食いしん坊ケアマネ の おたすけ長屋!

困ったら、悲しかったら、ツラかったら、
「長屋付き合い」を始めようよ!
現代版人情長屋に寄っといで!

狩猟映画と農耕映画

2009-08-25 | 映画
昨日に続いて映画の話を少し。


実は、『ぐるりのこと』を借りたときに、1998年のアメリカ映画『アメリカンヒストリーX』も一緒に借りたのです。

エドワード・ノートン主演のこの映画はそんなに大ヒットしたわけではありませんから、ご存知ない方も多いでしょう。
スキンヘッドにアゴヒゲ、胸に大きくナチスの「カギ十字」の刺青をした若い男の姿…といえば、ポスターとかで見て覚えている方もいるかも知れません。

私はこの映画を、ネオナチに身を投じて悲劇的な最期を遂げる暴力的な青年の話…と漠然と思ってました。
しかし実際は(確かに悲劇的ですが)、それほど暴力シーンに充ちているワケではありませんでした。
エドワード・ノートン演じる青年デレクは、少年のときに消防士の父親が黒人に殺されたのを恨みに抱き、ネオナチグループに入ると、すぐに頭角を現します。
しかし、殺人を犯して投獄されたデレクは、刑務所の凄まじい三年間で身をもって社会のヒズミを知ります。そして出所後、すでにネオナチに傾倒していた弟のダニーを「更正」させるべく体を張るのですが…。

暴力的描写はともかく、全編が葛藤に満ち溢れている作品です。
人種間の葛藤、階層による葛藤、宗教の違いによる葛藤、親子・兄弟間の葛藤…。
そう考えると、そもそもアメリカは葛藤のルツボなのですね。



これほどガチガチとぶつかり合うドラマを日本で作ったら、何ともウソくさくて、どこかお笑いっぽくなってしまうでしょう。
劇映画ならともかく、現代劇で過剰にぶつかるドラマを作ろうとすれば、日本ではどうしても「ヤクザ」と呼ばれる人に登場してもらうことが多いようです。
今、多少話題になっている「任侠ヘルパー」なんて典型ですね。職場の同僚たちは「馬鹿らしくて見てられないよ」と言いながら、けっこう見ているようですが。

『アメリカンヒストリーX』と『ぐるりのこと』を続けて観て、改めて彼我の「心の風土」の違いを痛感したのです。
日本人には『アメリカンヒストリーX』のようなギリシャ悲劇を思わせる骨太のドラマは、なかなか作れません。でもアメリカ人に『ぐるりのこと』のような、日常の曖昧なニュアンスを掬い上げながら「確かな実在」を描く作品を求めても難しいでしょう。
お互いに、そういう体質になってないからです。

ようするに、「これ以上アメリカに盲従するのはよそうよ、ボクら和を尊ぶ農耕人にはピッタリこないし、無理をすると心が壊れるから!」ということを言いたいのでした。
クリスチャンの私がこんなことを言うのはヘンだ…と思われるかも知れませんが、日本人は日本人にあったキリスト教信仰があると思うのです。世界宗教とはそういうものだと思います。
そもそもイエス・キリストの生地は今で言えばアジアだろうし…。



そこで!「おたすけ長屋」魂の登場です。
むやみに競争原理などを信奉しないで、現代に合った「支え合い共同体」を造っていこうよ、多少は関係が息苦しいかもしれないけれどね…。
昨日今日と、二本の映画を語ってみて、本ブログの主旨に改めて行き着いたのでした。



どうも、ご退屈さまでした。



にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村










コメントを投稿