Feel in my bones

心と身体のこと、自己啓発本についてとつぶやきを。

『好かれる方法』続き

2006-10-18 07:59:01 | 読書ノート
昨日帰郷。八重洲口の大丸の地下でお弁当を買う。バラエティがある。おこわ二種の弁当だったが、なかなか美味しい。いい天気、というか陽射しが強い。

新宿で特急に乗り、お弁当を食べ、矢島尚『好かれる方法』を読む。集中して読んでいたら一気に読了し、甲府の手前から爆睡した。陽射しが強く、南側の窓際席は眩しくて暑い。予約状況を見たとき、北側の席から埋まっていたのもうなずける。北側からは八ヶ岳がよく見える。南側からは富士山が見えるが、これは運良くタイミングが合わないと見られない。見える時間が僅かなのだ。八ヶ岳は車窓一杯に広がるので、こちらの方が初めての旅人にはお勧めだ。

午後から夜は仕事。いつもの火曜日の仕事は休みで、別口の仕事。それなりに忙しい。別の仕事の用意。必要があってネットで戦前の写真を探していたら、探していたそれらの写真に対し、知らない時代なのになんだか凄く懐かしさや親しみのようなものが湧いてきた。貧しくはあったが、日本が日本であった時代。日本のよさというのは、貧しい時代の方がよく現れるのかもしれない。それはおそらく、アメリカについてもそうなのだろうという気もする。

矢島尚『好かれる方法』。知らない仕事の説明なので感想と言うのも書くのは難しいが、いくつか。PRの仕事は成果主義ではなく「経過主義」で、最近ではある一定の基準を満たしたらプラスアルファ、という契約もあるとはいうが、原則は時給いくらで支払われるのだと言う。

好かれる方法 戦略的PRの発想

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PRの際のポイントが『キー・メッセージ』を伝えること。ヴィダル・サスーンというヘアケア製品のブランド復活のPRにおいては、「このブランドの新しいスタイリング剤が発売されたこと」と、「このブランドがファッショナブルで、クリエイティブで、モードをリードする存在であること」、がキー・メッセージだったと言うが、この名前がイギリスのヘアスタイリストで、シャンプー・コンディショナー・トリートメントを家庭でできるようにした人の名だというのは私などはへえと思った。

この『キーメッセージ』をメディアに「記事として(広告ではなく)」取り上げてもらうことがPRの主目的だということで、伝える内容は結局はシンプルなことなのだなと思った。しかしシンプルであるがゆえにそそうやって築き上げたブランドイメージもそれに反することが起こると一気に傷つき、信頼が失われるわけで、信頼構築と信頼維持、それが失われそうな事態が発生した時の危機管理、などがPRの仕事の本質だと考えればいいのだなと思った。

低用量ピルやキシリトールの話も医薬品や食品独特のPRの難しさが説明されていてこれも興味深いものではあったが、宮崎のシーガイアの話は読んでいて宮崎にいってみたくなるものだった。私はほとんどの県は行ったことがあるのだが、宮崎県と青森県だけは足を踏み入れたことがない。青森は深浦の夕日、宮崎は高千穂など、行ってみたい所はあるのだが、まだ実現していない。プラップジャパンのシーガイアのPRは今までの「昔の新婚旅行のメッカ」的なイメージを一新するものだったそうで、実際どんなものなのか、行って確かめたい気持ちになった。

危機管理の話では、リスクマネジメントの三段階のポイントと言うのが興味深い。一つ目は内在するリスクを特定しておくこと。二つ目はそのリスクをコントロール下に置くこと。三つ目はコントロールできなかったリスクが表面化しクライシスになったとき、それを収束すること、ということで、これはまあなるほどと思う。私の経験では一番難しいのがリスクの特定なのではないかと言う気がするが、それは仕事内容によっても違うのだろうな、と思う。

自民党のPR戦略についての話は守秘義務ということであまり語られていなかったが、以前読んだ世耕弘成『自民党改造プロジェクト650日』に書かれている通りだということで、この本を読んだ目で世耕補佐官の本を読み直してみるのも面白いかと思った。現在は中国にも進出しているそうだが、日本のPR会社では唯一だそうで、欧米の会社に比べると乗り遅れていて、それが中国に進出した日本企業の現地との摩擦を引き起こす一因になっていると言う話もなるほどなあと思う。日本に好意的な世論を構築する、という大きな仕事が究極のPRだと言う話はなるほど確かにスケールが大きいと思う。そういうことは『国家の罠』の佐藤優氏も書いていたが、佐藤優・矢島尚の対談のようなものを誰か企画してくれないだろうか。外交官とPRの専門家の日本PR戦略についての話し合いは興味深い。

PRという仕事は、自分のやっていることにもいろいろ関わってくるように思う。参考にして行きたい考え方もいろいろあった。

***

それにしても今朝は寒いな。ひどく冷え込むと言うことはないが、薄ら寒いのが広がりが大きいと言うか、何を言っているのか分からないが。しかしだんだん日もさしてきたので徐々に気温も上がって行くだろう。

