Not doing,but being ~在宅緩和ケアの普及を目指して~

より良い在宅訪問診療、在宅緩和ケアを目指す医師のブログ

がん難民

2012-04-16 08:38:12 | 日記
がんが手術出来ない、あるいは再発、転移してしまった時、
有効な治療がなくなる時が、いつか来ます。

その時に、「もうこの病院では有効な治療がないから」と
近医やホスピスへの転院、転医を勧められるケースは非常に
多くあります。患者様・家族にとって突然である場合が多く
しかしホスピスというにはお元気である場合も多いので
途方に暮れ、どうしたら良いか分からなくなってしまうこと
だと思います。

主治医にとってみれば、早期に治療がなくなるという宣言を
することで、延命・緩和に効果のある治療を諦めてしまえば
患者様にとって不利益と考えるかもしれませんし、元気に活動
出来る時期に失意や悲しみを与えてしまう事への戸惑いもある
と思います。高額な、効果のない治療に長い時間を費やすこと
がないように、という想いもあるのかもしれません。

しかし、それでも治療の見込みは伝えるべきですし、それが
インフォームドコンセントではないのでしょうか。苦しみながら
「でも、治さなきゃ」と抗がん剤治療を受けている患者様を見る
たび、その姿を身内と重ね合わせ辛くなります。
「話さないこと」は長い眼で見てやはり助けにはなっていないと
思うのです。もし、万が一真実を話さないという選択肢が許される
のならば、それは周囲が一丸となり、最後までサポートするのが
最低限の条件ではないでしょうか。

「有効な治療」がない訳はないのです。抗がん剤だけが有効と
いう訳ではなく苦痛を和らげるために色々な手伝いが出来る
はずです。「あなたはここに来てはいけない」というメッセージ
を主治医が出さなければ、「がん難民」は生まれないのです。

もちろん、主治医の先生にも物理的な限界があります。
緩和の専門医に診てもらった方が、待ち時間の短い外来で済む
方が、患者様にとってもプラスであると考えることでしょう。
そういった説明は別に良いと思いますが、
選択の余地がなかったり「いつでもおいで」というメッセージ
がない事が問題なのではないでしょうか。

また、抗がん剤とホスピスの「狭間の医療」こそ、今求められて
いるのだと感じています。

丸山ワクチン

2012-04-05 08:10:06 | 日記
昨日がんの代替療法について述べたので、ついでに丸山ワクチンに
ついても少しお話させて頂きます。私は丸山ワクチンは少なくとも
嫌いではないです。40日分で10000円を切る料金は他の治療法と
比べれば安価ですし副作用はありません。しかし、効果は?と
聞かれれば

「少なくとも私の知る限りにおいては、効果はないと考えざるを得ません」

という返事になります。緩和ケア病棟その他で、私は少なくとも30人
の患者様の、丸山ワクチン治療に協力しました。当初はいくらか期待
し、可能な限り画像や腫瘍マーカーで客観的な判断をしましたが、
納得し世間に示せるような効果の証拠は経験出来ませんでした
(30例余では少ないのでは?と聞かれればそうかもしれませんが)。

もちろん、長期生存例はありました(但し腎臓がんでもともと進行
してからの経過も比較的長い方でした)し、「元気が出た」「食欲が出た」
などの自覚症状の改善を訴える方はいらっしゃいました。しかし、
プラセボとの比較はありませんので「なにか治療をしている」という
気持ちだけの問題であった可能性が高いのではないかと思っています
(もちろん、このような気持ちの変化を軽視するつもりはありません。
逆にこれこそが代替治療の最大のメリットではないかと思っています)。

※このような自覚的効果の大部分は残念ながら長続きしない事も
付け加えておきます。

ですので、私は自分や身内が同じ状況になった時に丸山ワクチンを
受けるかもしれませんし少なくとも否定しませんが、世間に、また
患者様に積極的にお勧めするだけの根拠はないというところです。

