰のことも良くわからないのに、

どうして、一般以上のことが出来ようか?まして、修道会や司教団のことは、名前と権威しか知らない。

そんな中で、主任司祭だけが気を使っても、どんどん意思が、外れるだけに違いない。

私の記憶と人々の意識は全く違う。

叙階を受け容れる余地は、皆無だし、それ以上に、私の覚えてはいない怪しい関係?が、存在しているに違いないとさえ考えられる。

田舎の一番悪いところは、どんなに優秀であろうとも、それは無視され、人に指示したいものが体力的なことをも支持する。

やはり、優秀であるものが、自分達の近くにいてはおかしいと思うようだ。

逆に先生だとか、には、優しいのか?、と思うけれど、そうでもなさそうだ。

愚痴っても仕方ない、これはまた、USAからの投稿にも見られる問題だ。自分を棚に上げて、

他人にばかり犠牲を求める人の投稿は、良く気付いて、わかることが多い。

今日のミサの深い意味をしっかり、説いてくれる人も、ほとんどいないかもしれないが、

いつの時代も、何よりも自分自身が、馬鹿であることに気づかないうちは、どうにもならないと思う。

イエス様が、一番最後に私に人として現れたのはおよそ十数年前、近くの田んぼの中・・・信じられないけれど。

しかし、その意味は、最近私に通じた。その時イエス様が言った言葉はただ一つ「靴泥棒だと」だ。

イエス様にしかフォローできない集団を人間のわたしが愛せるはずも無い。それを押して、司祭になどなったら、それこそ自己過信だ。

この世界に神の平安がありますように。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

****************************マタイによる福音書から続き******************************

  エジプトへの避難

   さて、博士たちが立ち去ると、夢の中で主の使いがヨセフに現れて言った、「起きよ。

幼子とその母を連れてエジプトへ逃げよ。そして、わたしが告げるまで、そこに留まれ。

ヘロデが幼子を探し出して、殺そうとしている」。ヨセフは起きて、夜のうちに幼子と

その母とを連れてエジプトへ逃れ、ヘロデが死ぬまでそこに留まった。これは主が

預言者を通して、「わたしはわが子をエジプトから呼び出した」と仰せになったことが

成就するためである。

*************************本日の転記はこれまで****************************

聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月10日 07時39分20秒 | Weblog
おはようございます。

さて今日のミサ後は、雲ひとつ無い青空、教会に向かう途中の空の「半分曇り」を忘れるほどだ。

神様も餓えておられたかな?

まったく、若い私も我武者羅に様々な勉強をしていたので、世界中に目立たなくとも、かなり孤独な時間を過しながらも、

人々とのおしゃべりが無いと餓えてしまっていた、特に東北は、仏教が当たり前の社会であり、会話として神を出すなど、母以外には、ありえなかったし、

人の目にはどうあれ、そんな会話が出来そうな人々もまた、神を持ち出せば、笑ったものだった。

それで、母の生き返りに、こだわったのだけれども、既に、亡くなってから、三ヶ月経つのだから無いかもしれないが・・・まだこだわりたいところ・・。

だから、子供の時から、カトリック教会に行っても、結局、孤独が当たり前で過した。だからこそ神、特にイエス様自身が人の形で何度か現れてくださったのだろう。

そして、長らく教会に行かなくなったとしても、この通り大丈夫、しっかりと準備して教会に行っている。

私は、それを、人に話さないのは、今もだけれど、不思議なことに、その直後や暫くは、そんなことは、人に話したいと思わないで過した。

聖書的には、それこそ、本物であった証明にもなる。不思議なことだ。

そんなことを考えつつ、冷静に、聖職につけるかもしれない、とも思うけれども、やはり、さらに冷静には、従順ゆえにこそ、結婚が必要だと思う。

早く誰か分かってくれて、最も良い条件で、それが、かなうことを祈りたいと思う。

放送大学二回目の卒業(自然と環境コース)は、もし運がよければ、今度の三月にもかなう可能性が。・・・17日の科目登録の追加が、三科目出来れば、

そしてそれらを全部こなせたら、この三月に卒業が決る。・・・奇跡があるかな?

