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マリア様がいなかったら

2009-08-15 | 教会
今日は聖母マリアの祝日です。


カトリック教会では8月15日を「聖母被昇天の日」としています。これはマリア様が亡くなるときに魂と肉体が天に上げられたことを記念した祝日です。

カトリックでは聖母マリアを神格化していて、これがキリスト教の他宗派からは批判されたりします。
でも、私にとっては、マリア信仰がなかったらキリスト教はとても魅力のないものになってしまいます。



クリスチャンではないけどマリア様は大好き…という女性を、私は何人か知っています。



三十代の始めのころ、私はカウンセリングの学校に通っていました。
ある年、ゴールデンウイークに泊りがけの合宿がありました。それはエンカウンター合宿で、平たく言えば「人の話を徹底的に聴く」ための学びでした。

その合宿の参加者に、五十歳くらいの看護婦さんがいました。
彼女は秋田から来ていて、何かと私に親身にしてくれましたが、合宿の最後、お互いの住所を交換しました。

しばらくすると、彼女から分厚い封書が届いたのです。
そこには彼女の過去とマリア様への思慕が書かれていました。



彼女は中国地方の出身でしたが、高校を卒業すると横浜にある看護学校に入学しました。でもそれは、実家から逃げるための選択だった…というのです。
彼女の父親はとても暴力的な人で、彼女や彼女のお母さんに暴言や暴力を働き続けていました。そんな父親から離れたい一心で、生活費や学費のあてもつかないまま上京したのです。

そこはカトリック系の全寮制の学校でした。彼女自身はクリスチャンではなく洗礼を受ける決心もつきませんでしたが、あるシスターから聖母マリアの魅力を教えられて、その虜になりました。

彼女は実家から脱出できたことを喜んでいる反面、優しかった母親を見捨てた…という罪悪感にいつも囚われていました。
そんな彼女にとって、マリア様を慕い敬うことが、お母さんに対する贖罪に繋がったのです。



彼女は手紙の中に、マリア様のカードを入れてくれていました。カードの裏には、
「ご両親を大切にして下さい」
というようなことが書かれていました。
そのころの私はキリスト教への知識も関心もありませんでした。それに家族間の葛藤もほとんどなかったので、彼女の手紙の本意が理解できたとはとうてい言えませんでした。

でもそのカードには何となく有難みを感じて、しばらくはお守りのように持ち歩いていました。



母性への信仰は、人間にとってごく自然なものだと思います。特に日本人には「父なる神」というテーゼは実感としてわかりにくく、それが一神教への馴染みにくさへも繋がっていると感じます。

私自身も、マリア様のイメージは観音菩薩のイメージとほとんど重なっています。それは、「全てを赦し、受け入れてくれる母」というイメージです。



もしマリア様がいなかったら、私はクリスチャンになることも教会に通い続けることもなかったでしょう。
そして、生きることが今よりずっとつらいものになっていたでしょう。





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