昨日帰郷。早めに出かけて新宿の紀伊国屋をうろつこうと思っていたのだが、友人から電話がかかってきて1時間ほど話し込んだのでそれは出来ず。掃除も中途半端になってしまった。
電車の中で『ナポリのマラドーナ』を読む。南イタリアを巡るさまざまな問題、興味深いことが多い。南イタリアは「遅れている」とか「野蛮だ」と言う言説が多いのだが、それを経済構造、犯罪組織、クライアンテリズムという三つのテーマから考えようということで、面白い。現代イタリアというのは確かに歴史的存在として面白い面が多いとは思っていたが、知らないことが多いなと改めて実感させられる。そのことを勉強し始める初期の「へえー!」ということが多い段階はどんな事象でも俄然興味がわくのだが、イタリアと言うのはその中でも特に魅力的であることは事実だ。
経済格差は統一後の統一イタリア国家の政策による面が多いということ。「マフィア」の秘密結社的な性格などがその指摘の内容だが、基本的になるほどと思う。南部では北部を「外国」と見なすような意識があるようだが、それは台湾が中国を「外国」と見なす意識と共通するものがあるように感じた。中国には今のところイタリアの「北部主義者」のような存在はないか、あっても影響力は微小のようだが。
イタリア経済について目から鱗が落ちたのは、ヴェネト、マルケ、エミリヤ、ロマーニャなどの「第3のイタリア」といわれる地域(北部・南部に対して「第3」なのだろうか)が、「イタリア経済の最先端の部分としての」「家族を中心とした小規模経営に基づき、家具や衣料などそのデザイン性により高い付加価値を持った部門」で発展しつつある、という話である。イタリアが職人の伝統をもつ国だとか、あるいはそういったものが注目を浴びていると言うことはもちろん知ってはいたが、いわばポスト近代の産業としてそういうものが発展の原動力になりえるということは、注目すべきことだと思った。日本とは経済規模が違うからそのまま当てはめることは出来ないが、もちろん日本にも職人的な伝統があるわけで、「産業構造の一角」としてそうしたものをもっとアピールすることによって重厚長大産業や大企業中心型の産業構造から抜け出すことはありえるのではないかと思った。簡単にいえば、半ば手工業的な意味で「いいものを作る」ことによる産業発展の可能性、ということである。日本人の器用さや美的センスを産業発展に生かして行くための戦略として、そういうものを考えてもいいのではないかと思った。
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北朝鮮の核戦略について、まだよくわからないが、基本的に武貞秀士・防衛庁防衛研究所主任研究官が日経BPのインタビューに答えている記事はかなりの妥当性があるように思う。核を持つことが彼らの主体思想の最高表現であるという野はなるほどと思うことがあるし、あの国連大使の異様なはしゃぎぶりから見ても、北朝鮮指導部の盛り上がり方は推測できる。日本がどのように対処すべきなのか、制裁等は当然必要であるにしても、その先のことはどうか。少なくとも、いかにしたら北朝鮮に核を使用させない対応ができるか、願わくは体制崩壊に追い込めるかと言うことを考えて行かなければならないだろう。そのためには情報収集態勢や防諜態勢をもっと整備して行く必要があるだろうとは思う。
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今日は雨が降っている。少し寒い。墓に参って手を合わせた。これからのことがよい方向に行きますように。
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『読書三昧』もよろしく。
電車の中で『ナポリのマラドーナ』を読む。南イタリアを巡るさまざまな問題、興味深いことが多い。南イタリアは「遅れている」とか「野蛮だ」と言う言説が多いのだが、それを経済構造、犯罪組織、クライアンテリズムという三つのテーマから考えようということで、面白い。現代イタリアというのは確かに歴史的存在として面白い面が多いとは思っていたが、知らないことが多いなと改めて実感させられる。そのことを勉強し始める初期の「へえー!」ということが多い段階はどんな事象でも俄然興味がわくのだが、イタリアと言うのはその中でも特に魅力的であることは事実だ。
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経済格差は統一後の統一イタリア国家の政策による面が多いということ。「マフィア」の秘密結社的な性格などがその指摘の内容だが、基本的になるほどと思う。南部では北部を「外国」と見なすような意識があるようだが、それは台湾が中国を「外国」と見なす意識と共通するものがあるように感じた。中国には今のところイタリアの「北部主義者」のような存在はないか、あっても影響力は微小のようだが。
