食いしん坊ケアマネ の おたすけ長屋!

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車輪の進歩

2009-07-25 | その他
私のホームでは、移動状態に応じて「自送」「護送」「担送」とご入居者を三種に分けています。杖を使っているにしても、ご自分で歩行している方を「自送」、車椅子を使われている方を「護送」、ストレッチャー式車椅子でベッドに寝たままのようになって移動する方が「担送」です。
(もちろんこれはは部外秘の「社内語」ですが)
現在、ホームに「担送」の方はいらっしゃいませんが、「護送」と「自送」の人数は、ほぼ肩を並べました。やはり歳月が経つと、車椅子の方は増えます。



ふた昔以上前に、NHKで鶴田浩二が主演して山田太一が脚本を書いた『男たちの旅路』というテレビドラマがありました。
十五、六年前、私は福祉の資格をとるために夜間の学校に通っていましたが、そのときこのシリーズの代表作『車輪の一歩』を授業で見せられました。
…切なかったです。

脊髄損傷をした少女(斉藤とも子)が母とふたり暮らしをしている。同じく車椅子の6人の青年たちが、「外に出ようよ!」と励ます。
初めはためらっていた少女も、意を決して外出する。
少女は、青年たちと楽しいときを過ごす。しかし、踏み切りを渡ろうとして、線路の轍に車輪を挟み込んでしまった。すんでのところで彼女は助けられたが、恐怖の余り失禁をしてしまう…。

その後彼女は引きこもるが、自分の意思で立ち直って、今度は一人で外出する…というお話です。
秀作だし、山田太一ですから単純な話にはせず心理のアヤを書き込んでいるのですが、それでも私はかなり凹んでしまったのです。

社会をもっとバリアフリー化すれば、障害者の心の障壁もずっと低くなる。この作品の「表の意味」はそんなところでしょう。
でも、障害、老い、美醜、出身地…などによる差別は、理屈や制度の整備によって整地仕切れない「オリ」が、どうしても残るはずだ。
ある種の落語家の言う、業(ごう)でしょうか。
その辛さは、こんな「優しさ」「個人的勇気」だけではどうにも出来ない。
そのころの私は、そんな気持ちが強すぎて、何とも切なくなってしまいました。



基本的に、今でもそれは変わりません。
しかしまた、用具の進歩が使用者イメージや心象までも変えることを知りました。



今、私の手元には日本の大手車椅子メーカーである「マツナガ」と「カワムラ」のカタログがありますが、その商品の多彩でファッショナブルなこと!
この三年でも、車椅子は急速に軽量化・コンパクト化・多機能化しています。

高齢社会になって、福祉用具の市場はどんどん拡大されています。そうなると、優秀な技術者やデザイナーも参入して来るでしょう。
また、車椅子を使う人たちが増えるにつれ、
「もっと便利に」「もっとカワイイやつを」
という、消費者としての当然の欲求が出てきます。
便利でカッコイイ車椅子を使ってみると、
「なぜ障害者・高齢者向きはジミにと考えていたのだろう。もっと好きでいいじゃん!」
という気分が一般化してくる。

この循環はなかなか良いと思うのです。
良い車椅子は介助する側、される側双方の負担を減らします。
そして、どうせ使うのなら「自慢の愛車」にした方がいいと思うのです。



いつか「私の車椅子トヨタだよ」「彼はメルセデスに乗ってる!自走式の!」なんて日が来たら面白いだろうなあ。







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