おっぱいとわたし 2016.12.3右乳癌告知 HER2(3+)ホルモン陰性浸潤径1.5cmステージ1

告知時、37歳独身 卵子凍結済
時々糖質制限、栄養療法ネタあり😸

癌とも。

2020年09月06日 22時43分58秒 | がん朋
※本日のブログは病気を経験した物同士の友達付き合いについて。
ややこしい内容。
読み手の体調や状況によっては明るい内容には、なりません

不快に思うヒトもいて当然

なので…
読むのは自己判断でおねがい、

これは、わたしが私に贈る
慰めの言葉

行き場のないやりきれなさ
それを鎮めるための言葉

誰かを非難批判、毛頭ないです

みんな必死
わたしも、必死

ただ…それだけ。









では、はじまります。



同世代の癌とも。
同世代だからこそ
わかり合える
でも

同世代だからこそ
難しい。

あるひとは
再発して、不安定になり

直前までわたしと入院のためのグッズの貸し借りについて(わたしが胸帯を貸すことになっていた)やりとりしていた…
でも、突然、攻撃的に。

仕方ない事なのだろう。


あるひとは
ほぼ完治してて…
突然のラインブロック

思い当たる節が、なくて。

最悪…
いや、そんなはずはない。
あってたまるか

数ヶ月前に一度ラインする程度
会うのは1年に一度?

思い当たる節が、なくて。

ブロックするってことは、もう二度と会いたくないって事よね。

せめて、ひとりになりたいくらいの
嘘でもいいから言ってって思うけれど。
ブロックって人生ではじめてだったし
気持ちの共鳴をしてきたからこそ
ショックも一際だった

はたまた、あるときは
勉強会で出会って
たまたま、同じ病院で
主治医も、同じで意気投合…したとおもったのは私だけだろうか、

外来で、顔見つけて、あいさつしたら
無視され…

わたし、なにかしたのかな…
わたし、無神経なこと、したのかな…

そして
再々発して、体調がすぐれない友達

わたしなにも、できない

いや、なにもって事はない
なにか、できるだろう

なにかできるならば、なんでもしたい。

そのことを伝えて
じっと、待っている。

わかってる

なにも、頼みたくない
なにも、頼めることない

それを考える余裕もない。

わたしだって再発してるかも
(現在も、懸念は晴れてない)
濃厚疑いだったとき

何度も何度も
生死を見つめて
考えてた

誰かに縋りたい

でも
だれにも縋れない

自分で、この体とこの状況で
ぐっと拳をにぎって闘うしかない。

あの暗闇と
閉塞感と
絶望と失望感

経験した者しかわからない。


体の一部を失うさみしさ

それが、自分のアイデンティティとも言える場所であること

生きる事への
執着
なんとしてでも
この病魔から逃げ切りたいという
相手の見えない戦いと焦燥感と

誰かと競争してるわけじゃないけど

まわりの健康な友人と
人生の水をあけられたような
それまでのわたしの努力をあざ笑われたような

治療がおわったら
終わったで

同世代の、
キラキラしたサバイバーに圧倒され

癌で人生変えた!とか
伴侶を見つけた!とか
子どもを産んだ!とか
転職した!
起業した!
とかの


幾つかの!マークから
逃れるように
静かに、パソコンを、閉じてみる。

わたしは
未だに癌を乗り越えたり
さらには超人的な事なんて
できないし

望んでないし
なのに
やっぱり羨ましくて。

一筋の乾いた涙の幻想をみる。




そんなことで
わたしは、同世代の人を外来で見かけると声をかけずにはいられない

声をかけるのは
勇気がいるよ
ほんとは怖いよ
だけど
あの時のわたしは
ひとりで泣く場所もなくて
卵子凍結のこと
相談する人もいなくて

心細くて

まるであの時の自分を助けるみたいに

声をかけてしまう

声をかけて、
あ~やめときゃ良かった

なんか、腹立たしいってこともあるよ。

自分のお人好し加減や
おせっかいに
自分でイライラすることだってあるよ

免疫さがったやんって思う


だけど、
それなのに

きっと
これからも
わたしは
声をかけてしまうだろう

自己満足

自己憐憫

他者投影

だけど
あの時
わたしは
ひとりで歯を食いしばっていた
わたしを
誰かが抱きしめてくれたら

なんとか踏ん張っていた私の体を

誰かにすこしだけ
ほんの少しの時間でも
代わりに
私の重みを
支えて欲しかったから


やめときゃ良かった

そう思っても

きっと
また

やっぱり余計なお世話なのかな…

わからないけど。

明日があるなら

明日があるから

きっと。