2005年5月に休止した詩のメールマガジン『詩の林檎』を近々復刊します。ご興味のおありの方はそちらもどうぞ。

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秋らしい秋/『好かれる方法』/相変わらずの小泉人気

2006-10-17 10:03:35 | 読書ノート
良い天気が続く。本格的な秋になってきた。しかし、こんなによい日和が続くのも、何年ぶりかのことではないか。最近は「天候」といえば「不順」と返ってくるような感じだったが、よく晴れて、乾燥して、日の暮れが釣瓶落としで、朝夕は放射冷却で一気に気温が下がる、じつに秋らしい秋である。一年で最も気持ちがいい季節、とFMのアナウンサーが言っていたが、本当にそのとおりだ。

相変わらず毎日作業続きだが、昨日も夕刻に出かけ、丸の内の丸善で本を物色した。オルハン・パムクが何冊も積んであったのはさすがに商魂だが、一冊が高くて手が出ない。しかしぱらぱら見た限りでは『雪』も『私の名は紅』もいい感じの小説だ。そのうち読みたいと思う。

買ったのは矢島尚『好かれる方法』(新潮新書、2006)。小泉政権のPR戦略で有名になった、「プラップジャパン」の矢島社長が書いている。立ち読みして買うことに決め、レジに持っていったら、背後に水色と白の太いストライプのサッカーユニフォームがガラスフレームの中に納められていた。背番号は10で、Diego.Mとサインされている。気もそぞろで会計を済ませ、女性店員がおつりを渡して「ありがとうございます」と言うのを待って、「あれ、マラドーナですか」と聞くと、にこっとして「そうです」といった。へええ。マラドーナのユニフォームかあ、と思いつつ何度も頷きながらレジをあとにした。いいなあ。

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『好かれる方法』はまだ60ページ。日本では馴染みの薄い「PR」という仕事について説明している。PRはPublic Relationsの略だから、つまりは「公的な諸関係」ということになる。この言葉とPRという行為がどういう関係があるのか、昔から謎ではあったのだが、著者は、つまりこの「公的な諸関係」をより良くするのがPRという仕事なのだ、と明快に説明してくれ、なるほどと思う。企業はさまざまなステイクホルダー(利害関係者)に囲まれて成立しており、公的機関・顧客・従業員・地域等、多くのステイクホルダーとの関係をよりよくするための活動だというわけである。

一例として二子玉川の玉川高島屋ショッピングセンターの例が上がっていたが、二子玉川のブランドイメージを確立したのがこのプラップジャパンで、その中には多摩川をきれいにしようというボランティア活動も含まれていたのだという。

一方で広告代理店との違いも説明されている。『戦争広告代理店』という本ではルーダー・フィン社が描かれていたが、あれは実際にはPR会社なのだという。エスニック・クレンジング(民族浄化)という言葉を発明しプッシュしてセルビア側を追い込んだ会社である。広告代理店は広告の取次ぎをすることでマージンを取るビジネス、PR会社はその会社のPR活動をすることで時給を得る、フィー・ビジネスなのだという。

広告代理店は新聞で言えば広告欄に関わる仕事だが、PR会社はむしろ記事本体になることを作り出していく会社だという説明も、なるほどと思う。

PRという活動はどんな仕事においても重要なことだと思うが、つまりはその仕事の本質について、さまざまなステイクホルダーに理解を深めてもらう仕事、つまりある意味啓蒙的・教育的な部分を持つ仕事ということになるだろう。またそうした活動をしながらその仕事の内容をよりブラッシュアップさせるという意味合いも持つといっていいのではないか。多摩川をきれいにしようという運動や福祉施設で作ったものの販売所をショッピングセンター内に設けたり、区役所の出張所を設けたりする方法は、いろいろな面で仕事の仕方や考え方の改革につながっていくわけで、ある意味非常に意義深い仕事だと感心した。

しかし『戦争広告代理店』で明らかにされたように、「顧客」の利益を徹底的に追求すると、ある意味破滅的な影響をもたらすこともある。「教育は恐い」とはよく言われるが、PRも同じような部分がある。ファンダメンタリストの教育がテロリストを生み出すように、PR活動もうまく行き過ぎると何らかの暴走的な現象が起こることもありえる。正の方向へも負の方向へも、大きな可能性を持った仕事だと思う。

***

小泉前首相「当面充電」 退任後初めて補選応援(共同通信) - goo ニュース

「小泉人気」は変わらず 首相退任後初の補選応援(共同通信) - goo ニュース

小泉前首相の人気は相変わらず凄いものがある。辞めるといって本当に予定通り辞める人間というのが、これだけ日本人に好かれるというのは、ある意味本当にこの人が日本人離れしているということでもあるだろう。首相の重荷を下ろして、軽口も絶好調である。



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『竹槍と原爆』:グーグルの30万台のサーバー/銀座の食器屋と洋服屋

