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ミサと焼き鳥

2010-01-24 | 教会
今日は休みだったので、久しぶりに日曜のミサに与りました。



成城教会は相変わらずの満員で、椅子に座りきれず立ってミサに与る方もおおぜいいました。

この教会で良いのは、ミサに集う会衆の老若男女のバランスがとれているところです。

多くの教会では信徒の高齢化が急速に進んでいます。

ミサに与っても70代以上の方ばかり…というのでは、新しく来た青年も中年も、なかなか
「また来てみよう」という気にならないでしょう。

ただ漫然と勧誘しているだけでは、決してこんなバランスよく定着するハズもないですから、運営している信徒さんたちの力量が高いのでしょう。



そして、もうひとつ良いところは、教会を仕切っている「名家」の圧力が一見ぜんぜん伝わってこないことです。

カトリック教会の内情を知らない人には「??」と感じる表現でしょうが、どの教会にも、その教会をカゲで仕切っている「名家」があり、その「名家」は、ほとんどの場合、地域の名士でもあるようです。

ことに世田谷、目黒、渋谷といった高級住宅街が多い教会には、大企業の幹部や大学教授、果ては国会議員などが信徒にたくさんいらっしゃいます。

そんなお偉い方々に隠然と目を光らされた日には、私らカネも地位もない漂流民は、おっかなくてミサに与る気になんかなれませんよねエ。

「天下御免のセレブ=成城」ですから、お金も名誉もたくさんもった出来る信徒さんがいっぱいいるでしょうが、「オールカマー」的な気風が確かにあり、その風通しの良さが、ミサの光景にも反映しているのでしょう。



さて、今日の説教では、ルカ福音書の初めの部分が読まれました。

ルカの1章3節は、こんな一文です。

<…そこで、敬愛するテオフィロさま、私もすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。>

初めてこれを読んだとき「お、太宰治みたいじゃん!」と、親近感を覚えたものです。

もちろん『駆け込み訴え』の冒頭を連想したのですが、そんなことは恥ずかしくていえませんから黙っていましたが、実直で素朴なマタイ、マルコも良いけれど、ちょっとおしゃべりなルカ書や「魂の」ヨハネ書がなかったら、私にとって新約はずっと縁遠いものになっていたでしょう。



それから、4章の「イエスの宣言」も読まれました。

<…主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、
 目の見えない人に視力の回復を告げ、
 圧迫されている人を自由にし、
 主の恵みの年を告げるためである。… > 

これは、故郷ナザレの会堂でイエスが集まった人々を前に語った言葉でした。
でも、これは旧約の「ナザレ書」の一節です。イエスはその部分を朗読したのです。

人々は、黙ってイエスに目を注いでました。すると、イエスは言いました。

<…この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。> 

いやあ、カッコいいですねエ。
「今日、実現した」ということは、何百年も前に書かれながら、いっこうに奇跡も解放も実現してこなかったのです。

ところが、「私の言葉を耳にした今、実現したんだよ」と、言うのです。

これこそメシア。いやあ、こんな人が近くにいるといいな…。

ここのところ、仕事が忙しくなって心が殺伐とし、ブログの更新もままならなかった私には、なかなか良いミサとなりました。

明日からも大変だけど、何とかやって行こうか。



それと、今夜、友人と成城で焼き鳥を食べに行くのです。

これも、小さいけれど、大切な愉しみ。

やっぱり人生には、お酒と美味しいツマミがなけりゃ、ね。



どうも、お粗末さまでした。






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