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男ともだち

2010-06-05 | 映画
昨日、職場の元同僚と飲んだ。

もともと私のホームの介護スタッフだったが、事情があって本社に異動した男性である。

以前から細身だったが、また少し痩せたように思えた。

話を聞くと、本社での慣れない仕事にかなり苦労をしているらしい。

まだ乳飲み子のお子さんのことを語るときだけは、とても嬉しそうな笑顔を見せた。

泣き言を言うタイプではないので多くは語らなかったが、本当に辛そうだった…。





今日は休みだった。

珍しく十時半くらいまでフトンの上でぐったりしていた。

前夜の酒が、若い友人の表情と共に残っていたのかもしれない。





昼前にマッサージに行き、念入りに首の周辺を揉んでもらってから、映画を観た。

『ミスティックリバー』である。

クリント・イーストウッドの監督作で、ショーン・ペンがアカデミー賞主演男優賞を、ティム・ロビンスが助演男優賞を受賞した作品である。

半年くらい前に一度観た、いわゆる「二度見」の映画である。

一度目のときは「暗い・重い作品」という印象が残った。

でも、今日の気分は、その「重さ」を求めていたのだ。

それは、「当たり」であった。





ボストンの下町。

三人の少年が路上で遊んでいると、二人の中年男が車で通りかかる。

手錠とバッヂを持っているのを見て、少年たちは(警官だ)と思った。

そして、「道路にイタズラ書きをするのは犯罪だ」と脅しつけると、三人のうち家が一番遠くにある少年を車に載せていってしまう。

ところが、彼らは警官ではなかった…。

25年後。三人は成人し、それぞれの人生を歩んでいた。

ところが、そのうちの一人の長女が姿を消したことから、三人は悲劇的に関わりあう。





クリント・イーストウッドは映画の葛藤を作るとき、しばしば「エゲツナイなア」と感じるほどエグイ設定を使う。

この作品にもその傾向はある。

でも、それを遥かに越える重い感動を、今日は、感じた。





「自分はなぜ、今、ここでこうしているのだろう?」という運命の不思議、無情。

私はしばしばそれを考える。

『ミスティックリバー』は、その「答えのない問い」を、そのまま一級の映画作品にしてくれていた。

しかも、アカデミー賞を受賞した二人はもちろん、もう一人の「三人の少年」を演ずるケヴィン・ベーコンも素晴らしい。

最近のアメリカ映画は全体に「お子様化」しているけれど、俳優の質という点ではいつも感服してしまう。






それと、「二度見」で、「女性の怖さ」も存分に描かれていたのだな…ということも発見した。

男は、泣きながら殺し合う。

女は、優しい言葉を掛けながら「より幸せになる」ために潰しあう。

それが本能なのか。

いやあ、コワイコワイ。

でも、「重苦しさの浄化作用」を堪能した一本でした。








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