昨日帰郷。特急の中では昨日借りた草鹿外吉『プーシキン 愛と抵抗の詩人』を読む。この評伝、日が変わって先ほど読み終わったところ。プーシキンの前半生は非常に面白くかけているのだが、いかんせん「反抗の詩人」としての見方が強すぎ、1825年末のデカブリストの叛乱までは非常に面白いのに、そのあとはまるで短い。デカブリストの叛乱が第5章として書かれ、第6章は決闘として12年余りの残りの人生を1章に押し込めてある。この時期については作品の読みについてもどうなんだと思うような読みが多い。いや、5章以前もちょっと自分の読み方とは違うなと思う部分が多いのだが。スタンスが決定的に違う部分があるので仕方がないが。
あと、日本におけるプーシキンの紹介史について書いてある部分は有用なところがある。しかし、プロレタリア文学方面に傾きすぎている記述が少々げっそりする。実際そのように読まれた部分がかなりあろうとは思うが、戦後における幅広い受け入れられ方にも触れてほしいと思った。
しかし逆にいえば、私の見方とは違う解釈でそういうふうにも考えられるなと思うところもあり、違う見方によってより立体的に見えてくる部分もあった。ソ連崩壊によってその推薦詩人ではなくなった現在でも、ロシアでは国民詩人としてのプーシキンの周年行事は返って盛大に行われたりしている。日本でももっと本格的な研究や批評がなされるべき時期だろう。
***
昨日の夜、ダイアルアップに接続しようとしたら発信音がでない。今日調べてみたら、電信柱でショートが起こっていたという。電話は長い間使っているが、初めて聞いたような気がする話である。
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あと、日本におけるプーシキンの紹介史について書いてある部分は有用なところがある。しかし、プロレタリア文学方面に傾きすぎている記述が少々げっそりする。実際そのように読まれた部分がかなりあろうとは思うが、戦後における幅広い受け入れられ方にも触れてほしいと思った。
しかし逆にいえば、私の見方とは違う解釈でそういうふうにも考えられるなと思うところもあり、違う見方によってより立体的に見えてくる部分もあった。ソ連崩壊によってその推薦詩人ではなくなった現在でも、ロシアでは国民詩人としてのプーシキンの周年行事は返って盛大に行われたりしている。日本でももっと本格的な研究や批評がなされるべき時期だろう。
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