Not doing,but being ~在宅緩和ケアの普及を目指して~

より良い在宅訪問診療、在宅緩和ケアを目指す医師のブログ

もはやヒポクラテスではいられない

2012-02-22 12:15:27 | 日記
Twitterで見掛けた、日経メディカルオンラインの記事がとても
賛同出来たで紹介します。

http://www.ishisengen.net/

ここでは、インフォームドコンセントや医師-患者の相互信頼を目指し
「新医師宣言」なるものを掲載しています。これはまさに私が医師に
なってから目指してきたものが集約され、上手く文章化されていました。
ひとつひとつ、「そうだ、そうだ」と思いながら読みました。
また、決して「綺麗事」が並んでいる訳ではなく、
「私達人間って、こうなりがちだよね。でも理想を持って頑張って
いきましょう!」という書き方にも好感が持てました。

医療は「思いやり」が大切なんだ、と高齢者・終末期の患者様と日々
向き合う私は常に感じています。私は、これまでの関わりから医療者は
根は優しい、気のいい人が多いと信じています。ただ、激務に追われ
マスコミにも不当に叩かれてそれでも聖人でいられる程強い人間は
稀だと思います。
全てを医療者に押し付けるのではなく、患者様の側の思いやりも、
良い医療を完成させるためには不可欠ではないかと思います。

一昔前に飽きるほど流れていた、ACのコマーシャルで「こだま
でしょうか」というのがありましたが、良い人間関係を築く基本
がここにあると思います。

以下に新医師宣言の全文をペーストさせて頂きます。
もし、読める方はメディカルオンラインの記事も直接読んで頂くことを
お勧めします。

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/bito/201202/523678_2.html


私の新医師宣言

私は、毎日の仕事の中で、あきらめそうになったり、「まあいいか」と妥協しそうになったり、望ましくない誘惑や圧力に流されそうになったり、患者さんに寄り添う心の余裕がなくなりそうになったりすることを否定しません。 そんなときには、私は以下の宣言文に立ち返ります。そして、医師として患者さんや職場の仲間とともに悩みながら、でもへこたれずに歩んでいくことを誓います。

1. 私は、患者さんについてまだわからなければならないことがあるという前提に立ち、患者さんの気持ちや苦しみを想像し、理解する努力をします。 一方、自分の言葉が意図するとおりに、患者さんに伝わらないことも認識し、お互いが分かり合うための工夫を怠りません。

2. 私は、診療方針を患者さんと決める際に、自分の方針を押し付けすぎていないか、逆に、患者さんに選択を丸投げしていないか振り返り、患者さんとともに確認します。

3. 私は、医療行為が常に患者さんを害しうることを忘れません。もし不幸にして患者さんに重い副作用などが発生した際、患者さん本人や家族の悲しみに対し誠実に向き合い続けます。

4. 私は、不適切もしくは過剰な薬の処方や検査が患者さんに行われていないか常に注意を払います。その状況に気付いた時には、患者さんと相談し、よりよい方法をともに考えます。

5. 私は、患者さんの健康の維持や回復、症状の緩和を支援するとともに、患者さんの生命が終わっていく過程にも積極的にかかわります。

6. 私は、どんな状況にあっても患者さんが希望を持つことを最大限尊重します。医療だけでは患者さんの問題を解決できないような状況のときにも、患者さんの相談者でありつづけます。

7. 私は、自らの心に宿る敵は、自己保身、経営優先の効率主義、外部からの利益供与であることを認識します。そして、ときに自らの医学的好奇心すらも患者さんの利益に反する要因となることを心に留めます。

8. 私は、可能なかぎり患者さんの希望を聴いた上で、自分にできることと、できないことを伝えます。時には、施設内外を問わず自分よりうまくできる人に協力を依頼し連携します。

9. 私は、患者さんや職場の同僚に助けられたとき、「ありがとう」と声に出して言います。また、心の折れそうな同僚が身近にいたら「どうしたの?」と声をかけ、話を聴きます。

10. 私は、文献からは医学に関する知識を、先人からは生きた技術を、同僚や他職種の仲間からは臨床の知恵を、後輩からはあきらめかけていた情熱と気づきを、そして患者さんからは、自分が、医師としてどうあり、何をすべきかということについてのすべてを学び続けます

11. 私は、自分の誤りに気付いてくれる人を大切にし、自分への批判に積極的に耳を傾けます。 同時に、同僚や上司の疑問に感じる態度や行為に対しては、それを指摘するようにします。

