はじめに
すべての人は死を迎えようとするとき、自分自身の独自性を保ちながら、
最後の経験をしていきます。この冊子は、ガイドラインや地図を示しているに
過ぎません。どのような地図でも、同じ目的地に到るには多くの道があり、
同じ町にたどりつくには多くの方法があります。
非常に個人差があり、断定できることは何もないということを心にとめながら、
この冊子を使用してください。この冊子にある兆候のすべてがみられたり、
一部がみられたり、全然みられなかったりするかもしれません。
また、兆候によっては死の数ヶ月前にみられるものから、数分前にみられるもの
まであります。
死はしかるべきときに、しかるべき方法で訪れてきます。死を迎えようと
している人にとって、死に方は一人ひとり異なるのです。
以下に述べる兆候を時間割にあてはめようとすると、その時間割は非常に
変わりやすいものになります。しかし、兆候は死の3ヶ月から1ヶ月前に
始まるということができるでしょう。
実際に死にゆく過程は、死の2週間まえに起きることが多いのです。
本当に死ぬということを理解し認めることは、死を迎えようとしている
人のこころの内側に起こっているのです。
しかし、残念ながら、このことはいつも誰かと分かち合われるとは限らないのです。
1.死の3ヶ月から1ヶ月前の兆候
(1) 身を引くこと
「自分は死ぬのだ」ということが現実になると、人はこの世界から
身をひくようになっていきます。
これが別れの始まりです。
まず新聞やテレビに興味がなくなり、次に人々です。たとえば、
「ジェシーおばさんに『今日はだれとも会いたくない』と言って」
と言うようになるでしょう。そして、最後に子ども、孫、そして
最愛の人たちからも離れていきます。
これは、自分自身をとりまくあらゆるものから身を引いていき、
内なる世界へ向かっているのです。
内なる世界では、自分自身や自分の人生を整理し、
価値を見出すようになっていくのです。しかし、その人の内なる世界には、
ただひとりしか入れません。
この過程はまぶたを閉じたままで行われることが多く、
眠っている時間が長くなっていきます。いつもの昼寝のほかに、
朝のうたたねが付け加わります。
一日中ベッドの上で過ごし、起きているよりも眠っている時間の方が
長くなっていくのが普通です。
しかし、ただ眠っているようにしかみえないこの状態でも、
周囲の人々にはわからない奥深いところで、とても重要な作業が
行われていることを知ることが重要です。
この身を引きつつある過程では、誰かと会話をする必要が少なくなっていきます。
去っていこうとしている世界では言葉が関係しますが、
死を迎えようとしている人にとって言葉は重要でなくなっていきます。
むしろ、スキンシップや沈黙の方がより価値があるようになっていきます。
(2) 食事量が減ること
食事をすることは、私たちのからだを元気づける方法です。
食事はからだを維持したり、動かしたり、生かし続けたりする手段です。
私たちは生きるために食事をします。
しかし、からだが死の準備を始めてときは、食事量が減ることは
ごく自然なことなのです。しかし、このことは家族にとってはとても
受け入れがたい考えです。
食生活は徐々に変化していきます。何を食べてもおいしくなくなったり、
また、食欲もあったりなかったりします。また、固形物よりも液状のものを
好むようになります。「何も食べる気がしない」と言うようになります。
始めは肉類、野菜、そして飲み込みにくいもの、最後は柔らかいものさえ
食べられなくなっていきます。
食べられなくなっても大丈夫です。
このときは、ほかの異なるエネルギーが必要になっているのです。
これからは、からだのエネルギーではなく、
こころのエネルギーがその人を支えることになるでしょう。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
(注)太字は私が勝手につけました。
わが国では死が生活から切り離されてから随分と時間がたちました。
死の3ヶ月前くらいから兆候が始まる、というのはホスピスを経験
している私には頷けるものがありますが、多くの御家族にとって、
この兆候は死の準備としては認識されず、見過ごされているように
感じます。その結果として、もっと悪くなってから
「こんなに早く亡くなるとは思いませんでした」
と皆さんおっしゃいます。
もちろん、それでも良いのかもしれません。
ただ、もっとこうしてあげたかった、というような後悔が
ある方も多いので、体調の変化に関する知識を持つことも
有益な場合があるのではないかと思っています。
