Not doing,but being ~在宅緩和ケアの普及を目指して~

より良い在宅訪問診療、在宅緩和ケアを目指す医師のブログ

死の数日から数時間前の兆候

2010-06-03 10:38:31 | 旅立ちー死を看取る
3.死の数日から数時間前の兆候

元気が出てくることがときにあります。見当ちがいがみられた人でも、
はっきりと、てきぱきして話をするようになることがあります。

 何日も食事をとらなかった人が、好きなものを欲しがったり、
実際に食べたりするかもしれません。

 しばらくの間、誰とも会いたくなかった人が、親戚の人や
見舞客とともに居間に腰掛けて話をすることがあるかもしれません。

 この世界から次の世界へ移るのに必要な、こころの力が与えられるのです。
 この力は次の世界へ移る前に、一時的にからだを動かすのに使われます。
 
 今あげた例のように、この力は必ずしもそのときに明らかになる
とは限りません。しかし、後になって振り返ったときに、思い当たる
ことがよくあります。

 死が迫って来るに連れて、これまであげた死の2週間から1週間前の
兆候がより強くなってきます。

 血液中の酸素の量が減ることにより、じっとしていられない状態が
さらに強くなることがあります。

 呼吸のリズムが遅くなったり、不規則になったりします。
次の呼吸が始まるまで10秒から15秒、場合によっては
30秒から45秒もかかることがあります。

 たんがさらに増えることにより、のど元でゴロゴロと大きな音が
することがあります。右下や左下にからだの位置を変えることに
影響をうけます。ゴロゴロという音は、出たり消えたりします。

 目は開いたままや半開きの状態になったりしますが、見えてはいません。
目がとろんとして、涙がでたりします。

 手とあしの色が紫色になります。ひざ、足首、ひじに斑点が
みられます。手、足、背中、おしりの下になった部分にも斑点が
みられることがあります。

 血圧がさらに下がり、脈が弱くなり、触れにくくなる。
尿が減少する。尿や大便を漏らす。

 死が差し迫ってくると反応がなくなる。(周囲の状況に反応できなくなる)
のが一般的です。

 どのように死と向き合うかは、生命に対する畏れ、人生への関与、
新しい世界へ進むため現状をいかに受け入れるかによるでしょう。
 生命に対する畏れとやり残したことは、死と直面する際に二つの
大きな障害となるでしょう。

 完全に呼吸が止まり、本当の別れがやってきます。
一度か二度の長い間隔をあけた呼吸に続いて、最後の呼吸がみられます。

 そして、からだは空っぽになってしまいます。からだの持ち主は、
もはや、重くて巧く動かなくなった乗りものを必要としなくなったのです。

 そして新たな町に入り、新たないのちへ移ったのです。


 おわりに

 私は海辺に立っている。海岸の船は白い帆を朝の潮風に広げ、
紺碧の海へと向かってゆく。船は美しく強い。私は立ったままで
眺める。海と空が接するところで、船が白雲の点となりさまようのを。

 そのとき海辺の誰かが言う。「向こうへ行ってしまった!」。「どこへ?」。

 私の見えないところへ。それだけなのだ。船のマストも、船体も、
海辺を出たときと同じ大きさのままだ。そして、船は今までと同様に
船荷を目指す港へと運ぶことができるのだ。

 船が小さく見えなくなったのは私の中でのことであり、船が
小さくなったのではない。そして、海辺の誰かが「向こうへ行ってしまった!」
と言ったとき、向こうの岸の誰かが船を見て喜びの叫びをあげる。
「こちらに船がきたぞ!」。

 そして、それが死ぬということなのだ。

                           ヘンリー・ヴァン・ダイク

死の2週間から1週間前の兆候

2010-06-01 06:40:47 | 旅立ちー死を看取る
2.死の2週間から1週間前の兆候

 (1) 見当ちがい

 この時期は大部分は眠って過ごすことになります。目を開け続けることが
できにくくなるようです。
 しかし、誰かの刺激によってその眠りから目覚めることは不可能です。
文字通り新しい世界に足を踏み入れかけているのです。

