Feel in my bones

心と身体のこと、自己啓発本についてとつぶやきを。

眠りの浅さと眠る姿勢/今日は旧暦上巳の節句/普通の人として生きるのか、特別な人として生きるのか

2014-04-02 10:31:44 | 私の考えていること
【眠りの浅さと眠る態勢】

このところ忙しくて寝付きが悪い、というか朝方目が覚めてそのまま寝られなくなることがあるのだけど、今朝は枕を外してみて布団のなかで体を動かすようにしたらよくあくびが出てきてもう一度寝ることが出来た。枕をしていると、朝はきちんと起きられる感じになるが、逆に眠りが浅いときには外した方がいいのかもしれないと思う。


【今日は旧暦上巳の節句】

今日は旧暦の3月3日、雛祭りの日になる。実は桜田門外の変と言うのはこの日に起こっているので、よく描かれているように大雪だったと言うのはある意味異常気象なのだ。この辺り、長野県でも今年は雪が多かったのだけど、さすがに4月になってはそんなに雪が降るわけではない。それが江戸、東京で大雪だったのだからよっぽどのことなのだと思う。1860年は激動の年であったけど、気象的にも不順な時期だったのだろう。

【普通の人として生きるのか、特別な人として生きるのか】

自分が生きるときに、自分はどういうドラマを生きたいか、と言うことを考えると言うことが大事なんじゃないか、ということを先日書いたのだけど、このことを別の言い方をすると、「普通の人」として生きるのか、「特別の人」として生きるのか、と言うことでもあるのではないか。

普通の人、特別の人、と言ってもその差はどこにあるかというと、結局は自分の意識の問題で、また自覚の問題だと言うことになる。これはまたあとで詳しく書くが、自分が普通の人間だと思って生きていれば普通になるし、自分が特別な人間だと思って生きていれば特別な人間になるのだ。

私は普通の人間だと思っていたし、むしろ普通の人間として特別のことをやりたい、みたいな感じがあったのだけど、「自分はこうなりたい」と思う人間は、よく考えてみたら「特別の人間」かもしれない。

たとえば、注目を浴びる作家とか、ブログで巨大なアクセスを集めて強い影響力を持つような人間と言うのは、考えてみたら普通の人間とはいわないだろう。

自分は、自分がどうなっても自分だし自分でありたいと思っていると、今の自分が普通ならどんな風になっても自分は普通だろうと思っているのだけど、それは少なくとも人の目から見たら普通ではなくて特別な人になっているわけだ。

例えば私は基本的にみんなで仲良く明るく楽しく一つのムーブメントを作って行ければそれが最高に楽しいと思うタイプだなと思う。自分自身がウツ展開になるとそういうのが嫌になって遠ざかったりはするのだけど、自分の人当たりは基本がフレンドリーであって、楽しい中にも自然と親しき仲にも礼儀あり、的な雰囲気が好きだ。

先日『重版出来!』の2巻を読んでウツ展開のことを考えていて、確かにウツ展開と言うのは自分も含めて誰も得をしないと言うことを理解したこともあり、ウツ展開を排しながら、仲良く明るく楽しくフレンドリーに物事を展開して行くというのが基本だなと思う。

重版出来! 2 (ビッグコミックス)
松田奈緒子
小学館


だから私はブログやツイッターなどでも格好は付けているけど、基本的には明るく仲良く楽しくやり取りが出来るのが好きだし、そういう中で多くの人に読んでもらえるようになれるといいなと思っている。

しかしよく考えてみると、もしそれでブログで毎日数万のアクセスがあるとか、作家として強い影響力を持つと言う状態になったら、それは十分特別な、選ばれている状態なのだ。

私は自分が特別だと言う意識を持ちたいというわけでもないのだけど、ただたまたまいい大学に入ったこともあって、『特別だ』と「思われる」ことがけっこう楽だし得をする面が多いと言うことは知っている。

なんというのかな、「特別だ」というのは自分で意識するということよりも、人がそう見ることによって意味を生じることな訳で、「特別という状態」になっているという自覚は必要だ、ということだと思うし、それを目指すと言うことは、特別な状態を実現しようとしているのだ、という自覚は持たなければならないだろう。

自分が『特別な人間だ』という「自覚」を持つこと。

そして、そう考えてみると、「何かをやろうとしている、何かを実現しようとしている人間は、みな特別」なのだ。

近藤ようこ『五色の舟』で、両腕のない少年が両脚のない「父」のために走り続けているうちに、周りの人々がぎょっとして見つめる中、「特別の少年が特別の父のために走って行く」からみなが注目しているのだ、と誇らしく思う場面があった。

五色の舟 (ビームコミックス)
近藤ようこ
KADOKAWA/エンターブレイン


いろいろ考えていて、あの作品の一番大きなメッセージは、それかもしれないと思った。

そう思うと楽しくなる。

部屋の片付き具合と自己評価は関係がある、と言う話があるけれども、それはやはり部屋と言うのは自分自身を遇する場所な訳だから、『特別な私』を遇するためにはやはりきれいに片付いた、またあるいは特別感のある空間であることが必要になるわけだ。

なんか上手くまとまらないが、人が『こうなりたい』と言う夢を持つと言うことは、そういうドラマを生きたいと望むことであり、またそういう『特別の私』を目指すことでもある。自意識が過剰になるのもみっともないが、しかしそういうものを目指すと言うことは特別のことなのだ、と言う自覚は持つ必要がある。

特別だと言う「意識」が(よくない意味の)「プライド」で、特別だと言う「自覚」がいい意味での「誇り」だと言っていいかもしれない。

そういう意味でのプライドは人を傲慢にするが、いい意味での誇りは人を謙虚にするし、特別のことをなすための努力を惜しまない、ということになるだろう。

もっとまとめようとすればまとめられると思うが、今考えていることをなるべく正確に書くために、とりあえずこんな風に書いてみた。
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