Feel in my bones

心と身体のこと、自己啓発本についてとつぶやきを。

マンガの感想を書き続けるということ

2014-04-07 14:35:52 | 私の考えていること
今日はどうも体調が今一つ。一昨日上京して、昨日は昼ごろ丸の内の方へは行ったのだけど、新しいものは買わなかった。土曜日の上京の際に新しい作品を開拓しようと思ってヤングジャンプを久しぶりに買って読んだら、自分が読み慣れているような感じの作品が皆無で驚いたのだけど、そこからなんとか『イノサン』(フランス革命時の死刑執行人が主人公)と『干物妹!うまるちゃん』の感想を書いた。うまるちゃんもイスラム教の二代目正統カリフ・ウマルと名前が同じだというネタを考え付いたので感想を書けたという面もある。

昨日はどうも体力的に消耗していたので早く寝て、今朝の更新のときに書くものがないなと思っていたのだけど、そういえば今は二十四節気で「清明」の時期だなと思い、そういえば『ギャラリーフェイク』に中国宋代の「清明上河図」を扱った作品があったなということを思い出して、『ギャラリーフェイク』について書くことにした。

起きて部屋の中の本棚を探し始めたのだが、なぜか『ギャラリーフェイク』が2冊しか出てこない。全32巻、持っているはずなのだが。田舎にも多少あることは理解しているが、30巻はなかったような。段ボールの中にしまってある分のマンガまでひっくり返して探したのだが、出てこなかった。

仕方ないので、出てきた2巻の中から感想を書くことにし、いくつか読んだのだけど、10巻の終わり3話をまとめた「ロンドン編」が面白いと思って、感想を書きながら読んだ。読んでいるうちに、この作品は名作だと思ったし、それだけではなく私はこの作品によって『テート・ギャラリー』とか『キュー・ガーデン』の存在を知ったのだという事実に気がついた。

『ギャラリーフェイク』は1992年から2005年まで『スピリッツ』に連載された作品で、この10巻は1996年に書かれた内容。私が34歳のときだ。仕事と私生活の両面でとうまくいかず苦労している時期で、日本全体も地下鉄サリンと阪神大震災の後、アジア通貨危機の前という社会全体がちょっと暗い感じの時期だった。

その中で何というかロンドンの描写は華やかで、テートやキューはああそんなところがこの地上にあるんだなという感じがした。私にとってこの作品は本当に大事な作品なんだなと改めて思った。

『ギャラリーフェイク』に関しては、この作品の中で村上隆らしき人物を偽物だと批判・糾弾していると取れる記述があり、その影響でマンガ界・おたく界から村上隆が総スカンを食ったという話があり、村上隆に同情したことからなんとなく敬遠する傾向が出てきて、でも最後まで全部買って読んだことは読んだのだけど、なんとなくこの作品を読む熱意のようなものは低減していたなと思う。

でも今日読みなおしてみて、やはり自分にとってこれは大事な作品なんだと思った。私は結構いろいろなことをマンガによって知っているということはあるので、マンガ自体を嫌いになったり敬遠したりするのは自分にとって不利益になる、ということはもっと自覚しないといけないと思った。

昼の更新は山岸凉子の『ヴィリ』について書いたが、これも少し読み返してみるとずいぶんしっかりした骨太の作品だった。

私は、私にとってマンガが大事だということは分かっているのに、自分自身がマンガだからと言って軽視してきたところがかなりあるなと思う。

マンガについての感想を書き続けるというのは、そういう意味で自分自身を確かめるということでもあるんだなと思う。

段ボールの中を掘り起こしてみたら、100巻近くの『あぶさん』とか、全60巻の『三国志』とか、100巻以上の『美味しんぼ』とかが平気で出てくるのだ。

辛い時、疲れたとき、面白くないとき、現実を直視したくないとき、またちょっとした暇つぶし、あるいは元気な時もそれを読んでさらに元気になったりして、新しい知識も入るし、マンガはいつも自分にとって身近にある自分活性剤だったなと思う。

マンガの感想を書き続けることは、それに対する感謝を述べるということでもあるんだなと今この文章を書いていて思ったのだった。

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