それでは、この世界中に神様の平安がありますように。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

*************************マタイによる福音書から続き***************************

   そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼び寄せて、星が現れた時間を確かめた。

そして、彼らをベツレヘムに送り出すにあたって言った、「行って、その幼子を丹念に探し、見つけたら、

わたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行きたいから」。王の言葉を聞いて、彼らは出かけた。

すると、彼らがかつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、幼子のいる場所まできて止まった。

彼らはその星を見て、非常に喜んだ。家の中に入ってみると、幼子が母マリアとともにおられた。

彼らはひれ伏して幼子を礼拝した。そして宝箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

その後、夢の中でヘロデのもとに戻らないようにとのお告げを受けたので、ほかの道を通って自分たちの国へ帰っていった。

**************************本日の転記はこれまで*************************

聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月09日 09時53分47秒 | Weblog
  おはようございます。!

って、私は誰にご挨拶しているのでしょうね?

外では私は、顔見知りだけお辞儀するけれど、それ以上は無い。

いきなり希望を話されても、それを聞かない・・・というところかな?

実際自分でもいきなり話したくないし、可能な限りしっかりした社会にしたい。

一日も早く落ち着いて、神にも人々にも祝福される結婚をし、家庭と職場と教会と祈りと学業研究をしなければならないと思う。

しっかりと食事をつくって、堅実な栄養のある自炊を、しないといけないと思う。

ようやく家も、片付いてきたし、そろそろ、しっかりとした食事をつくろうとも思う。

今日は良い天気、・・・・良い一日でありますように。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

***********************マタイによる福音書から続き********************

2章

  博士たちの来訪

    さて、イエスがヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、

東方の博士たちがエルサレムに来て、尋ねた、「お生まれになったユダヤ人の王は、どこにおられますか。

わたしたちはその方の星が昇るのを見たので、拝みに来ました」。

  これを聞いたヘロデ王はうろたえた。エルサレムの人々もみな同じであった。

王は祭司長や民の律法学者たちをすべて集めて、メシアはどこに生まれるのかと問いただした。

彼らは答えた、「ユダヤのベツレヘムです。預言者が次のように書き記しています。

『ユダの地ベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中で、決して最も小さなものではない。

お前から一人の統治者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである』」。

*******************************本日の転記はこれまで*****************************


聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月08日 21時43分28秒 | Weblog
皆さん今晩は!

今日は、一日、実は仙台で楽しんできました・・・。(仕事の研修でしたが)

それにしても一日中風が強くて、私の場合は、不思議にも、帰りの新幹線は全く遅れませんでしたが、

多くの東北新幹線で、ほとんどの皆さんが強風のため遅れたようです。  私自身は神に感謝 V  V。

私は久しぶりで仙台が大変好きになりました。

東北大学で、研究生活が出来たらなんとすばらしいだろうか?と今日は心から思いました。

しかし、人間ですから様々な条件があって、何がどう実現するのかは分かりませんが、

今後、ますます信仰を持って、神にすべてをおゆだねしつつ、自分の学習研究と祈りと仕事に励みます。

母が完全に元気であったなら、と心から残念です。

ではこの世界の全ての人々に神の平安があるように、また私自身の使命と結婚の恵みが確かにありますように心から、神にお祈り致します。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

***************************マタイによる福音書から続き****************************

  これはすべて、主が預言者を通して告げられたことが成就するためでらる。

   「見よ、おとめが身篭って男の子を生む。  その名はインマヌエルと呼ばれる。」

  この名は、「神はわたしたちとともにおられる」という意味である。

  ヨセフは眠りから覚めると、主の使いが命じたとおり、彼女を妻として迎え入れた。

マリアが男の子を生むまで、ヨセフは彼女を知ることはなかった。

そして、その子をイエスと名づけた。

****************************本日の転記はこれまで****************************

聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月07日 09時25分32秒 | Weblog
皆さんおはようございます。