以下、NATROMさんのブログに「丸山ワクチンに期待出来ない理由」
という考察があります。長い歴史があり多数の利用者がいるのに
何故エビデンスが出て来ないのか?と。
残念ながら、その通りだと言わざるを得ません。

http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20091214

逆にここまで理路整然と納得出来る「肯定派」の意見は見付けることが
出来ませんでした。例えばこういう、陰謀論が有名です。
体験談の寄せ集めで、他のきのこ等の健康食品とあまり変わらない
印象を持ちましたが…。

http://birthofblues.livedoor.biz/archives/50709310.html

また以下のオフィシャルサイトはこれから治療を
受けようかと考えている方には良いと思います。

http://vaccine.nms.ac.jp/

丸山ワクチンの治療を受けたい方は、
オフィシャルサイトから「治療を受けるには」を見て下さい。
簡単に言うと

1.まず診断書や投与、採血などをしてくれる医療機関を探し、
2.サイトから必要書類をダウンロードして記載
3.御本人または家族が日本医科大学を受診し説明を聞く。

※受診は月・火・木曜日、午前9:00~11:00

同日、20本(40日分)の薬を渡される。
4.2回目以降は郵送で対応してくれます。

御意見あれば是非コメント下さい。

がん代替治療を考える

2012-04-03 08:44:46 | 日記
『がん患者会シャローム代表個人ブログ!』に代替療法の勉強会の
記事が出ていました。代替治療を行う前に一度眼を通すべき内容
ではないかと思います。

http://sugitocancer.blog87.fc2.com/blog-entry-1940.html


代替療法も私が臨床に出てからの12年間程度
でも、次々に治療法が廃れ、また新しい治療が出て来ています。
冷静に考えれば「効かない」という事実が知られると姿を消す、
の繰り返しである事がすぐに推測出来ますが、必死な御家族や
患者様御本人には「新しいこの治療は効くかもしれない」と
考えることだと思います。

残念な事ですが、人の弱みに付け込み詐欺を働く人達がたくさん
います。そんな人達にとって健康食品市場は格好の稼ぎ場です。

ただ、私はそれでも「全てを頭ごなしに止めさせること」だけが
医療者の正しい態度なのか、といつも考えてきました。
がんの代替治療について過去に書いた記事があります。

健康食品について
http://blog.livedoor.jp/kotaroworld/archives/12723713.html#more

リンパ球療法について
http://blog.livedoor.jp/kotaroworld/archives/13627010.html#more

※リンパ球療法は少しずつ西洋医学的な批評を受け、効果と限界が明らかに
なってきていますので、いつの日か代替治療ではなくなるかもしれません。
しかし、今のところ大部分の方には効果がなく非常に高額である事にも
変わりありません。現段階では、未熟な治療と考えますし、何百万も
かけて行なうだけのメリットはないと思います。
また、リンパ球療法を行なっているクリニックにもひどいところが
いくつもあります。

これらの治療を妄信し、西洋医学の全てを否定したり高額な医療費を支払う
ことは患者様・御家族にとって大きな被害・損害だと思います。
しかし、副作用がない事がはっきりしているものや高額ではない
代替治療ではどうでしょうか。死が近いことを認識し「たぶん効かない
だろうけれど」と考えながらハーブティーを飲んだり丸山ワクチンを使うことが
いくらかでも精神摘な苦痛や不安を和らげる側面があるとしたら
これらの全てをヒステリックに止めさせる事でもないんじゃないか、
と私はいつも思っています。
人は、そんなに強い人ばかりではありません
この段階での、セカンドライン・サードラインの効果のはっきり
しない抗がん剤治療を受けるより、
もしかしたら害が少ないかもしれません。

