食いしん坊ケアマネ の おたすけ長屋!

困ったら、悲しかったら、ツラかったら、
「長屋付き合い」を始めようよ!
現代版人情長屋に寄っといで!

ラザロと宴席

2010-09-26 | 教会
今日はお休みで、五週間ぶりにミサに与ることができました。





ミサに与ると、「ご聖体」をいただくことができます。

「ご聖体」とは直径三センチくらいのウエハースのような無発酵パンです。

もちろんそういう原料や製造方法の話とは別に、信徒にとっては「キリストの体」です。

私は信仰に於いては「物に依存する」ほうなので、ミサに与って聖体をいただくこと(文字通り「食べる」のですが)の意味は、とても大きい。

ことに、前回の聖体拝領から五週間たっていましたので、そろそろ体内の「聖体力」が弱まっていたところでした。

だから、今日ミサに与り、また「聖体力」が強まった気がして、本当に良かったと思いました。





さて、今日のミサでは、「貧乏人と金持ち」のたとえ話が読まれました。

ラザロという体じゅうができものだらけのホームレスのような人と、お金持ちが死後の世界(黄泉)で出会う…というお話です。

私はほとんどの場合、聖書朗読も神父さんのお話もボーッと聴いているダメ信徒です。

だけど、今日は、少しだけ違いました。

ひとつは、昨日のブログにも書きましたが、鼻の頭にニキビができてバンソウコウを貼って、ミサに与ったためです。

なので、ラザロの身上が、やけに生々しく感じられたのでした。

もうひとつは、やはり昨夜の「中年オトコ飲み会」の感覚が残っていたのです…。





「これから、どうしようか?」

酒席で、私は、ふとそんなことを友人たちに尋ねました。

「どうするたって…、まあ、とにかく働いていくしかないですよねエ」

当然、そんなところになります。

私の言った「これから」には、自分自身だけでなく親の問題もあるのですが、それも、実際になってみなければ判らない…。

似たような境遇ですから、仕事やお金や健康の不安に関しては、多くを語らなくてもわが身に照らし合わせて、共感できたりする。

まあ、大変だけれど、とにかく当面やっていくしかないんだよなア…。





そんなことを話した次の日に、今日のたとえ話を聞いたのです。

私たちはことさらに貧乏というほどではないにせよ、「金持ち派」と「ラザロ派」に分けたら、ラザロのほうでしょう。

そこで、いつもよりちょっと、たとえ話が胸に沁みたことでした。





でも、庶民を自覚している私たちも、「黄泉に行ってからの宴席を楽しみにする」ほど、世の中を諦めているワケではありませんよ。

まだまだ、楽しいことをいろいろしよう。

もっと色気のある宴席だって開こうじゃないか…なんてことだって考えたのでした。














にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへにほんブログ村




















コメントを投稿