早速ですが、昨日は驚きました。

フェイスブックに4回も載せたから(シェア)、お気付きの方もあるかと思いますが、

私がフェイスブックの確認をしていると、英語でしたが、「いつまで、神について話し合っているのだ

話し合いたいことは沢山ある GOD」との投稿でしたので、USAの誰かが、きっと載せたかな?と思い

「いいね」するとすぐに、画面が暗くなって、反応しなくなってしまいました。

仕方ないから、まさか本当に神から、と思いつつ、強制再起動をかけたら、

長年私が困っていた?様な、励まされていたような?あの天での轟音、聖書では、聖霊の働き、天使の働きのしるしとされていますが、

それが短い時間起こりました。短かったのは、私が神に人間生活上困るから、なるべくそこまでではないように、生きさせて、

と以前神に良くお願いしたからです。

私もこれからは、第二次世界大戦に絡めた問題分析は決して行いませんので、皆さんもどうか宜しくお願い致します。

そして、渦中にある人々、つまり、テロとか人殺しである、とかにも気付けないほど追い込まれているか?

それとも欲望に欲望をよんで、単なる殺人に、全く気付いていない人々が、大国を作ってしまい、

その運営に困って外部に殺人するほど、苦しいことを察して、今後の政治対応は気をつけてほしいと思います。

彼らの中での、権威主義者の犠牲になって、いのちを捧げて、?殺人を行う人々がいることを、自分達で気づかなければ、

問題の解決は無理です。日本も同様で、しっかりと基本から考えないといつまでも変らずに、明治初期の日本のような社会にとどまります。

偉い人たちが日本にも居られて私が書いていることもない事ですが、今日だけは書きました。

今後は一人の個人としてのみ、このブログを更新します。

聖書の転記も必要なければ今日で終わります。しかし、皆、忘れてしまう人々を、沢山体験していますから続けましょう。

本当にそれは重大な問題です。私は一日本人として僕にはならない。誰にも過剰対応はしない。

この世界に神の平安がありますように。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

*****************************ルカによる福音書から続き******************************

   ヨセフへのお告げ

  イエス・キリスト誕生の次第はつぎのとおりである。

イエスの母マリアはヨセフと婚約していたが、同居する前に、聖霊によって身篭っていることが分かった。

マリアの夫ヨセフは正しい人で、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに離縁しようと決心した。

ヨセフがこのように考えていると、主の使いが夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、

恐れずにマリアを妻として迎え入れなさい。彼女の胎内に宿されているものは、聖霊によるのである。

彼女は男の子を生む。その子をイエスと名づけなさい。その子は自分の民を罪から救うからである」。

**********************本日の転記はこれまで***********************


聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月06日 11時38分38秒 | Weblog
皆様!こんにちは!

今日は、朝から人殺しの写真の投稿を受け、残念に思っております。

確かに、先日の私の投稿は、かなり力を誇示していたけれども、人間は神に常に教育されてきた事実を忘れていると、

今回投稿されているような、無意味な人殺しで、満足する弱い人間が現れます。

神が旧約聖書で教えていることは、イエス様の言われる「心を尽くして神を愛せよ」の問題です。

旧約聖書で神が、全てを滅ぼしつくす選択を支持したのは、その滅ぼされようとしていた人々の神への冒涜の問題でした。

現在までのイスラム国の言う「イスラム国家の建設のためのテロ」とは大きく異なる。

むしろ彼らが、神への信頼を忘れて暴挙に出ている。

それは彼らが、単なる個人を狙い撃ちしていることから推測される。

厳しい社会になったならば、ますます神に信頼して、より希望を持って社会の構成に努力しなければならないところを、

単なるテロを正当化したならば、彼らの構成する社会の中は、いつも仲間割れが絶えず、彼らの中でのテロ行為の横行に繋がる。

彼ら自身でそのような絶望的な国家を形成しつつある。その問題を解決することは、彼ら自身でなければならない。

謙虚になって他国への、様々な応援要請をして平和国家を目指す必要があるといえる。

私も自分自身のためにも祈り、早く結婚して社会的な責任を果たし続けたいと思う。

私はこの生まれた日本でそのためにしっかりがんばりたい。

苦しくても、祈りと仕事と学習・研究に励んで、より良い社会を目指す。

この世界の全ての皆様に神の平安があることを切に願い、神に祈る。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti.