 混乱がしばしばみられ、実在しない人と話したり、分からない場所や
出来事について話をしたりします。亡くなった家族に会ったり、会話を
したりすることがあります。

 寝具を引っ張ったり、興奮して手を動かしたりすることがあります。
意味がないようなからだの動きがみられたりするかもしれません。
この世界から次の世界へ焦点が移っていき、この世に対する基盤を失いつつあるのです。



 (2) からだの変化

 からだを維持する能力を失いつつあることを示す、からだの変化が現れてきます。

 多くの場合、血圧が下がります。

 心拍数が変化します。普通は1分間80回くらいですが、150回を超える
ほどにまで増えたり、反対に減ったりします。体温は上がったり下がったりして、
変動します。

 汗を多くかくようになります。多くの場合、じっとりとします。

 皮膚の色が変わります。発熱して紅潮したり、寒気とともに青ざめたりします。
 黄色がかった青白い色は、死が近づくとよくみられます。
(黄疸とまちがえないように)

 爪、手、足は青ざめたり、青白くなったりします。これは心臓が
からだの中の血液を、これまでどおりに循環させることができなくなったためです。

 呼吸の変化も起こります。呼吸は1分間に16回から20回が普通ですが、
1分間に40回から50回にまで増えたり、反対に1分間に9回から6回
までに減ったりします。

 あえぐような呼吸をしたり、息を吐くときにくちびるをブルブル震わせたり、
呼吸のリズムが止まったり再開したりすることがあります。これらは、
一般に眠っているときに起こります。

 たんが増えることがあります。そのために肺やのど元でゴロゴロと音がします。
 せきが出ることもありますが、一般的にせきをしてもこの症状はよくなりません。
 呼吸の変化やたんが増えることは、現れたり消えたりします。
 これらの兆候は現れたかと思えば、そのすぐ後にはすっきりとおさまる
ということがあります。

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呼吸や脈が速くなると、何か起きているのではないか、苦しくないかと
心配になると思いますが、これを読むとそうではなく、死に向かう自然
な過程なのだと気付くと思います。

死の3ヶ月から1ヶ月前の兆候

2010-05-31 12:55:09 | 旅立ちー死を看取る
はじめに

すべての人は死を迎えようとするとき、自分自身の独自性を保ちながら、
最後の経験をしていきます。この冊子は、ガイドラインや地図を示しているに
過ぎません。どのような地図でも、同じ目的地に到るには多くの道があり、
同じ町にたどりつくには多くの方法があります。

 非常に個人差があり、断定できることは何もないということを心にとめながら、
この冊子を使用してください。この冊子にある兆候のすべてがみられたり、
一部がみられたり、全然みられなかったりするかもしれません。
また、兆候によっては死の数ヶ月前にみられるものから、数分前にみられるもの
まであります。

 死はしかるべきときに、しかるべき方法で訪れてきます。死を迎えようと
している人にとって、死に方は一人ひとり異なるのです。

 以下に述べる兆候を時間割にあてはめようとすると、その時間割は非常に
変わりやすいものになります。しかし、兆候は死の3ヶ月から1ヶ月前に
始まるということができるでしょう。

 実際に死にゆく過程は、死の2週間まえに起きることが多いのです。
本当に死ぬということを理解し認めることは、死を迎えようとしている
人のこころの内側に起こっているのです。

 しかし、残念ながら、このことはいつも誰かと分かち合われるとは限らないのです。


1.死の3ヶ月から1ヶ月前の兆候 

 (1) 身を引くこと
「自分は死ぬのだ」ということが現実になると、人はこの世界から
身をひくようになっていきます。
 これが別れの始まりです。
 まず新聞やテレビに興味がなくなり、次に人々です。たとえば、
「ジェシーおばさんに『今日はだれとも会いたくない』と言って」
と言うようになるでしょう。そして、最後に子ども、孫、そして
最愛の人たちからも離れていきます。

