かえるところ

田舎のおうちで何をしよう。ひとまず家族でリフォームし、私は野菜を作ってみよう。

2006-04-11 22:56:38 | つれづれ
雷なってます…。
春の嵐ですね…。

新しい気持ちに
燃えている
男友達が
お花を習いたいと言い出しました。
人の心を和ませることに
挑戦したいのだそう。

どこか
いいところを教えてと
いうことなので、
知り合いのお店へ
http://www.piare.jp/
一緒にお茶飲みがてら、
偵察に。

めでたく
来月から通うことになりました。
一緒に習えたら
一番いいのだけれど、
私は独学でがんばるわ


その後

2006-04-11 22:56:28 | つれづれ
大ばあちゃんは
日増しに元気になってきて、
自分で起き上がったり
子供たちに
冗談を言ったりするように
なりました。

お昼は
ヘルパーさんが来たり、
ばあばあや
親戚の人が交代で
お世話します。
夜も
家政婦さんに来ていただくことになり、
我が家の生活ペースも
落ち着いてきた感じです。

そのうち
庭へ散歩に出られる日が
来るのではないかと
思われます

小学生

2006-04-07 22:29:56 | こども
入学二日目。
もう自信たっぷりに
帰って来て、
ごはんをばくばくほお張って、
その割には
私にみゃあみゃあしがみつき、
有り余る興奮を持て余している長男。

近所の公園から
子供たちの歓声が聞こえたので
遊びに行っておいでというと、
いつもならお母さんも一緒に来てというのに、
即座に答えた。
うん、行って来る。
おやつの時間に呼びに来て!

私はゴロゴロしながら
ん~、と生返事をして
わざとぐうたらした振りをして、
部屋を出て行く息子を見送った。

バタンと玄関の戸が閉まる音を聴いた瞬間
私は飛び起きて、
窓を開け、
ベランダから外を眺めた。

初めて一人で遊びに出かけるその姿は
ずいぶん慣れたふうで、
ワンブロック向こうに見える公園のブランコに
吸い込まれるように乗り込んだ。
すかさず周りの子供たちが
何年生?
名前は?
そしてぶっきらぼうに答える声が聞こえる。
ブランコは
どんどん高くなっていき、
それをこぐ息子の
晴れ晴れとした背中をじっと見ていた。

そのうちに、
窓の桟に片足を、
ベランダの柵にもう片足をかけ、
とんでもない格好で
のぞき見している自分に気づいて
窓から部屋へ入ることにした。







心が動く

2006-04-07 22:15:47 | こども
人は、
私のことを
感動が薄いとか
いつも冷静とか
言うけれど、
確かに子供のことに関して、
あまりうるうると
感極まったことがない。

出産のときなどは
自分のことしか考えられなかったので
生まれてきた長男が
仮死状態だったことなど、
そうそう大変なことだとの
実感さえも湧かなかった。

園の行事などでも
泣いた事がない。

長男が事故を起こして
歯が折れても、
おでこをぶつけて
9針縫っても、
なんともなかった。

だけど一度だけ、
はらはらと涙が出たことがある。
長男を保育園に預けることになったとき、
次男を抱っこして、
長男と一緒に母子だけの
お別れ遠足へ出かけたときのこと。
着いた先で
楽しそうに遊ぶわが子を見て、
そう、
心が開放されてしまった。

そして今日。
六年生に連れられて
自宅近くまで下校してきた
子供の誇らしげな顔を見て、
久々に心が吹っ飛びかけた。
だけど、
近所の子供たちもたくさんいたので、
はじけてしまいはしなかった。

なんてそんな
クールなことを
言ってみたりもするけれど、
涙のツボみたいなものがあって、
それを思い出したら
必ず自動的に泣ける、
というネタは
いくつか持っているのです。
だけど
その持ちネタは
乱用すると毒になりそうで、
持ちぐされとなることを
願っているのです。


生と死と

2006-04-07 21:55:48 | つれづれ
昨日は息子の入学式。
目に見えるもの
聞こえるものすべて
逃がすものかと、
希望と期待で胸がいっぱい。
ついでに、
わくわくするあまり、
鼻もちょっぴりふくらんでたね

同じ日の昨日、
今まで一人でいた
大ばあちゃんが
この家に来ました。
85歳になります。
そろそろ
天が恋しくなる年頃で、
それはあまりに
さみしいと、
みんなで一緒に
暮らすことになりました。

今では遠くなってしまった
過去の記憶と
一日に何度も訪れる恐怖と、
その合間に感謝と、
寝ていながらも
その心は忙しく働いて。

興奮気味に帰って来た
新一年生は、
大ばあちゃんに
ただいまのあいさつへ。
きゅっと結ばれた
口元がゆるんで、
ベットの中から
手を差し伸べて
二人は固く握手をしました。

生活するって
こういうことなのかな。
生まれたり
成長したり、
老いたり
死を考えたり、
そんな営みに組み込まれていると
感じることの幸せ。

こんな類いの
幸せは
私には必要だった、
または必要なんだと思います。

ちなみに
大ばあちゃん、
少し元気になった今日、
口を開いて
言いました。

ワタシ、
マダマダシナヘンデー。