**********************マタイによる福音書から続き*************************

 ダビデの子はウリヤの妻によるソロモン、ソロモンの子はレハブアム、レハブアムの子はアビヤ、アビヤの子はアサ、

アサの子はヨシャファト、ヨシャファトの子はヨラム、ヨラムの子はウジヤ、ウジヤの子はヨタム、ヨタムの子はアハズ、

アハズの子はヒゼキヤ、ヒゼキヤの子はマナセ、マナセの子はアモス、アモスの子はヨシヤ、ヨシヤの子はバビロン捕囚

当時の、エコンヤとその兄弟たちである。

  バビロン捕囚後は次のとおりである。エコンヤの子はシャルティエル、シャルティエルの子はゼルバベル、

ゼルバベルの子はアビウド、アビウドの子はエリアキム、エリアキムの子はアゾル、アゾルの子はサドク、サドクの子は

アキム、アキムの子はエリウド、エリウドの子はエレアザル、エレアザルの子はマタン、マタンの子はヤコブ、ヤコブの子は

マリアの夫ヨセフである。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった。

  したがって以上を総計すると、アブラハムからダビデの時代までが十四代、ダビデからバビロン捕囚までが十四代、

バビロン捕囚からキリストまでが十四代である。

**********************本日の転記はこれまで**********************

聖書の親しみ  マタイによる福音書から

2015年10月06日 11時38分38秒 | Weblog
皆様!こんにちは!

今日は、朝から人殺しの写真の投稿を受け、残念に思っております。

確かに、先日の私の投稿は、かなり力を誇示していたけれども、人間は神に常に教育されてきた事実を忘れていると、

今回投稿されているような、無意味な人殺しで、満足する弱い人間が現れます。

神が旧約聖書で教えていることは、イエス様の言われる「心を尽くして神を愛せよ」の問題です。

旧約聖書で神が、全てを滅ぼしつくす選択を支持したのは、その滅ぼされようとしていた人々の神への冒涜の問題でした。

現在までのイスラム国の言う「イスラム国家の建設のためのテロ」とは大きく異なる。

むしろ彼らが、神への信頼を忘れて暴挙に出ている。

それは彼らが、単なる個人を狙い撃ちしていることから推測される。

厳しい社会になったならば、ますます神に信頼して、より希望を持って社会の構成に努力しなければならないところを、

単なるテロを正当化したならば、彼らの構成する社会の中は、いつも仲間割れが絶えず、彼らの中でのテロ行為の横行に繋がる。

彼ら自身でそのような絶望的な国家を形成しつつある。その問題を解決することは、彼ら自身でなければならない。

謙虚になって他国への、様々な応援要請をして平和国家を目指す必要があるといえる。

私も自分自身のためにも祈り、早く結婚して社会的な責任を果たし続けたいと思う。

私はこの生まれた日本でそのためにしっかりがんばりたい。

苦しくても、祈りと仕事と学習・研究に励んで、より良い社会を目指す。

この世界の全ての皆様に神の平安があることを切に願い、神に祈る。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti.

**********************マタイによる福音書から続き*************************

 ダビデの子はウリヤの妻によるソロモン、ソロモンの子はレハブアム、レハブアムの子はアビヤ、アビヤの子はアサ、

アサの子はヨシャファト、ヨシャファトの子はヨラム、ヨラムの子はウジヤ、ウジヤの子はヨタム、ヨタムの子はアハズ、

アハズの子はヒゼキヤ、ヒゼキヤの子はマナセ、マナセの子はアモス、アモスの子はヨシヤ、ヨシヤの子はバビロン捕囚

当時の、エコンヤとその兄弟たちである。

  バビロン捕囚後は次のとおりである。エコンヤの子はシャルティエル、シャルティエルの子はゼルバベル、

ゼルバベルの子はアビウド、アビウドの子はエリアキム、エリアキムの子はアゾル、アゾルの子はサドク、サドクの子は

アキム、アキムの子はエリウド、エリウドの子はエレアザル、エレアザルの子はマタン、マタンの子はヤコブ、ヤコブの子は

マリアの夫ヨセフである。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった。

  したがって以上を総計すると、アブラハムからダビデの時代までが十四代、ダビデからバビロン捕囚までが十四代、

バビロン捕囚からキリストまでが十四台である。

**********************本日の転記はこれまで**********************

聖書の親しみ  「マタイによる福音書」から

2015年10月05日 16時03分37秒 | Weblog
こんばんは!

