婚活@港区

東京都港区にて、婚活、始めました。基本は、「待ち」だけど。
恋活・婚活事情、「歳の差婚」を研究中。

世界人口から考える日本の未来 ~ 「日本人と結婚」 山田昌弘

2011-11-13 17:02:38 | 日記
「70億人の地球――世界人口から考える日本の未来」から、面白い発言をピックアップしてみた。

「日本人と結婚」 山田昌弘(社会学者)
少子化の原因は、きわめて明解です。結婚しない人が増えたから、生まれる子供の数も少なくなった。ではなぜ、結婚しない人が増えたのか。大きな原因は3つ。これらが絡み合った結果とみています。ひとつは、男性の収入で結婚後の生活費を賄うべきという意識が日本ではまだ強いこと。ふたつめは、その生活を担うべき若い男性の収入が、不安定、そして低下していること。3つめは、親と同居しているパラサイトシングルの女性が多く、いつまでも結婚を待つことができてしまうことですね。

日本の女性は、収入や雇用が不安定な男性と結婚したがらない。結婚できる男性の収入の分岐点をあらわす“300万の壁”“400万の壁”という言葉もあるように、少なくとも年収300万円以下の人と結婚しようという女性は少ない。昔は“最低1000万円”という女性も多くいましたが、もうそんなことは言っていられないことは理解している。それなのに、その300万、400万円の年収さえ、クリアできる男性は減っている。

日本の子供の独立心うんぬんを論じる前に、まず若い男性の収入が少ないということがすべての根源でしょう。収入が少なく、しかも非正規雇用が増えて、不安定。これでは、リスクを嫌う日本の若い女性が、結婚から遠ざかるのは当然です。

格差の壁が高くなったことと無関係ではないですね。昔は、若い頃は冒険をしても、いつか就職して出直すという選択もできた。一見、リスクフルな生き方も、ある程度ヘッジされていたのです。ところが今は、ひとたび非正規雇用の道を選んでしまえば、一生非正規雇用のまま。勝ち組と負け組の間の壁は、ますます厚くなり、安定する人はより安定し、不安定な人はより不安定になる。男女とも保守化するのは、当然のことですね。


大きな原因の3つに加えて、出会いの場が少なくなっているのもありそう。安定して「最低1000万円」の職場の男性と、安定した雇用と収入を求める女性が出会う場・きっかけは、まずない。
そのような職場にも、かつては派遣社員もいたが、経費削減で数が減っているし、何でもこなせるベテランでないと困るので、独身女性が少なくなっている。
社外での出会いは危険と隣り合わせ。自分がモテているのか、お金と会社・地位がモテているのかわからない。結婚した途端に「お小遣い3000円」と言い出しかねないし。

若者不在の若者論、20代が反論 その2

2011-11-13 12:17:45 | 日記
朝の続き。

「現在の日本社会では、多少なりともリーダーの素質がある人はほとんど、企業が吸い上げている。企業の採用システムが若者の行動を阻んでいる」(原田泰氏)

→「ある意味ではその通りです。しかしこの議論が当てはまるのは男性社会の話。あくまで『男性の若者』について。企業の採用システムから漏れた女性はこれまでも数多くいたのです。この10年で男性の非正規雇用者が増えてきたことで、それが『若年雇用問題』という社会問題として認知された。その意味で『若者』と『女性』は同じような立場になった、といえるのかもしれません」

企業の採用システムから女性は漏れがちだったし、採用後の「差別」も無くなってはいない。表向きは同権だけれども、給与や待遇に明らかな差は残っているから。
だから、企業外の社会では、「女性は元気」と言われてきたんだと思う。
じゃあ、男性は元気がなかったのかというと、そうでもなかったと思う。企業内で活躍する男性は多くいるし、超円高の厳しい環境下で日本企業がやっていけているのは「男性は元気」だから。

いま、「元気」ならば、男女を問わず、企業は吸い上げる。吸い上げられないのは男女を問わずとなれば、その集団を「若者」という言葉でひとくくりにしているんだろうなと思う。

