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ベビーシッター殺人と主婦の在宅ビジネスは同じ根を持っている

2014-03-20 21:15:39 | 社会問題系のことなど
ここ数日、ベビーシッター業を営んでいる男性の暴行によって幼児が死亡したとされる事件が、報道をにぎわしている。母親と容疑者を結び付けたのがマッチングサイトだということで、そのあたりに非難が集中している傾向があって、これは基本的にどうかと思うのだけど、一番重要な点は、保育園に入園する前の年代の子どもでも、たとえリスクがあっても預けて働かなければならない母親が増えているという点にあるのだと思う。

自民党に代表される伝統的な家庭感から言えば、その年代の子どもを持つ母親は家にいて子どもの面倒を見るべきだ、ということになるわけで、その観点からの母親に対する非難が多いように思う。

しかし、実際には離婚や一人親世帯が増えていることもあるし、また所得がひと世代前に比べるとかなり低くなっていることもあって、その世代の母親でも何らかの方法で稼がなければ生きていけない、子どもも育てられないという状況にある人が多くなっているというのが現状であるように思われる。

高学歴な貧困者も増えているし、また手に職(専門性)がないために十分生活可能な収入を得られないケースも多いが、特に問題なのは「何もできない」ために条件の悪い仕事にしかつけず、それがまた子どもを預けて働かなければならない時間が増えるという悪循環になるケースが多いだろうということだ。

しかし、発想を逆にして考えれば、外で働かなくてはいけないと思うから子どもを預けなければならないということになるわけだけど、逆に言えば子どもの面倒を見なければならないから家で仕事をしなければならないという考えにもなるわけだ。

それが、昔なら内職であり、いまなら「主婦の在宅ビジネス」だということになる。

つまり、「主婦の在宅ビジネス」が流行ることと、マッチングサイトでリスクの大きいベビーシッターを使わなければならないということは、同じ根を持っているということになる。つまり、「自力で稼がなければならない子どもを抱えた何のスキルもない若い女性が増えている」ということなのだ。

私は、「主婦の在宅ビジネス」という言葉にどちらかというとなんだか優雅なものを感じていたのだけど、それはいわばそれを指南する側のイメージ戦略であって、実際には貧しい若いスキルのない女性が何とかしてアフィリエイトなどで生活費を稼ごうとしているという実態はかなりあるのだろうと思う。

そうなってしまった原因を、伝統的な家族制度の崩壊に求め、家族制度の再建を声高に主張するのはある意味正しい。確かに日本では、とにかく生き残っていくためには家族が団結して協力し合っていくしかなかったという時代が長く続いてきたのだから。

実際のところ、自分が見てきた範囲で、非常に苦しい家庭で家族がとてもいい関係であるということは珍しくない。父親が遠くへ行き、母親が夜の仕事をして、小学生の子どもたちだけが夜遅くまで家の中で暴れまわっているような家庭でも、長男が弟たちに小遣いをやってたりするのだ。

まあ解決策はともかく、一見関係ないように見えるベビーシッター殺人と主婦の在宅ビジネスの間には、そういう同じ根があるということを、思ったのだった。

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