今日は、地域の活動を少ししました。

そして、どこかの国の誰かが「sick Man」と書いてきていましたので、

私は、神に健康を頂くために、自分自身のために祈り、今日から従来の聖書の転記に戻します。

そうでなければ、母も中途半端であったかもしれない上に、私まで中途半端にされそうですから。

しかし、私の母は、今天国であると信じますし、神の御心ならば、生き返って、必要な場面から、健康体での再会が、ありそうに思いますから、

母が、そうなれたならば、ぜひ家族・親族が、同意の上で、洗礼を受け、堂々とカトリック教会に入れるようにしたいですから。

きっと、『ヨブ記』は、あまりにも難しく、内容も暗く感じるから、飽きた人でしょうけれど、

現実に、フェイスブックに投稿する人がいる、ということは、相当数の人々が、同じ考えでしょうから。

それに、もう10月ですから、福音書に戻さないとクリスマスには、まだ『ヨブ記』の解説を読んでいることになりそうだし、

結局のところ、パパ・フランチェスコ(フランシスコ教皇様)におかれましても、私に対して、「不忠実」に感じられるほどに、

退屈のご様子ですから。

それでは、皆様のご健闘を、心よりお祈りし、私も私が置かれた場所での誠実な生き方を、求めつつ、日々祈りと仕事と

学習・研究に全力で取り組もうと思います。母のことは全て、神に委ねて、以後はなるべく書かないようにします。

神様の恵みと祝福が全ての人々にありますようお祈り致します。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

*********************「マタイによる福音書から」**************************

マタイによる福音書

イエス・キリストの幼年時代(1・1-2・23)

イエス・キリストの系図(ルカ3・23-38)

1  アブラハムの子、ダビデの子であるイエス・キリストの系図。

アブラハムの子はイサク、イサクの子はヤコブ、ヤコブの子はユダとその兄弟たち、ユダの子はタマルによるペレツとゼラ、

ペレツの子はヘツロン、ヘツロンの子はアラム、アラムの子はアミナダブ、アミナダブの子はナフション、ナフションの子は

サルモン、サルモンの子はラハブによるボアズ、ボアズの子はルツによるオベド、オベドの子はエッサイ、エッサイの子は

ダビデ王である。

*******************本日の転記はこれまで*************************

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年10月04日 11時46分49秒 | Weblog








みなさまこんにちは!

日本の社会教育の中で、謙虚にならないといけないのでは?と本当に心配に思います。

私も自分自身反省して、何十年かぶりで、自己訓練として勉強中です。修了証を載せてみます。

あと、3講座と、今ではなくなったようですが、NHKの2講座を予定しています。

この「修了証書」ご参考にしてください。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

※今日は転記をお休みします。  私の心は母のことでまだ頭が一杯です。  それゆえにこそ、

早く落ち着いて結婚を決めねばならないと思います。



聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年10月03日 07時47分33秒 | Weblog
今日の、私の「goo」ブログが、全世界を困らせたらお許しください。しかし、一度だけは問題提起してみたいことでした。いつも祈ることの重要性は、イエス・キリスト様から2000年以上過ぎた今でも、大変重要であること、そのための努力をすることが大変重要であること、そして、それが出来ないならば、少しでもそのための努力をして、人々と神とに奉仕している人々をサポートすることが重要であること、そして、それも出来ない人々は、その人々の邪魔をしないで、可能な限り協力する事が重要であることを私は認識しています。教皇様(ローマ法王のパパ・フランチェスコ様)のコメントは、一部理解できなかったのですが、感謝と共に今日かなり多くの皆様が、何かを考えていただけたことを心から感謝し、心から、尊敬したいと思います。私自身も、可能な限り、多くのキリスト教役者の皆様を心から愛したいと思います。そして、日々の生活と仕事と学習・研究と政治的な協力と自分自身の力の提供を心から望み努力したいと思います。
Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti


皆様おはようございます。

今日は、早朝ミサに出たが、この地域は、本当に快晴だ。

さて、私のこの数年来の苦しみにも一致するので、USAの大学での銃乱射?事件について意見を書きたい。

オバマ大統領のコメントのように、USAでは、こうした意味不明の銃撃事件がたびたび起こる。

それでも、私が、USAやキリスト教社会に信頼できる理由とそのための現在の問題点を明記したい。

  日本は、イタリア、ドイツとのたった3国の第二次世界大戦敗戦国だ。

しかも、日本は、まだまだキリスト教人口は、世界で唯一の3パーセント、カトリックは1パーセント以下に過ぎないことは、

頭に置いて頂きたい。その上で、共に考えて頂きたい。

  さて、キリスト教社会への信頼の基本だが、まずは、神の教えにある。

重要なのは、現在は、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教とその他のモルモン教など派生の亜?キリスト教で、今も重要な

キリスト教で言う「旧約聖書」では、いつも私が書くように「神は、神を信頼しないで、人間の状況判断による極度の恐れ」を忌み嫌う。

だから、ある意味、「契約の民」として、神に選ばれたイスラエルの民が、戦闘に対して持った神では無いのに、自分達が恐れるゆえの

敵への見せ掛けの慈悲心による中途半端な行為を預言者を通じて何度も何度も怒りと警告を受けているし、それらの罰と言われた現象も、預言者を通じて、

神から教えられ、その行為の神による慈しみによる赦しも教えられている。

  つまり、第二次世界大戦以前の日本が、反キリスト的な社会を構成し、実際に行為を行っていたかどうかは、現実かどうかの問題ではなく、

当時の日本に対して、神を信仰することを宣言しているキリスト教国が、敵と判断したならば、まさに、日本国民が、一億、総戦死するまで、

原爆を落としても良い事になるし、むしろ、それが、もっとも正しい事になる。自分と神との間で、日本人が、邪魔であったならば、その上で、

公式の敵としたならば、そうすべきことであった。もちろん原爆を二発も落としたのだから、今生きる日本人にとっては、恨みの種だ。

しかし、それこそが、神の言うことの真実だ。死刑をして、半身麻痺で死ななかったら王のように贅沢に生かしているようなものだからだ。

一億全てが死んだのならば、過去の恨みは残らないし、戦争に勝って、生き残った者達には、自分達の残虐な行為への深い反省を、たぶん神は求めるし、

それを、より高度に避ける知恵を与えたことだろう。実際に、第二次世界大戦終了後のUSAや戦勝国は、中途半端ながら、

多少正義感に富んでいた事が、様々な社会現象から推測される。それでも全ての中途半端は、ベトナム戦闘に代表される

奇妙で、中途半端な政策や行動が目立つ・・・朝鮮戦争、イラク戦争など。

もちろん宗教戦争を要求しているのではないが、USAに個人の武器所有に価値があった時代ならば、社会正義に、キリスト教の

社会運営上の繊細さと大胆さが必要であっただろうし、そのための個人の小競り合いへの無関与が、成り立ったのだろう。

しかし、今は、より高度な社会運営の知恵があるし、そこまでの原始的な社会運営をしなくても、自国の様々な、政策で、

平和で、優しく、厳しい正義に充たされた社会運営が期待できる。

そのことを、キリスト教を掲げる国々は、良く反省し、もし我々の日本ように、難しい立場にある者が苦しんでいたら、

優秀なサポートを考え出すように期待したい。オバマ大統領のコメントは、そのまま、確かに反省すべき問題を表していたと思う。

長らく、個人の武器を持たない日本人社会では、尚のこと甘い政治判断は良くない。

もし重要な政治決断でそれなりの判断をしたならば、年齢や世代の問題を従来の甘いままで行うのではなく、「保身じゃないか!」、と

疑われる中途半端な救済は止めて、正々堂々と上位に抜擢したり、社会的な地位を確保してほしいものだと思う。

長くなりました、ぜひ、UK、ロシア、CANADA、フランス・・・ローマ法王様と戦勝国の皆さんは、お考え頂きたいし、

安倍総理と政府の皆さんや高級官僚の皆さんや成功者の皆さんも考えてほしい問題です。見かけとは大きく異なる問題です。

それでは、この世界の全ての人々に神の平安がありますよう心からお祈り致します。