すべての人は死を迎えようとするとき、自分自身の独自性を保ちながら、
最後の経験をしていきます。この冊子は、ガイドラインや地図を示しているに
過ぎません。どのような地図でも、同じ目的地に到るには多くの道があり、
同じ町にたどりつくには多くの方法があります。
非常に個人差があり、断定できることは何もないということを心にとめながら、
この冊子を使用してください。この冊子にある兆候のすべてがみられたり、
一部がみられたり、全然みられなかったりするかもしれません。
また、兆候によっては死の数ヶ月前にみられるものから、数分前にみられるもの
まであります。
死はしかるべきときに、しかるべき方法で訪れてきます。死を迎えようと
している人にとって、死に方は一人ひとり異なるのです。
以下に述べる兆候を時間割にあてはめようとすると、その時間割は非常に
変わりやすいものになります。しかし、兆候は死の3ヶ月から1ヶ月前に
始まるということができるでしょう。
実際に死にゆく過程は、死の2週間まえに起きることが多いのです。
本当に死ぬということを理解し認めることは、死を迎えようとしている
人のこころの内側に起こっているのです。
しかし、残念ながら、このことはいつも誰かと分かち合われるとは限らないのです。
1.死の3ヶ月から1ヶ月前の兆候
(1) 身を引くこと
「自分は死ぬのだ」ということが現実になると、人はこの世界から
身をひくようになっていきます。
これが別れの始まりです。
まず新聞やテレビに興味がなくなり、次に人々です。たとえば、
「ジェシーおばさんに『今日はだれとも会いたくない』と言って」
と言うようになるでしょう。そして、最後に子ども、孫、そして
最愛の人たちからも離れていきます。
これは、自分自身をとりまくあらゆるものから身を引いていき、
内なる世界へ向かっているのです。
内なる世界では、自分自身や自分の人生を整理し、
価値を見出すようになっていくのです。しかし、その人の内なる世界には、
ただひとりしか入れません。
この過程はまぶたを閉じたままで行われることが多く、
眠っている時間が長くなっていきます。いつもの昼寝のほかに、
朝のうたたねが付け加わります。
一日中ベッドの上で過ごし、起きているよりも眠っている時間の方が
長くなっていくのが普通です。
しかし、ただ眠っているようにしかみえないこの状態でも、
周囲の人々にはわからない奥深いところで、とても重要な作業が
行われていることを知ることが重要です。
この身を引きつつある過程では、誰かと会話をする必要が少なくなっていきます。
去っていこうとしている世界では言葉が関係しますが、
死を迎えようとしている人にとって言葉は重要でなくなっていきます。
むしろ、スキンシップや沈黙の方がより価値があるようになっていきます。
(2) 食事量が減ること
食事をすることは、私たちのからだを元気づける方法です。
食事はからだを維持したり、動かしたり、生かし続けたりする手段です。
私たちは生きるために食事をします。
しかし、からだが死の準備を始めてときは、食事量が減ることは
ごく自然なことなのです。しかし、このことは家族にとってはとても
受け入れがたい考えです。
食生活は徐々に変化していきます。何を食べてもおいしくなくなったり、
また、食欲もあったりなかったりします。また、固形物よりも液状のものを
好むようになります。「何も食べる気がしない」と言うようになります。
始めは肉類、野菜、そして飲み込みにくいもの、最後は柔らかいものさえ
食べられなくなっていきます。
食べられなくなっても大丈夫です。
このときは、ほかの異なるエネルギーが必要になっているのです。
これからは、からだのエネルギーではなく、
こころのエネルギーがその人を支えることになるでしょう。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
(注)太字は私が勝手につけました。
わが国では死が生活から切り離されてから随分と時間がたちました。
死の3ヶ月前くらいから兆候が始まる、というのはホスピスを経験
している私には頷けるものがありますが、多くの御家族にとって、
この兆候は死の準備としては認識されず、見過ごされているように
感じます。その結果として、もっと悪くなってから
「こんなに早く亡くなるとは思いませんでした」
と皆さんおっしゃいます。
もちろん、それでも良いのかもしれません。
ただ、もっとこうしてあげたかった、というような後悔が
ある方も多いので、体調の変化に関する知識を持つことも
有益な場合があるのではないかと思っています。