 これは、自分自身をとりまくあらゆるものから身を引いていき、
内なる世界へ向かっているのです。
 内なる世界では、自分自身や自分の人生を整理し、
価値を見出すようになっていくのです。しかし、その人の内なる世界には、
ただひとりしか入れません。

 この過程はまぶたを閉じたままで行われることが多く、
眠っている時間が長くなっていきます。いつもの昼寝のほかに、
朝のうたたねが付け加わります。

 一日中ベッドの上で過ごし、起きているよりも眠っている時間の方が
長くなっていくのが普通です。
 しかし、ただ眠っているようにしかみえないこの状態でも、
周囲の人々にはわからない奥深いところで、とても重要な作業が
行われていることを知ることが重要です。

 この身を引きつつある過程では、誰かと会話をする必要が少なくなっていきます。
 
 去っていこうとしている世界では言葉が関係しますが、
死を迎えようとしている人にとって言葉は重要でなくなっていきます。

 むしろ、スキンシップや沈黙の方がより価値があるようになっていきます。

                    
                        
  (2) 食事量が減ること
 
 食事をすることは、私たちのからだを元気づける方法です。
食事はからだを維持したり、動かしたり、生かし続けたりする手段です。
私たちは生きるために食事をします。
 しかし、からだが死の準備を始めてときは、食事量が減ることは
ごく自然なことなのです。しかし、このことは家族にとってはとても
受け入れがたい考えです。

 食生活は徐々に変化していきます。何を食べてもおいしくなくなったり、
また、食欲もあったりなかったりします。また、固形物よりも液状のものを
好むようになります。「何も食べる気がしない」と言うようになります。
始めは肉類、野菜、そして飲み込みにくいもの、最後は柔らかいものさえ
食べられなくなっていきます。

 食べられなくなっても大丈夫です。
このときは、ほかの異なるエネルギーが必要になっているのです。
これからは、からだのエネルギーではなく、
こころのエネルギーがその人を支えることになるでしょう。

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(注)太字は私が勝手につけました。

わが国では死が生活から切り離されてから随分と時間がたちました。
死の3ヶ月前くらいから兆候が始まる、というのはホスピスを経験
している私には頷けるものがありますが、多くの御家族にとって、
この兆候は死の準備としては認識されず、見過ごされているように
感じます。その結果として、もっと悪くなってから
「こんなに早く亡くなるとは思いませんでした」
と皆さんおっしゃいます。

もちろん、それでも良いのかもしれません。
ただ、もっとこうしてあげたかった、というような後悔が
ある方も多いので、体調の変化に関する知識を持つことも
有益な場合があるのではないかと思っています。

旅立ちー死を看取る

2010-05-30 13:37:09 | 旅立ちー死を看取る
ホスピスに勤務したての時期、2002年頃であったと思いますが、
病棟でこの、「旅立ちー死を看取る」という小冊子に出会いました。
(以前のブログでも簡単に紹介させて頂きました)
これは、アメリカの元看護師のバーバラ・カーンズ(Barbara Karnes)
という方が書いた"Gone From My Sight: The Dying Experience"
という冊子で、日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団から翻訳された
ものが配布されていました。

これは、人が弱り、死に向かう過程を、一般の方々に分かりやすく
簡潔に、そして優しい言葉で書かれた冊子です。
簡潔ですが、残される家族が知りたい内容が、実にしっかりと
書かれた本だと思います。

残念なことに、既に配布が終了しており、手に入らなくなっていますが
良い内容なので、これから何回かに分けてここで紹介させて頂こうと
思います。この冊子は無料で配られたものですが、著者のカーンズさん
とは面識ありませんし、許可を得ている訳ではありません。
著作権等で問題になるようであれば、速やかに削除させて頂きます。