代替治療に全てをつぎ込んでしまう、患者様の、いや、人間の
弱さを理解出来ない治療医にも問題があると私は思います。
「もう、ここで出来ることはありません」
は絶対に言ってはいけないのです。
抗がん剤=治療の全てではなく、対症的なサポートは出来ますし
御自分の身内ならどうするか、を常に考えれば
おのずとどう接するべきか分かってくるのではないでしょうか。


ホスピス、在宅等、患者様にとってのベストを共に考え
今は長い時間を掛けてこの外来に通うよりもこちらの方法を
勧めます。でも、ここでの治療が必要な時はいつでも戻ってきて
良いのですよ、と…腫瘍内科医の先生にはそのような言葉で
関わって頂きたいと切に願います。主治医の先生に信頼感があれば、
おかしな治療に全てを犠牲にしてしまう方も少なくなるのではないでしょうか。


医師と一般人はなぜ選択が異なるのか

2012-03-01 08:20:07 | 日記
ウォールストリートジャーナルの2月27日の記事から。

http://jp.wsj.com/Life-Style/node_399574

要旨は、医師が治癒不能のがんになった場合、一般の人と比べて
治療は少なく、静かで穏やかな最期を迎える事が多いということ。

文中にもある通り、医師は医療の限界を知っていますし、
行き過ぎた治療、延命のもたらす結果を嫌という程経験している
からだと思います。私の親族にも、がんで亡くなった医師が
おりますが、納得した治療だけ受けて、家族と共に過ごす時間を
大切にし、あまり苦しむことなくこの世を去りました。

例えば、意識を失うような脳梗塞や重度の認知症では、御本人の
意思の確認は困難です。治療を決めるのは、家族や場合によって
は医療者です。
しかし、がんという病気は再発・転移し治癒が出来ないと分かった
時点でも、数ヶ月、場合によって数年の時間があります。
そしてこの間の生き方は御本人が決めることが出来るのです。
上記の記事の中にもあるように、とても幸せに自由に生きる
事が出来る場合もあるのです。

そうなると、病気や治療の知識を持っている方が、正確な意思
決定が可能となり、後悔が少なくなるのではないかと思います。
ただ、病気になった時は精神状態にも様々な変化があると思い
ますし、だんだんと病状が進行し体力を奪われた状態では、
病状を学んだり細かい意思決定をする気力もなくなって来るのが
普通です。

ですので、時間も体力もあるうちに色々な知識を持つことが
自分の望む生き方を送るために有利だと思うのです。
医師は、普段の仕事の中でそれが出来ている場合が多いのでは
ないかと思います。

誤解のないようにお話しておきますが、私が進行がんになった
場合も、延命治療を完全に受けないと言っている訳ではありません。
しかし、それが非常に限られた延命や症状緩和のエビデンスが
はっきりしない治療を続け、それによって消耗するのはまっぴらごめんです。
家族と共に過ごし、心ある医療者の力を借りて、緩和ケアを
実施して頂きたいと思います。

もちろん、延命を否定するつもりもありません。苦しまない
事が最善とは限らず、少しでも家族と共に生きるために
抗がん剤に賭けるという人生も素晴らしいと思います。
しかし、知識なく治ると信じて苦しい闘病を強いるというのは
個人的にはどうなのかと思ってしまいます。

治らないこと、命が限られている事を告げるのはかわいそうです。
しかし、それを告げないことで、もっとかわいそうな状況を
作り出したり、悔いのない時間を過ごす可能性を奪っているかも
しれません。

もはやヒポクラテスではいられない

2012-02-22 12:15:27 | 日記
Twitterで見掛けた、日経メディカルオンラインの記事がとても
賛同出来たで紹介します。

http://www.ishisengen.net/

ここでは、インフォームドコンセントや医師-患者の相互信頼を目指し
「新医師宣言」なるものを掲載しています。これはまさに私が医師に
なってから目指してきたものが集約され、上手く文章化されていました。
ひとつひとつ、「そうだ、そうだ」と思いながら読みました。
また、決して「綺麗事」が並んでいる訳ではなく、
「私達人間って、こうなりがちだよね。でも理想を持って頑張って
いきましょう!」という書き方にも好感が持てました。