2006-10-16 11:59:04 | 読書ノート
昨日。一日中ウェブ作業をしていた感じ。以前やっていたときも思ったが、これは本当に時間がかかる。よくわからないことの試行錯誤も多い。一度分かってしまったらノープロブレムなのに、その解答にたどりつくのが一苦労で、分かってみたら灯台下暗しだったりする。以前良く使っていたシステムでも大幅なシステム変更があったりして、なかなか手ごわい。

昼ごろ友人から電話がかかってきてしばらく話す。携帯アフィリエイトの話などをしていたのだが、最近ウェブ作業も結構やっているので以前に比べて全然ちんぷんかんぷんということはなくなった。ネットの世界の変化は本当に激しい。

梅田望夫『ウェブ進化論』読了。最近日本政府が日本製の検索エンジンの開発に力を入れていること、そしてこれはどうやらフランスの動きに刺激されたこと、であるらしい。そんなことに何の意味があるのかと思っていたが、この本を読むとおぼろげながらどういう趣旨のことであるかが分かるような気がする。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる

筑摩書房

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昨日も書いたように、この本は「Web2.0時代の到来」を鼓吹する進軍ラッパ的な印象が強く、そこに少々反発を感じたのだが、どうもそのあたりの表現はそういう反発からこの本を読まそうというひとつの戦略であったのかもしれないという気がしてきた。基本的に、著者がウェブの進化というものに楽観的であることはもちろんそのとおりなのだが、いろいろな意味でそうシンプルな主張をぶつけるという類のものではない。現状はこうであるということをまず認識させ、それに対してどう考えるべきかということはひとつの見解として述べられている。「現状認識」と「対処戦略」がこの本の骨子である。

現状認識に関して、私が一番具体的なショックを受けたのは、グーグルが30万台のサーバーを駆使して世界中のウェブの解析を続けているということ。この圧倒的な物量は、もちろん書中にも述べられている「チープ革命」があって初めて成し遂げられたという側面はあるにしても、敗戦後にアメリカのあまりの豊かさにショックを受けた終戦直後の日本人の気持ちが分かる、という気分にさせられた。そしてその圧倒的な物理的なインフラストラクチャーの上に、ベストアンドブライテストの5000人が開かれた共同作業を行い、「世界政府があるとしたらそれに必要な情報インフラ」をミッションとして構築していくという企業理念である。いわば荒唐無稽な企業理念だが、それを支えるだけの破格の物理的なインフラをきちんと保持しているところがグーグルの凄さであるし、それを生み出したアメリカ、あるいはシリコンバレーの凄さである。それが凄いことなのだ、ということは十分に認識しておかなくてはならない。「竹槍と原爆」というたとえがすぐ思い浮かんでしまうが、相手はいかなる分野においても物量では圧倒的に世界一の国であるということは、忘れがちではあるが忘れてはならないだろう。

もうひとつ重要なことだと思ったのは、そうした企業理念をすべて人の差配や按配で行わず、すべてテクノロジー自身の手によって実現するべきだと主張し、そしてそれを実行しているということである。ヤフーはメディアであるがグーグルはテクノロジーだ、という言葉が最も分かりやすく、グーグルはつまり完全な「理系的パラダイス」なのだ、ということである。われわれ文弱の徒の割り込む場所などゼロである。私などは特に文章を書くためのツール以上にネットやPCを考えていないから、そういう事実はつい忘れがちになる。テクノロジーが土台を用意してくれたら、そのコンテンツを充実させるのは自分たち文系の仕事だ、とどうしても思ってしまうわけで、テクノロジーよりコンテンツに価値がある、と考えがちなのである。しかしグーグルのやり方は完全にコンテンツをテクノロジーに従属させるやりかたなわけで、ある種のコペルニクス的転回でさえある。コペルニクス以前は惑星の運動は形而上学の範疇の問題であったのが、彼以後はサイエンスの問題になってしまった、というような。まあ実はコペルニクスはネオプラトニズム的な観点から地動説を主張した面が強いらしく、ティコ・ブラーエの研究成果やガリレオの主張が表れるまで厳密には科学的ではないと学んだ覚えがあるが。

ロングテール理論についても考えさせられた。私などは「今現在死蔵されている」ロングテール部分の掘り起こしに意味がある、と思っていたけれど、著者は「これから作られるロングテール」の部分に積極的な意味を見出す。それもかなり「目から鱗」的な主張で、いわれてみれば知の活性化という点ではそちらの方がより大きな意味がある。この本はさまざまな毀誉褒貶に晒されているが、批判者たちの見ていない部分で重要な部分はこういうところにあるのかもしれないと思う。

もうひとつ、日本でアドセンスやアフィリエイトで暮らしを立てることはなかなか現状では難しいけれども、同じ金額で英語圏の貧しい国ではかなりの収入になるということも「目から鱗が落ちる」思いだった。これは経済格差による途上国におけるメリットだが、ネットにアクセスできる途上国の貧しい才能にとっては画期的なことだろう。もちろん日本でも、サイト運営ができるほどの英語能力があれば日本語限定よりもより大きな収入につながるわけであり、英語という言語の持つメリットをより強く認識することになる。