12. 私は、医療が公共財であり社会的共通資本であるということを前提に、専門職の観点からは理不尽だと感じる要求に対し、目を背けず向き合います。





「患者様」という呼び名に関して

2012-02-21 08:06:27 | 日記
私はブログで一貫して「患者様」という呼び名を使ってきました。
今後も特にそれを変える予定はありません。

ただ、医療者…というより主に医師の中には、この「患者様」と
いう呼び名にとても嫌悪感を示す方がおられます。
背景は、2001年に厚生労働省が出した国立病院のサービスに関する
指針に、「患者の呼称の際、原則として姓(名)に『さま』を付する」
という内容があり、病院が一斉に「患者様」という呼び方をするように
なったという経緯も関係しているのかもしれません。
これは確かに表面的な事を半ば強制的にさせているだけなので
おかしい、という気持ちが出てきて当然です。

しかし私は、自分より人生経験もあり、辛い闘病生活を送って来られた
方が、「先生」等とおっしゃると、申し訳ないような恐縮した気持ち
になります。私は偉くないし、病気を治すような魔法の力もありません。
もちろん、「先生」に当たる他の適切な言葉がないのも事実なのですが
私は逆にこの「先生」の方が余程違和感があります。
そういった気持ちから、逆に相手に対する敬意も込めて
私は医師になる前から自分の意思で「患者様」という表現をしています。

もちろん、このような呼び名がお嫌いな方もいらっしゃいます。
日本語が変、という意見もあります。
もちろん、嫌だという方の前では敢えて使いませんし、
人それぞれですから、「患者さん」という呼び方に対しても
それはおかしいぞ、とか「様」と呼ぶべきだとか思った事も
当然の事ながら一度もありません。
言うまでもなく、呼び方など本質的な事ではありませんので。
自分は自分、人は人。それで良いではありませんか。



リリカ

2012-02-17 10:00:23 | 疼痛の治療
2010年、我が国でもようやく発売されたリリカ(プレガバリン)。
当初は帯状疱疹後の神経痛のみの適応でしたが、同年10月より
「末梢性神経障害性疼痛」に適応を拡大しています。

癌性の神経障害性疼痛にエビデンスを持つガバペン(ガバペンチン)
が、我が国では未だに抗けいれん薬、しかも他剤との併用でしか
認められていませんので、ホスピス以外での使用が困難でした。
ですので、同薬と類似構造を有するリリカの鎮痛効果が期待されて
います。

参考までに過去ブログの、ガバペンの記事はこちらから
http://blog.livedoor.jp/kotaroworld/archives/51516610.html

繰り返しますが、癌の神経障害性疼痛にエビデンスを持つのは
ガバペンの方です。2010年の「がん疼痛の薬物療法に関する
ガイドライン」でも、ガバペンは取り上げられていますが
リリカの名前はまだ出てきません。
しかし、経験上リリカもガバペンと同様の鎮痛効果を有すると
実感しています。

リリカはガバペン同様代謝酵素の影響を殆ど受けず、薬物相互作用
を受けにくい(与えにくい)という特徴があります。また、
眠気(眩暈、ふらつき)を除くと他の鎮痛補助薬と比べ副作用も
少ないという面、そして後述のように効果が速いという点からも
鎮痛補助薬でファーストチョイスとして用いても良いのではないか
と思っています。

ただ、眠気以外の副作用が少ないと言っても、眠気はかなりガッツリ
ときます。眠気のために中止にしざるを得ない事もあるので、
特に高齢者では注意です(せん妄のようになってしまう事もあります)。
一応75mg 2カプセル、分2から開始ですが、これは多いと感じて
います。寝る前1回にするか、幸いな事に25mgの製剤もあるので、
個人的にはこの量からの漸増でも良いと考えています。

効果発現の速さは特筆すべきで、夜飲んで翌日には「痛みが減った
みたいです」とおっしゃる方も少なくありません
(ただ、血中濃度が安定するには数日かかるそうです)。
これまでの経験では効く方には少量、短時間で何らかの効果が
あったとおっしゃいます。
判定が早く出来るという事は、効果がなかった場合他剤に変更を
考えるのにも有利ですし、何より痛みを持つ患者様には福音です。

転倒などに注意すれば在宅でも使いやすい薬ではないかと思います。


以下、その他の特徴です。
・参考までにガバペンのNNT(50%疼痛減)は文献によりますが
4.5程度です。
・もちろん、帯状疱疹後の神経痛や坐骨神経痛にも効果あります。
・腎排泄であり、腎機能の低下した患者様には減量が必要
・ガバペンと異なり用量依存的に血中濃度が上がるので
効果や副作用が予測しやすい
・長期間の使用でも効果が落ちないという意見と減弱する
という意見がある。
・症例報告程度だが、痒みやうつにも効果がある、
繊維筋痛症にも治験中と聞く。