医療は「思いやり」が大切なんだ、と高齢者・終末期の患者様と日々
向き合う私は常に感じています。私は、これまでの関わりから医療者は
根は優しい、気のいい人が多いと信じています。ただ、激務に追われ
マスコミにも不当に叩かれてそれでも聖人でいられる程強い人間は
稀だと思います。
全てを医療者に押し付けるのではなく、患者様の側の思いやりも、
良い医療を完成させるためには不可欠ではないかと思います。

一昔前に飽きるほど流れていた、ACのコマーシャルで「こだま
でしょうか」というのがありましたが、良い人間関係を築く基本
がここにあると思います。

以下に新医師宣言の全文をペーストさせて頂きます。
もし、読める方はメディカルオンラインの記事も直接読んで頂くことを
お勧めします。

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/bito/201202/523678_2.html


私の新医師宣言

私は、毎日の仕事の中で、あきらめそうになったり、「まあいいか」と妥協しそうになったり、望ましくない誘惑や圧力に流されそうになったり、患者さんに寄り添う心の余裕がなくなりそうになったりすることを否定しません。 そんなときには、私は以下の宣言文に立ち返ります。そして、医師として患者さんや職場の仲間とともに悩みながら、でもへこたれずに歩んでいくことを誓います。

1. 私は、患者さんについてまだわからなければならないことがあるという前提に立ち、患者さんの気持ちや苦しみを想像し、理解する努力をします。 一方、自分の言葉が意図するとおりに、患者さんに伝わらないことも認識し、お互いが分かり合うための工夫を怠りません。

2. 私は、診療方針を患者さんと決める際に、自分の方針を押し付けすぎていないか、逆に、患者さんに選択を丸投げしていないか振り返り、患者さんとともに確認します。

3. 私は、医療行為が常に患者さんを害しうることを忘れません。もし不幸にして患者さんに重い副作用などが発生した際、患者さん本人や家族の悲しみに対し誠実に向き合い続けます。

4. 私は、不適切もしくは過剰な薬の処方や検査が患者さんに行われていないか常に注意を払います。その状況に気付いた時には、患者さんと相談し、よりよい方法をともに考えます。

5. 私は、患者さんの健康の維持や回復、症状の緩和を支援するとともに、患者さんの生命が終わっていく過程にも積極的にかかわります。

6. 私は、どんな状況にあっても患者さんが希望を持つことを最大限尊重します。医療だけでは患者さんの問題を解決できないような状況のときにも、患者さんの相談者でありつづけます。

7. 私は、自らの心に宿る敵は、自己保身、経営優先の効率主義、外部からの利益供与であることを認識します。そして、ときに自らの医学的好奇心すらも患者さんの利益に反する要因となることを心に留めます。

8. 私は、可能なかぎり患者さんの希望を聴いた上で、自分にできることと、できないことを伝えます。時には、施設内外を問わず自分よりうまくできる人に協力を依頼し連携します。

9. 私は、患者さんや職場の同僚に助けられたとき、「ありがとう」と声に出して言います。また、心の折れそうな同僚が身近にいたら「どうしたの?」と声をかけ、話を聴きます。

10. 私は、文献からは医学に関する知識を、先人からは生きた技術を、同僚や他職種の仲間からは臨床の知恵を、後輩からはあきらめかけていた情熱と気づきを、そして患者さんからは、自分が、医師としてどうあり、何をすべきかということについてのすべてを学び続けます

11. 私は、自分の誤りに気付いてくれる人を大切にし、自分への批判に積極的に耳を傾けます。 同時に、同僚や上司の疑問に感じる態度や行為に対しては、それを指摘するようにします。

12. 私は、医療が公共財であり社会的共通資本であるということを前提に、専門職の観点からは理不尽だと感じる要求に対し、目を背けず向き合います。