Feel in my bones

心と身体のこと、自己啓発本についてとつぶやきを。

WBC優勝/下手なジャッジに味がある(?)/一流と超一流の違い

2006-03-22 08:29:02 | 時事・国内
WBC優勝。素晴らしい快挙だと思う。韓国に2敗、アメリカに1敗したことを指摘して優勝の意味を割り引く向きもあるが、どんな戦いでもルールはある。ルールに則って勝ち進み、優勝したのだから割り引く必要などどこにもない。オリンピックのとき、全勝と突っ張りすぎてオーストラリアに苦杯をなめたのを忘れたのだろうか。結果的に優勝すればいいのであって、ルールが不合理だと言うのなら(確かにアメリカが優勝するように仕組まれた不合理はある)直していけばいいことだ。日本は新しいルールでも勝つだろう。今後30年。(笑)

昨日のキューバ戦、思わぬ守りのミスからピンチを招いたが、川崎は前の回に絶妙なセーフティバントを決めたのに、一塁塁審のデビッドソン(ヤツだ)がアウトに判定したのだ。中継アナもなぜか彼をかばっていたが、あれは明らかにミスジャッジだ。技術の粋を尽くしてヒットにしたのにそれを認められなかったことで川崎が微妙に調子を狂わせるのではないかと思ったが案の定だった。勝ったからいいようなものだし、彼だから仕方がないというような雰囲気がもう漂っていたが、あそこで崩れていたら大変なことになっていた。彼は野茂やソーサの記録の試合を台無しにしているので無意識的なレイシストなのかもしれないと思ったりもしたのだが、昨日の試合を見ていたら、どうもただ下手なだけなようだ。

世の中には下手なジャッジというのはいるもので、そうしたジャッジに限って頑ななのだ。ジャッジはプレイの判定をすること以外にゲームの進行役という側面があるから、ジャッジの正確さで選手を納得させられない審判は強引な態度でゲームを進めようとする。それでも選手が従えばゲームは進むわけだし、野球のジャッジには本来強大な権限が与えられているから、それを「正しく使う」ことも仕事だと考えられているのだろうと思う。デビッドソンがアメリカでは苦笑の対象ではあれ職を失うことにはつながらないのはアメリカ人のそうした審判観があるように思われる。これは考えようによっては、道理や話し合いで物事を進めるよりも強権や軍事力で一気に決着をつけようとするアメリカ気質とも通じるものがあるのかもしれない。

しかし、まあ審判というものは万国共通なのだろう。吉行淳之介が審判に関するエピソードを書いていた。プロ野球のへぼな審判が麻雀をしたとき、流局になって「チートイツだから罰符は払わない」という。よく見るとカンツを二つに分けてトイツにしてあったのでそりゃだめだよというと、「トイツが七つだからチートイツだ」と主張して譲らなかったのだと言う。吉行は「ジャッジが下手な審判が譲らないところに味がある」と書いているが、ま、苦笑してりゃいいんでしょ、という感じではある。

苦笑と言えば韓国の報道が日本の優勝を「後味の悪い優勝」などと腐したり負け惜しみを言ったりしているのは相変わらず苦笑するしかない。このチャイルディッシュな精神構造は治癒不能か。北朝鮮の報道よりはましだと笑うしかないか。

それにしても、今回の日本の優勝は神がかり的なものだった。二次リーグにいってもまだ本気でやっている感じがしなかったが、アメリカ戦で判定に負け、韓国戦で競り負けて、イチローのいう「野球人生で一番屈辱的な日」があり、デビッドソンの判定に怒ったメキシコがアメリカを破ってくれたおかげで準決勝に進めた。準決勝では福留の美しすぎるホームランで勝ち、決勝ではサンディエゴのファンが大塚を後押ししてくれた。私自身が試験などを受けるときもよく感じることだが、合格するときには何かが後押ししているとしか思えない幸運を感じるときがある。イチローもそういうことをいっていた。WBCの決勝がサンディエゴで行われ、日本選手が前年までパドレスでセットアッパーをしたりするなどという偶然が何かを感じさせずにはいられなかっただろう。お彼岸の決勝、日本野球の祖霊が後押ししたのかもしれない。

こういう大会だと、一流と超一流の違いがよくわかる。イチローや大塚は、見ていて安心感がある。貫禄だろう。上原や松坂も、超一流とはこういうことだなと思わせる。そのほかの選手も一流ではあるのだが、まだまだなんだなと思う。その中で西岡が決めたプッシュバントは超一流の技だった。ロッテの選手はみな大活躍だったが、中でも西岡が次代を担う存在になるのではないかと感じさせた。






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