オープンソース現象について。ネット上ではうまく行く(コストゼロだから)オープンソースも、リアルではコストがかさんでうまく行かない、というのはなるほどと思うけれども、途上国におけるコレラ撲滅の低コストプログラムがネット上であっという間に出来上がったという話は凄いことだと思った。コストがかからない研究空間としてのウェブというものの存在意義は大きいということだろう。

アマズレットほか、知らなかった新しいウェブ上の試みもいろいろ試してみて面白かった。

いろいろな形でウェブについて語られていて、私などにとっては驚くようなことが多かった。著者の楽観主義の危険性という問題については、すべてのテクノロジーや社会的な「進化」に常に付きまとう問題であるから、ある種の人間の業と考えるより仕方のない面もあるが、われわれのような年代になるとどうしても批判に傾きがちであるだけに、楽観主義の言葉にも耳を傾ける度量を常に持たないと、現状を見誤るということなのだと思う。
ファイアマンの言葉、「量子力学の世界は諸君が日常で接するどのようなものにも全く似ていない」ということばを、ウェブの世界にも当てはめて考えなければいけないと著者は言う。つまり、今までの既成概念や日常性の何かのアナロジーで理解しようとすると失敗する、ウェブの現状をウェブの現状としてそのままで理解しなければならないという主張はそれはその通りだと思う。テクノロジーというものは過去と全く断絶的な進化をもたらすものだ。30年前に現代の携帯文化について想像がついていた人間は全くゼロであるに決まっている。そこがテクノロジーの持つ恐さでもあるのだろうと思う。

***

しかし結構読むのに疲れる本で、気分転換に昨日の午後銀座に出かけた。教文館で本を見て小川洋子『深き心の底より』(PHP文庫、2006)を買う。これはエッセイ集だが、なんだかそういうものを読みたくなった。

深き心の底より

PHP研究所

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4階に上がってカフェでスパニッシュケーキとブレンド。二冊の本を少しずつ読む。藤城清治の光と影展をやっていた。知らなかったが、今日16日までだ。あまり何も考えずに見たのだけど。

銀座通りを見下ろす窓辺で向かい側のビルの4階に食器屋があるのが分かり、行ってみる。輸入用食器で、いいものであることは分かるが、とても手は出ない。そのあとしばらく銀座をぶらついて、洋服屋で一枚390円、3枚で980円という処分市みたいのをやっていた。イタリア製のセーターが中にあり、LLだからちょっと避けたがほかにもいいものがあると思って無理やり3枚買う。うちに帰って確かめてみると、どうもあまりよくなかったり。イタリア製というのはあれだけだったようだ。なんだか引っかかったような気もするが、久々に衣料品の買い物してしかも安かったからまあ嬉しかった。金が敵の世の中だ。


『読書三昧』メリメ『カルメン』和田哲哉『文房具を楽しく使う・筆記具編』を追加しました。

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「ウェブ進化論」とハーメルンの笛吹き男/媚中の具体例/ヤンキー先生とシンクロ銅メダルの教育再生会議

2006-10-15 09:12:06 | 雑記
昨日はずっとネット関係でいろいろやっていた。やらなければいけないことは多いが、ネット作業はいろいろなところに負担がかかるので、あまり長時間は出来ない。体の調子を整えながら、少しずつやっている。

午後新宿か銀座に出かけるつもりだったが、気がついたら8時を過ぎていたのでやめて、近場に買い物に行く。駅前の書店で梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書、2006)を購入。西友に戻って夕食の買い物。

うちに戻って英語の勉強をしたり作業を続けたりしながら『ウェブ進化論』を少し読む。これは友人に以前勧められていて、あまり読む気がしなかったので買わなかったのだが、状況を理解するためには必要かと思って買ってみたのだけど、基本的に「革命」を鼓吹するアジテーターの文章で、高橋哲哉の『靖国問題』とかマルクスの『共産党宣言』を読んでいるような気分になってくる。こういう本がなぜ評判になるのか、感覚的には理解しにくい。「ハーメルンの笛吹き男」がまた出たか、という感じである。ネズミも退治してくれるが、子どもたちもどこかに連れ去ってしまいそうである。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる

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指摘していることは多分現象として興味深いことであることは事実なのだが、間違ったユートピアを志向しているその奇妙な思想性のようなものが一番奇矯な印象を受ける。「世界政府が開発しなければならないシステムをすべてつくろうというのがグーグルのミッションだ」というグーグルの若手の言葉が紹介されているが、このミッションは「使命」であり「伝道」でもあろう。この本はそういうものの「伝道の書」であり、著者は「宣教師」であるのだろう。そういう臭みがこの本には随所に見られる。シリコンバレーというのは現代のヨルダン川渓谷なのかもしれない。

まだ40ページ読んだところでこれなので、最後まで読むとどんな感想になるか先が思いやられるが、まあ聖書もコーランも仏典もいちおうは読んだ方がいいという観点から言えば、「批判的に」読んだ方がいい一書だろうと思う。

