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イースターエッグ共同体

2010-04-04 | 教会
今日、キリストは復活されました。





私は、復活祭のパーティの後、イースターエッグを持って、職場まで自転車で駈けていきました。

イースターを知らない人でも、イースターエッグなら知っています。

街のお菓子屋さんでは、イースターエッグを模したチョコレートなども売っています。

しかし私は、司祭によって祝別された、ちゃんとしたイースターエッグを、私の休みに働いている同僚に持って行きたいのです。

「これを食べたら幸せになれるんだよ」

私がそういうと、同僚の一人が訊きました。

「キリスト教の幸せと私たちが考える幸せって、同じものかしら」

私は一瞬詰まりましたが、

「同じだよ。健康で仲良く、穏やかに暮せるってことさ」

と、答えました。





カトリックでは、必ずミサの終わりに、ウエハースのような薄いパンを司祭から頂く「聖体拝領」があります。

聖体拝領で頂くパンは、復活されたイエスの体の象徴です。

司祭が「キリストの体」と言ってパンを持つと、信徒は「アーメン」と応え、パンを頂くのです。

そして、聖壇と聖櫃に一礼し、パンを口に入れる。

自分の信仰している方の「肉体」が体に入っていくのですから、これほどありがたいことはありません。

さて、今日の聖体拝領は、いつもは司祭と神学生の二人でやるところを、一般信徒の奉仕者も加わり三人でやっているのですが、ずいぶん時間がかかる。

と思って、後ろを振り向いて、驚きました。

座りきれない人が、聖堂の後ろに立って参加していることは、今までもしばしばありました。

でも今日は、聖堂内に入りきれない人たちが何十人もいて、扉を開けた外から、聖体拝領を受けようと列をなしていたのです。





ミサの後、子供たちが大きなプラスチックのバスケットに入ったイースターエッグを配っていました。

基本的には「ひとり一個」と決っているのですが、教会の子供たちはおしなべて素直です。

「友達にもあげたいから二つくれる?」

と言うと、「はい」と笑顔で二つ渡してくれます。

他の子のところにも行って、また二つもらう。

別の子がまた笑顔で一個くれたので、私は大漁五つの卵を、あらかじめ用意していたパックに入れました。





さて、「キリスト教の幸せ」は、そうでない人たちとは違うのでしょうか?

違うはずがありません。

健康であること、良い人間関係にあること、経済的に安定していることを、幸せと呼んでいます。

それは、ほかの信仰と全く同じことだと思います。

そして、健康を損ねている人、憎しみの中で苦しんでいる人、生活苦にある人こそ、神(でも仏でも良いですが)、決して見捨てず、救ってくださる。

そこも、全く共通していると思います。

「こうしないと不幸になる」という脅しはありません。

もし「脅し」があったら、それは信仰ではなく詐欺集団ですので、疑ってかかって良いと思います。





カトリックでは、個々の信仰も大事ですが、教会という「共同体」をそれ以上大事なものだ…と考えます。

教会は「我が家」であり、そこで祈る信徒は「家族」なのです。

私がカトリックで洗礼を受けたのはほとんど偶然ですが、「何より共同体が大事」という信仰を得ることが出来たのは、本当にお恵みだ…と感じています。

今の日本は、体を悪くしたり仕事をしくじったりしたら、真っ逆さまに不幸に落ち込んでしまいます。

でも、頼りになる共同体に属していれば、そこにいくつものクッションが出来るからです。





今、体調を崩している友人がいます。

ここで何かを出来なければ、私たちは「まがいもの」ということになります。

何が出来るかは分りません。

ひとつだけ思うのは、私たちが「彼の共同体」になる努力を続けることです。











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