イタリア経済について目から鱗が落ちたのは、ヴェネト、マルケ、エミリヤ、ロマーニャなどの「第3のイタリア」といわれる地域(北部・南部に対して「第3」なのだろうか)が、「イタリア経済の最先端の部分としての」「家族を中心とした小規模経営に基づき、家具や衣料などそのデザイン性により高い付加価値を持った部門」で発展しつつある、という話である。イタリアが職人の伝統をもつ国だとか、あるいはそういったものが注目を浴びていると言うことはもちろん知ってはいたが、いわばポスト近代の産業としてそういうものが発展の原動力になりえるということは、注目すべきことだと思った。日本とは経済規模が違うからそのまま当てはめることは出来ないが、もちろん日本にも職人的な伝統があるわけで、「産業構造の一角」としてそうしたものをもっとアピールすることによって重厚長大産業や大企業中心型の産業構造から抜け出すことはありえるのではないかと思った。簡単にいえば、半ば手工業的な意味で「いいものを作る」ことによる産業発展の可能性、ということである。日本人の器用さや美的センスを産業発展に生かして行くための戦略として、そういうものを考えてもいいのではないかと思った。
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北朝鮮の核戦略について、まだよくわからないが、基本的に武貞秀士・防衛庁防衛研究所主任研究官が日経BPのインタビューに答えている記事はかなりの妥当性があるように思う。核を持つことが彼らの主体思想の最高表現であるという野はなるほどと思うことがあるし、あの国連大使の異様なはしゃぎぶりから見ても、北朝鮮指導部の盛り上がり方は推測できる。日本がどのように対処すべきなのか、制裁等は当然必要であるにしても、その先のことはどうか。少なくとも、いかにしたら北朝鮮に核を使用させない対応ができるか、願わくは体制崩壊に追い込めるかと言うことを考えて行かなければならないだろう。そのためには情報収集態勢や防諜態勢をもっと整備して行く必要があるだろうとは思う。
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今日は雨が降っている。少し寒い。墓に参って手を合わせた。これからのことがよい方向に行きますように。
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自分のしたことを他人のせいにする卑怯な人は嫌いなの。それに、泣きごと言う人も。人は自分の行動と言葉に責任を持たないと…ね。良い人は誰にも優しいし、強い人は優しい。自分が他人からどのように見えるかいつも気にしている人たちとは、友達になれない。
私とあなたの東アジア情勢に関する見解の違いで言うのは、中国や北朝鮮の力をどのぐらい脅威に感じるのか、ということでした。私自身は中国に対してそれほど恐ろしいものと思ってませんし、軍事力増強にしても、台湾との力関係の問題を除けば、たいしたことはないだろうと思っております。(もっとも、台湾との力のバランスの拡大が、非常に大きな問題なのかもしれませんが)。
北朝鮮の体制崩壊については、私は、少なくともここ5年から30年くらいのあいだには、起こるはずであると思っています。少なくとも、あの男は死ねば、崩壊です。今すぐでも崩壊するでしょう。
問題は、北朝鮮の体制が崩壊するとき、起こりうる混乱に対してどのように対処するのか、ということではないでしょうか。ふつうの日本人とって、おそらく崩壊後の方が、世の中は大変なものになるように思います。
この問題は、中国にとっても脅威でしょう。そして、中国が北朝鮮の難民によって混乱に陥る時、日本もドミノ的な衝撃を受けるに違いないのです。これはベルリンの壁の崩壊とかとは、ぜんぜん質的に異なったものに違いないのです。私は、北朝鮮の体制をの崩壊は望ましいが、崩壊を恐れもします。
余談ですが、少なくとも日本人から見る限り、イラクのフセイン政権と北朝鮮の現体制とでは、どう考えても北朝鮮の方が異常である。虐殺があるとかないとかそういった問題ではなく、普通の国民がどうなっているのかどうかという意味で、北朝鮮の方がはるかに悪魔的なのである。ところが、アメリカにとっては、イラクやイランの方が問題である。あるいは、収容所列島のソ連の方が問題であると認識されていた。そうでしょう、ソ連の収容所列島と、北朝鮮の飢餓半島と比べたら、絶対に後者の方が狂っている。そんな簡単なことが分からないアメリカ人というのは、不可思議です。
北朝鮮の危険は、『暴発』するかどうかはともかく、どんなことでも彼らの論理で実行する可能性があるということが危険なのであって、そのあたりは基本的には中国にも共通していると思います。台湾に関しても、北朝鮮有事に関しても、いざとなったら相当なことをやる可能性は高い。相当腹を括ってかかる必要性があるだろうと思います。
危険があるかどうかということよりも、危険であるという可能性が高いということを前提として付き合うべきだという方がより正確なのかもしれません。