北朝鮮問題は国連で非難決議が採択され、北朝鮮に対して始めて国連憲章七章に基づく制裁が課せられた。国連加盟国はすべてがこの決議に従う義務を持つので、武力行使は伴わなくても北朝鮮にとっては相当のダメージになることは確かである。次期事務総長を出した韓国と、制裁決議を課せられた北朝鮮。同じ半島上、同じ民族の国家がこれほど国連の場で明暗が分かれるというのもある意味痛ましいことではある。韓国が北朝鮮を吸収合併するのが最も望ましい国のあり方だと思うが、韓国にはそういう気概が基本的に感じられない。統一への意志が強いのは、いまだに北朝鮮の方なのだと思う。核もまたその表現なのだが、やはり南北で根本的なところがずれている。日本でも山崎拓が米朝対話を主張したり、相変わらず北朝鮮のエージェント的に動く人がなくならない、というか北朝鮮も今まで培ってきた人脈を総動員して米朝直接対話実現に必死なのだと思うが、安倍政権下の日本でそれが受け入れられると思うほうがどうかしている。

日中会談関連の記事がこちらにあり、「媚中」とは具体的にどういうことなのかについて具体的に考えさせられた。会談直前、安倍首相に中国側から「挨拶」の変更を求めてきたと外務省高官に知らされ、首相は、なぜこちらの挨拶の内容を中国が知っているのか、また中国の挨拶の内容をこちらが把握しているのかを尋ねると高官は「沈黙した」のだという。日本の施政責任者の中国訪問という形で既に中国側に相当譲歩しているのであるから、それ以上の外交上の対等性について一歩も譲ってはならないのは当然のことだ。結局事前に決定していた「あいさつ」はキャンセルになったという。

もうひとつ、歴史認識問題で、安倍首相が「過去の歴史の問題では、わが国60年の平和国家としての歩みに正当な評価を求めたい」と発言し、温首相から「評価している」、胡主席から「信じている」という言質を引き出したことが重要だと書かれているが、その部分を「歴史」として主張することが日本のアドバンテージにつながる可能性は当然あるわけで、最低限の地歩だとは思うが、「ここ六〇年の日本は正当に評価すべき」と認めさせたことは大きい。そのあいだの中国の混乱やチベット・ベトナム・インド等に対する侵略行動を非難するための橋頭堡として、最低限そこは必要である。

安倍首相は、やはり基本的にこうした国難に対処することが運命づけられている首相なのだと思う。チャーチルがヒトラーの天敵であったように、安倍晋三は金正日の天敵なのだ。そしてチャーチルが最終的にヒトラーを破滅させたように、安倍首相は金正日を破滅に追い込むだろうと思う。

教育再生会議に関しては、こちらをはじめ各所で厳しい批判が出ている。義家弘介氏や陰山英男氏、あるいは小谷実可子氏の起用は国民各層からの人気取りという部分が大きいとは思う。

「こうして見ると、保守派の学者は一人もいないと言ってもいい。左翼的な教育論やフェミニストの主張に対してきちんと反論できる保守派の理論家は一人も入っていないのである。というより、思想いかんに関わりなく、本当に教育を専門としている学者が入っていないのである。とくに、これまでの教育関係の審議会でさんざん強調されてきた、また世論も強い関心を持っている家庭教育の専門家が一人も入っていない。学問・学者を正当に評価し、重んずるという精神が現れていない。」

このあたりにはもちろん林道義氏の主張や理想がはっきりと現れているわけだが、私自身としてもこの会議で何ができるのかはどうもよくわからない。ただ、首相と山谷えり子補佐官が人選をしたということは、一定の狙いがあるのだろうとは思う。ここで審議されるのは基本的に教員免許の更新制、外部評価の義務化、教育バウチャー制といったある意味アメリカ的な改革であるし、左翼的な日本の教育制度風土とは必ずしも適合しない。そういうものをこういう人たちに論議させるということで国民的な合意形成を図ろうとしているのかもしれない。

あるいは、こちらの指摘どおり外交上も「安全運転」であるように、選挙の洗礼(具体的には参議院選だが)を経るまではあまり鮮明に安倍色を出さないようにして、ある種のダミーとして考えているのかもしれない。途中でメンバーが変わっても、国民の印象としては最初のヤンキー先生やシンクロ銅メダルのほうが印象に残るから、なんとなく「国民の味方」みたいな漠然とした雰囲気が残るということなのかもしれない。いずれにしても、安倍晋三という人は、政治を良く知っている人だなあという感想に至ることが多い。



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Too Many Expressions ―表現狂時代―

2006-10-14 18:56:19 | 雑記
Too Many Expressions ―表現狂時代―を開設しました。
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「シンジラレナ~イ!」/ネットと「表現の楽しみ」

2006-10-14 15:38:20 | 時事・国内
昨日帰京。夜の仕事を終わらせて特急に乗り、新宿に10時半過ぎに着く。自宅に帰りついたのは11時半。いろいろやって、寝るのは2時ごろになった。

電車の中では『コミック乱ツインズ』を読む。一日にマンガ雑誌3冊を読むというのはどんなものかと思うが、私が読むビックコミック・スーパージャンプ・コミック乱はすべて隔週刊で、(そういえばついでにSAPIOもそうだ)発売日が近接しているのだ。読むものがなくて飢餓状態のときもあれば、飽和状態のときもある。どんなものか。