悩むこと

2012-02-15 13:28:06 | 日記
先日、りりーさんという方から、
「悩んでいます」というタイトルで私のブログにコメントを
下さいました。非常に共感出来る事でしたので、
本日はその話をさせて頂きます。

何度もお書きしているように、私が緩和ケアの領域で最も大切だと
思うことは寄り添うことではないかと思っています。
その一歩は、文字通り物理的に長い時間を患者様や御家族と過ごす
事だと思います。長い時間を過ごして初めて、患者様は少しずつ
本音を話して下さるようになりますし、具体的に何に苦しんでいるか
医療者側も理解出来るようになります。

痛みのスケールを用いて客観的に情報を具体化する、それはそれで
意味のある事ですが、患者様の苦しみはどうしても数値では表せない
部分があり、それは直接関わる事でしか分からないからです。

多くの、特に御高齢の患者様は、医師には遠慮して本当の事を言えず
「大丈夫です」と言ってしまいます。長く時間を過ごす中で、
「先生、あの薬は効かなかったよ」
とか、
「痛みはなくなったけど、下剤が増えて飲むのが大変だよ」
と話して下さるようになるのです。
医師の前で、患者様が必要以上に「頑張る」必要がなくなって
やっと緩和ケアが始まります。

「共にいるだけではダメ」とおっしゃる先生がいらっしゃいました。
否定はしませんし、医師・看護師であれば当然プロとして十分な
知識や技術は必要です。そうでなければ医療者である意味は
ありません。ただ、知識・技術は最低限、緩和ケアの入り口であって
ここで満足してしまってはいけないのではないか、と言いたいのです。

長い時間を患者様と過ごすと、現在の緩和ケアの知識や薬剤が
患者様の苦しみの一部しか緩和出来ていない事に気付くと思います。
何が出来るのか、これは本当に患者様のために良い事なのか、
悩みがたくさん出てきます。
悩みは、誠実に、患者様と向き合わないとあまり出てこないと思います。

悩むことは、何も緩和ケアに限ることではありません。
手術し、治癒するという性質の問題でない限り色々な場面で我々は悩みます。
最近よく話題になる、胃瘻の問題なども、その代表かもしれません。
我々に出来ることには非常に限られており
人間が生きる上での苦しみはとても多いのです。


悩みはきっと、一生懸命に患者様の苦しみに向き合おうとしている証です。

ナースが聞いた「死ぬ前に語られる後悔」トップ5

2012-02-08 15:46:34 | 日記
数日前からTwitterやFacebook上でこの記事をよく目にします。
オーストラリアで緩和ケアの仕事をしている看護師さんが、
“死の間際の患者様から最も良く聞かれる後悔”を挙げて
おられます。お読みになりましたでしょうか。

http://youpouch.com/2012/02/06/53534/

1. 「自分自身に忠実に生きれば良かった」
2. 「あんなに一生懸命働かなくても良かった」
3. 「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」
4. 「友人関係を続けていれば良かった」
5. 「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」

みんな職場や場合によっては家族のために、
「こうでありたかった」人生とは違う道を歩んできたことを
思い起こして後悔されるのかもしれません。
人の為に生きたことに後悔し、もっと自分自身のために
生きれば良かった、と思うのはちょっと皮肉な気もしますね。

そして、会社や職場での信用、地位や名誉、お金はきっと
一部の人を除き生きる上ではきっと大切で必要なもの
なのだと思います。しかし、死の間際という場では
時とともに去り行くもの、儚いものだと否応なしに
思い知らされるのかもしれません。

これを書いた看護師さんは、少しでも多くの人に後悔のない
人生を歩んでもらいたいという気持ちから記事を書かれた
のではないかと思います。死を想い、日々を生きる事が
出来れば、間違いなく有意義なことだと思います。

しかし、一方で人間はそれを聞いても生き方を変えられない
のが正直なところかもしれませんね。目前の課題・問題に
足掻きながら、一日一日を必死に頑張っている人が大部分
だと思いますし、そしてどんなに頑張っても頑張っても
後悔が残ってしまうのが人生なのかもしれません。

以前にも書いたかもしれませんが、ホスピスで
「私の人生は最高だった。有難う!」とおっしゃって
亡くなった患者様がおられました。
その方は何か特別な人生を歩んで来られた訳ではなかったと
思いますが、後悔ではなく、最高だった、と言えるのは
何が違っていたのでしょうか。

後悔であったか最高であったか。
決めるのはその人自身なのは間違いなさそうです。