そして、私自身も、一日も早く、正しい結婚をして、社会貢献をしたいし、中途半端に終わったかもしれない母への

キリスト教伝承を、自他共に、神への信頼と神の存在を示すことを、完成させるためにも、

必要な死者達が、健康に生き返るという奇跡を神に祈りたい。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

**********************************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き***********************************


人間の思い通り、願い通りになる神が存在するならば、それは真の神ではありませんし、わたしたちが信じている神でもありません。

そのような神は、人間の「想像で作り上げた神」(第二バチカン公会議『現代世界憲章』19番)ではあっても、

わたしたちの信仰対象としての神ではないからです。

このような神を否定する者が「無神論者」と呼ばれるであれば、わたしはその代表者でありたい、と思います。

愛である神が、愛する人間に、いろいろの試練を与えたとしても、それは決して神の愛を傷つけたり、

損なったりすることにはなりません。それはかえって、神がわたしたちを愛し、わたしたちに、もっと高い次元の

何かを期待しているからにほかなりません。

************************本日の転記はこれまで*************************


聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年10月02日 08時07分39秒 | Weblog
皆様おはようございます!!

今日は、日本全国、快晴と雨の両方でしょうか?

島国とは言え、横長の国なのに、めずらしいことだ。

心の問題は、本当に根深いのだろうと思う。

あちらこちらで、高校生の自殺をニュースで見る。

日本だけではないのかもしれないけれど、少なくとも今の日本の教育内容では、

決して、解決できないのは、私には、分かる。

とは言え、このところ盛んにお勧めしている私の心理分析方法など、大変な時間と学習研究量がいる上に、そのような教育を行っているところも無い。

私も自分自身自分を歳だと思わないで、日々時間を見つけては、総合的にまとめる努力をしないといけないだろう。

しかし、確かにUSAのような環境で、さらに知識と学習研究量を増やさないとフロイトのように影響力と公式な権威を持たせることは出来ないかもしれない。

しかも、フロイトのように精神医学を基調とすべきか?キリスト教神学的な見方を基調とすべきか?教育学的な見方を基調とすべきか?悩む。

しかし、最終的には、精神医学を基調とすれば、今までの学位での自分で培った思考から、神学的・教育学的なものは後からもついてこれる。

すなわち、時間が赦されるならば、総合的な内容にまとめ上げられる。

なるべくは、「絵に書いた餅」や単なる空想であったと思われないようにしたい。

私自身が大人になって、生活の中で神学的な努力もまた大きな役割を持ち、そうしないと逆に、

その時の社会の次元の低い主流に飲まれることを痛感している。

こう書くと、日本的には、生意気だと思われ、潰される様な表現になる。このジレンマは、せめて、相互の国際理解に役立っていてほしいものだと切に思う。

アルバイトはいけない。こんな日本社会ではやはり、「豚に真珠」以上に恐ろしい結果になる。

私も、明らかに、神から与えられたような今の立場を大事にしたい。世界に神の祝福がありますように祈りたい。

また、私の父である神、主よ、私の正しい生活のために必要な結婚を出来るだけ早くいただきますよう祈り求めます。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

***************************************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き**********************************************