今朝は6時過ぎに起きる。地震があった。北朝鮮が栃木県あたりにミサイルを撃ち込んだのかと思ったが、普通の地震だったようだ。まあ物騒なことはないに越したことはない。震源は千葉県沖で、南房総では電車が遅れたりしていたらしい。

優勝したのはいいのだが、「日本ハム消えたウイニングボール(日刊スポーツ) - goo ニュース」という騒ぎになっていて大笑い。なんだかこういうところが今期の日本ハムらしいんだよな。2年前、プレーオフ出場を決めた試合でも新庄がホームランなのに前の走者を追い越してアウトになったり、なんだか抜けている。シーズン終盤の金村の暴言騒動だって、あれは普通のチームなら絶対雰囲気が悪くなって大ブレーキがかかり、優勝を逃してしまうところだ。それが全然関係なく、プレーオフ第二ステージも連勝で地元で優勝を決めてしまうのだから、なんだかおかしくって仕方がない。ヒルマン監督の名台詞も「シンジラレナ~イ!」に決定したが、これもなんだか間が抜けている。こういうのもすべて新庄効果というべきなんだろうな。やっぱり凄いパフォーマーだとしか言えんわ。

不況のときはこういうバカ明るいノリが貴重だ。拓銀倒産以来低迷を続けている北海道の産業もこれでどんどん盛り上がって欲しいものだし、好景気の中心である名古屋のチームなど鎧袖一触でやっつけて欲しいもの。中日は52年も日本一になっていないのだ、そんなチームに負けてはいけない。とはいっても日本ハムも44年日本一になってないけど。

今日はなんだか寝不足でずっといろいろ仕事をしていたが、やはり変にハイなところがあってノリが妙だ。コメントにもお答えしなければいけないのだが、さて、よくわからないのもあるしどうしたものか。ちょっと反応はペンディング失礼。

***

ネットというものについて考えてみる。ネットを使う動機は、大きく分けて「仕事」と「楽しみ」だろう。家事関係になると仕事なのか楽しみなのか区別がつけにくいところもあるが。そしてさらに分類すると、仕事でも楽しみでも、「仕事のための補助としてのネット」「楽しみを見つけるため、あるいはそれに到達するための手段(チケット購入とか、レストラン検索とか)としてのネット」という場合と、「ネット作業自体が仕事」、「ネット作業自体が楽しみ」という二つに分かれると思う。

特に「ネット作業自体が楽しみ」の中には、「コンテンツを楽しむ」つまり「受信型の楽しみ」、情報を共有しあってコミュニケーションを取る楽しみ、つまり「共有型・おしゃべり型の楽しみ」だけでなく、日記やブログを書いたり、イラストを書いてアップしたり写真を披露したりする「発信型の楽しみ」がある。仕事としての発信だけでなく、楽しみとしての発信があるからこそネットの世界がこれだけ広がったのであり、確かに情報としては玉石混交であることは間違いないけれども、それは仕事と遊びが入り混じった世界がネットである以上、仕方のないことだ。

そう考えてみると、ネットというものは人々に「表現の楽しみ」というものを提供したという点で非常に大きい変化をもたらしたと思う。意見の発信とか既成メディアの批判とかそういう面で大きく前進したこともあるが、やはり「楽しみ」というものがなければこれだけ無償の情熱がネットに注がれることはなかっただろう。表現を、一部のプロが独占していた時代を、多分新聞や雑誌の関係者は郷愁を持って振り返っているだろうと思うが、もちろん本当にぎりぎりにたましいを追い詰めた作品はプロの作家でなければ書けないし創造できないのだけれども、いい加減な売文業はだいぶ無料のネット情報に駆逐されて、むしろネット情報の後追いにさえなりつつある。

政治の世界でも、今まで第4の権力であるマスコミに叩きたいように叩かれていたけれども、政治の側が自ら発信することが可能になったことは大きいだろう。小泉内閣でもメールマガジンという形で「政権からの発信」を積極的に行っていたが、安倍内閣では「ライブトーク官邸」などブロードバンド・コンテンツをプッシュしている。また保守系の主張番組を流すスカパーの「日本文化チャンネル桜」など、既存のメディアいがいでも主張の発信が行えるようになった。それこそYouTubeを使えば動画ファイルをアップするだけでどんな動画コンテンツも世界中で見ることが出来るようになるわけで、表現の幅が大きく広がっている。談合的利権の死守をまだしばらくは既存マスコミが続けるとは思うが、いろいろな形での折り合いのつけ方はこれからもずっと模索されていくだろう。

今始めて安倍首相のライブトークを見たのだが、内容はまあ当たり障りのないものだが、スーツのデザインが少しおとなしいのが気になった。わざとだろうか。ゴージラインをもっと高めにとって、強い感じにしてもいいような気がするが、「甘く見られることが私の強み」という安倍首相の自己認識からそういう選択になっているのかもしれないし、まあ襟元に注目してみるのも面白いかと思った。