そのことに加えて、企業外に飛び出す「若者」が少なくなっているように思う。企業に入ったけれども、思ったような働き方ができない、やるべきことが他にあるからといって飛び出す「若者」は少なくなかった。でも、いまは、そのように飛び出すにはリスクが大きすぎる。飛び出したからには元の安定した生活には戻れないし、下手をすれば、獲得したすべてを捨てることになりかねない。チャレンジできるけれども、再チャレンジはできない=一発勝負だから、仕方ない。
だから、企業外の「若者」に、リーダーの素質があり、かつ社会のことをよくわかり、自分が何をすべきなのかをわかっている人が少なくなっているような気がする。「若者」の集団のなかには、「リーダー」的な人はいるだろうし、その集団内ではそのように認知されていると思う。でも、社会全体を見渡したときに、どれだけの影響力を発揮できる人かと問われると、かなり厳しいと思う。いまの社会、グローバルに企業が競争している社会だし、政治もその方向に向かっているからね。

若者不在の若者論、20代が反論

2011-11-13 07:44:28 | 日記
日経新聞より。面白いと思ったことをメモ。その2。

若者不在の若者論、20代が反論
20代の社会学者、古市憲寿氏(26)の反論。
「現在の日本社会では、多少なりともリーダーの素質がある人はほとんど、企業が吸い上げている。企業の採用システムが若者の行動を阻んでいる」(原田泰氏)

→「ある意味ではその通りです。しかしこの議論が当てはまるのは男性社会の話。あくまで『男性の若者』について。企業の採用システムから漏れた女性はこれまでも数多くいたのです。この10年で男性の非正規雇用者が増えてきたことで、それが『若年雇用問題』という社会問題として認知された。その意味で『若者』と『女性』は同じような立場になった、といえるのかもしれません」


「震災後の若者の行動には、不満を誰かにぶつけるより、自分のできることをしよう、という機運を感じました」(東京都の男性 自然石さん、40代)

→「自分たちに格差社会の被害者であるという意識はない。むしろ、日本という国はなんて恵まれているんだとさえ思う。都市部の大学で増えている海外ボランティアサークルが象徴的だと思います。その意識は、なかなか自分たちの足元には向かわない。ほとんどが外国の、わかりやすい貧困に向いてしまう。だってカンボジアだったら150万円もあれば学校が建てられるし、多くの子どもたちを助けられるから。翻って日本では、何をすれば社会のためになるのかわからない。誰を倒して誰を懐柔すればいいのかわからない。攻撃するターゲットも見つけにくいし、解決すべき問題や手段もわかりにくい。東日本大震災は、ある意味そうした若い人たちの『何かをしたい』という気持ちに火をつけたのだと思います」


反論であるようで、反論でないような。でも、面白い。

採用面談をしているときに、「リーダーの素質がある人」は、まっさきに候補になる。いまは、「即戦力」でないと困るので、男女問わず。
アメリカの学生や社会と比較しても意味はないけど、リーダーの素質があって、社会に出て成功しようと思う学生が向かう先が、社会起業家か企業か、という違いがあるかも。アメリカの企業と日本の企業を同列で比較することもできないけど。日本企業の多くは、「社会への貢献」が社是となっている。社会に貢献し、社会から必要とされて、はじめて企業が存続できるという考え方。会社で働くことは、社会の誰かが欲しいとか、困っているとかいうことを受けとめ、それを充たすための商品やサービスを開発して届けること。その一連のサイクルを個人で何とかしようと頑張るよりも、企業で頑張るほうが、何十倍・何百倍も大きなスケールで実現できる。そう気づくことができる人材は、「社会的な企業」に向かうんだろうな、と思う。
個人が「海外のわかりやすい貧困」を「何とかしたい」と募金活動すること(自分のできること)もできるけど、企業に入って、その国・地方で求められる商品やサービスを企画して、現地に大きな雇用を創出することもできるんじゃないかな。
企業としてやるからには、その国・地方で求められるものをきちんと把握しなければならない。ビジネスとして成り立たせないことには持続できない。そう考えると、やらなければならないことは多く出てくるし、自社だけでできることは限られているから、いろいろなところを回って手を組まなければならない。手を組む相手を説得するには、ビジネスプラン以上に、なぜ、そのビジネスをするのかというミッションとやりとげたいという熱意が大事。そう捉え直すと、企業で働いてやりたいことを実現するのは面白いと思うんだけどね。

これは、反論の反論でもない。単なる感想だけど。