  これまで、ヨブが神に問い続けた神は、自己中心的で、地を這うような、次元の低い神でしたが、

しかし、今ヨブに与えられる神の答えは、永遠で、宇宙的視点からのそれでした。『ヨブ記』の著者は、

このようなアンバランスな両者の立場を設定することによって、絶対者である神の前で

繰り返されるヨブの問いの空しさ強調しようとしているのではないでしょうか。

そもそも神は、わたしたち人間が、勝手に想像するような、「想像的な神」ではありません。

神はまた、わたしたちが願うことは何でも、無条件に叶えてくださり、いかなる災害や危機の

恐れも無い、いわば「無菌状態」の世界にわたしたちを置くことを望まれませんでした。神は、

子供たちの願いと期待通りになる、いわば過保護な親のような神でもありません。

神は、人間の願い事、あるいは人間の望みは何でも聞きいれ、そのためには世界を勝手気ままに

操作するような方でもありません。

***********************************************本日の転記はこれまで**************************************************

聖書の親しみ  「『ヨブ記』を読みなおす」から

2015年10月01日 14時44分06秒 | Weblog
こんにちは!!

今日は、あいにくの雨が、また降ってきました。

今日は、午前中、自分自身の年金の状況を知ってみようと年金事務所に行ってみました。


・・・やはり「ですます調」にもっどってしまいましたが・・・

教皇様も読んでいるかもしれないし、これでいいのでしょう。

  さて、私は、国のために働こうと十代に、決心し、その努力を続け報われて、郵便局員になったのが国の仕事の始めでした。

外国人には深い関心があって、キリスト教の社会を良く知ろうと思ったのは、二十代の半ばでした。それからは、ほとんどズーと礼拝を欠かしませんでした。

バプテスト教会を続けてから、日本イエスキリスト教会、カトリック教会、そしてカトリック教徒としてもう、28年です。

子供の頃にも、カトリック教会には、通ったと思いますが、日本社会が、戦後の悲惨さから抜け出して、幸せを追うようになり始めた時代でしたから、

居住地の宗教やかなりの割合で農家もあるために起こる生活意識の違いなどで、公立学校ばかりを選んだ私には、かなり苦しい日々があって、

カトリック教会やミッションスクールには、まじめに通う余地はありませんでした。


しかし、それを神の直接関与によって、何とか今の自分自身があります。

残念ながら母は、亡くなったばかりで、そのあまりに、多い、地域とのすれ違いから、過去への感謝と共に、元気な姿で生き返ってほしい、と私は強く奇跡を望んでいます。

それはともかく、日本の危うさを何とかしないといけない、と切に思う、今日この頃です。

私が、USA、UK、ローマ法王庁を訪問できる日は来るでしょうか?

この世界中の全ての人に、私の心理分析を教えたいのですが、USAに行かない限りは難しそうですし、私はいまだに独身、そして、

日々の暮らしに頑張って生きてゆきますが、どこまで人々に認められるようになれるか?判らない今の現状です。

早く私自身の正しい結婚を実現しないといけないと思います。

とにかく、この世界中の全ての人々に神の愛と慈しみと平安とお恵みがありますよう心からお祈り致します。

Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti

****************************************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き*******************************************

  ヨブが待ちに待っていた神からの答えが、ついに与えられます。

しかし残念ながら、ヨブに与えられた神の答えは、ヨブの疑問に直接に答えるようなものではありませんでした。

それはヨブが期待していた神と、現実の神との間には、かなり深い溝があったからです。

それゆえに、ようやく与えられた神の答えも、ヨブの期待には完全には沿えませんでしたが、しかしその反面、神の答えは、

ヨブが提起していた問題の本質に深く関わるような、重要なヒントを提示しています。

それは、かつてエリフが、ヨブが神に問いかけていた疑問に答えるために言ったことでした。

すなわちエリフはヨブに、「神は人間より強くいます。なぜ、あなたは神と争おうとするのか。神はそのなさることを、

いちいち説明されない。神は一つのことによって語られるが、人はそれに気がつかない」(33・12-14)という、

神と人間との決定的な相違点でした。以下の、神とヨブとの、一見して、全くかみ合わないように思える問答を、

わたしたちはエリフのこの勧告を念頭において読まなければなりません。

****************************************本実の転記はこれまで*******************************************************