ふと、私自身がネットを使い始めたとき、何を頼りにサイトを探していたのかと考えて見て、実は一番頼りにしたのは「野口悠紀雄Online」だったことを思い出した。『超整理法』のあとで、『インターネット超活用法』(だったかな)を読み、ネットにアクセスして『インターネット情報源』というリンク集からさまざまなサイトにアクセスしていったのだった。私がネットを本格的に始めたのは1999年だったが、あのころは国内・海外の新聞記事がただで読めるということ自体に驚いたし、時刻表を買わなくても乗換えが調べられるとか、相当衝撃を受け、また刺激を受けたことを思い出した。

もうひとつ衝撃を受けたのが海外の美術館のサイトだった。世界の高名な画家の美しい作品が高解像度の画像で見ることが出来ることの驚き。ムリーリョの作品を見たり画集を探したりするためにスペインに出かけた学生時代のことを考えるとまったく夢のようであった。

野口悠紀夫氏の諸業績に、私は必ずしも賛同するものではないけれども、私にとってのネット黎明期にネット探訪の指針を与えてくれたという点では非常に感謝している。私もそういうサイトを作ってみたいものだと思う。

ねっとではしばらく、ブログだけにほぼ絞っていたけれども、またサイトを構築して行こうという気持ちがだんだん強くなってきた。読書三昧だけでなく、いろいろなものを用意しているので、近日中にそれもご紹介したいと思う。






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日本ハム優勝映像

2006-10-14 11:34:10 | 雑記
日本ハム優勝映像。

生で見られなかったのでありがたい。
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糸蜻蛉/日本ハムパリーグ制覇

2006-10-13 12:09:27 | 時事・国内
昨日は朝から松本に出かけて仕事。天気がよくて、歩くのも気持ちよかった。朝は寒そうだったので三つ揃えで出かけたが、午後には暑くなって上着を脱いで仕事をした。

控え室にちょうど日が入って温かい。高い窓のところでじじ、と音がするので見ると糸蜻蛉だろうか、小さな蜻蛉が出るに出られずガラス窓とカーテンの間に止まっている。椅子に登って高い窓をあけて、蜻蛉を外に逃がしてやる。

仕事に行く途中で考え事をしながら歩く。思いついたことをメモしようと思ったのだが、メモ帳を忘れたのに気づき、携帯で自分のPCアドレスにメールを送る。頭の中で思いついたときは小さなアイデアのようだが、携帯で字を入力すると結構な字数になって、送信するまでかなり時間がかかる。便利なのか不便なのかわからない。

考え事の結果、自分のテーマがつかめた気がする。川原に風が吹き渡った。そのことについてこの日記で書くかどうかはわからない。それをどう形にして行くのかも、まだわからない。

帰りの道で知り合いに声をかけられる。最近この仕事は順調にいってるなあと思う。

帰ってきて別の仕事。夜遅くまで。食事をしながら『プロフェッショナル』を見る。編集者というのも凄い仕事だなあと思う。

日本ハム、25年ぶりパ制覇 ソフトBにサヨナラ勝ち(共同通信) - goo ニュース

日本ハムが優勝したのを知る。万歳!万歳!と書こうと思ったが、眠くて昨日は書けなかった。じんわり嬉しい。3年連続プレーオフ第二ステージ敗退のホークスは気の毒だが、こちらは25年ぶりなのだ。勘弁してもらおう。東映で優勝したのが私が生まれた年。日本ハム大沢監督で優勝したのが私が大学に入った年。さて今年は何かあるか。日本シリーズは中日と、となるが、昭和37年は阪神相手で勝っている。56年は巨人相手で負けた。平成18年はどうなるか。

疲れが出て夜は早く寝る。朝起きて散歩に出、セブンイレブンで『SUPER JUMP』を買ってきて読むが、どうもこの号はあまり面白くない。9時前に歯医者に出かけ、治療後ローソンによって『ビックコミック』を買う。こちらはもう涙を流して読んだのが何作もあり、very good。『5ファイブ』『男の操』『天上の弦』がよかったが、『黄金のラフ』『宗像教授異説録』『総務部総務課山口六平太』『太陽の黙示録』『花縄』など、どれもいい。




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木肌の美しさ/ガウチョとグリンゴ

2006-10-12 16:16:14 | 読書ノート
昨日。朝のうちにいろいろ片付けるつもりだったが、全部は片付けきれなかった。11時前に電車で松本に出かける。私鉄に乗り換える待ち時間に駅ビルの書店に行き、最近意識するようになった日本の木工関係の本を立ち読み。西川栄明『木の匠たち 信州の木工家25人の工房から』(誠文堂新光社、2006)を買う。知らないことがいろいろある。木肌の美しさ、というのも本物を見たらまた全然違うだろう。原材の樹種が何かによって物の雰囲気が違うと言うのはあたりまえのことなのだが材をクリとかカシとか考えて使ったことはなかったのでそういう見る目も欲しいなと思う。また、松本民芸家具という民芸運動の流れを汲む工房があり、それが信州の木工界に大きな影響を与えているということもはじめて知った。こういうことを知るのも楽しい。

