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開かれた家族のために

2010-05-30 | 教会
今日、ミサに与ったあと、教会の「地区別家庭会」というのに、初めて参加してきました。





二十名ほどの参加者のうち、男性は私を入れて二人です。

そのご婦人たちの年齢構成は、三十代一人、四十代一人、五十代六十代各二人、あとはそれ以上の方々…という印象です。


会が始まってほどなくして、自己紹介が始まりました。





教会に縁のない方に、こういった集まりにありがちな「自己紹介の二大傾向」をお知らせしますと(あくまで愚見ですが)、

・さまざまなつらく苦しい目に合ってきたが、信仰の力によってそれを乗り越え、恵みに出来ている。

・自分は古い信徒で、昔から色んな神父さんと交流がある。

というものです。

私はとても緊張しながらも、「今日もそうなるかな」と、内心案じてもいたのです。





ところが、かなり違った趣きで展開していきました。

老いによる不自由と孤独、失業した息子と生きる苦しさ、ペットロス後の途切れることのない悲しみ…。

そういった「今、現在のナマのつらさ」が、率直に口にされたのです。

でも、「これが今の教会なんだよな」と思いました。





実は、以前から不思議で仕方がなかったのです。

教会には苦しい思いをしている人が集まっているはずなのに、「公的な場」では決してそれが表現されることがない。

あたかも、それを口にすることが「信仰の薄さ」や「出来の悪さ」を表すかのように。

ところが、今日の地区家庭会には、そんな閉塞的な繋がりを打ち破る「芽」を感じたのです。





今の日本は、世界的な不況のウズに巻き込まれながら未曾有の高齢社会に突入している、ダブルパンチの状態です。

多くの人々が「どうしてよいか分らない苦しみ」に見舞われるのは当然なのです。

教会などは、そういった思いを抱える人の「とりあえずの居場所」にならなければ、全くもって意味がありません。

若い世代がカルト宗教に入ったり、ただひたすら自室に引きこもったりするのは、伝統宗教に力がない現われだと思うのです。





会が終ったあと、私と、同年輩の男性は、主催した女性から声を掛けられました。

「これからもよろしく。あなたたちは、『期待の若手』ですから…」

若手…。

でも、期待されるのは悪い気持ちではありません。

それに「現代のお助け長屋を作っていくんだ」という私です。

この「えん」を大切にしよう…と、思ったことでした。













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