木の匠たち―信州の木工家25人の工房から

誠文堂新光社

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改造社という書店名を見て、大正・昭和初期の『改造』という雑誌を思い出すが、関係あるのだろうか。本社は木挽町、もとい東銀座のあの改造社だ。こんなに全国に支店があるとは知らなかった。

『ナポリのマラドーナ』も読み進める。アルゼンチンにおけるネイティブ(と言ってもスペイン系だが)の代表たるガウチョとイタリア移民のグリンゴの対立と協調、と言った問題が19世紀以降すでに始まっている、という話も面白いと思った。それが現代では逆にイタリアに移民してきているわけだ。ブエノスアイレスのボカという地区ももともとイタリア移民の集住地域だったと言うこともはじめて知る。マラドーナもボカ・ジュニオールに在籍していたし、そういうことでも関係が深かったのだなと思う。


ナポリのマラドーナ―イタリアにおける「南」とは何か

山川出版社

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3週間ぶりに体を見てもらうが、おかげでだいぶ体の感じが変わった。古い『全生』を読んで二度寝がよくないことの理由について少し納得する。活元運動をもっとやるように言われ、そうだよなあと思う。頭でどうにかしようとしすぎていることは確かなのだ。体自身が体を治すように持っていかなければならないのだ。

帰りにサンマルクで食事。パンが美味しい。時間が慌しくなった。午後から夜は仕事と仕事の準備。寝る前に意識して活元運動をする。



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日本人の器用さや美的センスを産業発展に生かせないか/北朝鮮国連大使の異様なはしゃぎぶり

2006-10-11 08:07:53 | 雑記
昨日帰郷。早めに出かけて新宿の紀伊国屋をうろつこうと思っていたのだが、友人から電話がかかってきて1時間ほど話し込んだのでそれは出来ず。掃除も中途半端になってしまった。

電車の中で『ナポリのマラドーナ』を読む。南イタリアを巡るさまざまな問題、興味深いことが多い。南イタリアは「遅れている」とか「野蛮だ」と言う言説が多いのだが、それを経済構造、犯罪組織、クライアンテリズムという三つのテーマから考えようということで、面白い。現代イタリアというのは確かに歴史的存在として面白い面が多いとは思っていたが、知らないことが多いなと改めて実感させられる。そのことを勉強し始める初期の「へえー!」ということが多い段階はどんな事象でも俄然興味がわくのだが、イタリアと言うのはその中でも特に魅力的であることは事実だ。


ナポリのマラドーナ―イタリアにおける「南」とは何か

山川出版社

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経済格差は統一後の統一イタリア国家の政策による面が多いということ。「マフィア」の秘密結社的な性格などがその指摘の内容だが、基本的になるほどと思う。南部では北部を「外国」と見なすような意識があるようだが、それは台湾が中国を「外国」と見なす意識と共通するものがあるように感じた。中国には今のところイタリアの「北部主義者」のような存在はないか、あっても影響力は微小のようだが。

イタリア経済について目から鱗が落ちたのは、ヴェネト、マルケ、エミリヤ、ロマーニャなどの「第3のイタリア」といわれる地域(北部・南部に対して「第3」なのだろうか)が、「イタリア経済の最先端の部分としての」「家族を中心とした小規模経営に基づき、家具や衣料などそのデザイン性により高い付加価値を持った部門」で発展しつつある、という話である。イタリアが職人の伝統をもつ国だとか、あるいはそういったものが注目を浴びていると言うことはもちろん知ってはいたが、いわばポスト近代の産業としてそういうものが発展の原動力になりえるということは、注目すべきことだと思った。日本とは経済規模が違うからそのまま当てはめることは出来ないが、もちろん日本にも職人的な伝統があるわけで、「産業構造の一角」としてそうしたものをもっとアピールすることによって重厚長大産業や大企業中心型の産業構造から抜け出すことはありえるのではないかと思った。簡単にいえば、半ば手工業的な意味で「いいものを作る」ことによる産業発展の可能性、ということである。日本人の器用さや美的センスを産業発展に生かして行くための戦略として、そういうものを考えてもいいのではないかと思った。

***

北朝鮮の核戦略について、まだよくわからないが、基本的に武貞秀士・防衛庁防衛研究所主任研究官が日経BPのインタビューに答えている記事はかなりの妥当性があるように思う。核を持つことが彼らの主体思想の最高表現であるという野はなるほどと思うことがあるし、あの国連大使の異様なはしゃぎぶりから見ても、北朝鮮指導部の盛り上がり方は推測できる。日本がどのように対処すべきなのか、制裁等は当然必要であるにしても、その先のことはどうか。少なくとも、いかにしたら北朝鮮に核を使用させない対応ができるか、願わくは体制崩壊に追い込めるかと言うことを考えて行かなければならないだろう。そのためには情報収集態勢や防諜態勢をもっと整備して行く必要があるだろうとは思う。

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今日は雨が降っている。少し寒い。墓に参って手を合わせた。これからのことがよい方向に行きますように。



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