もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

郵便受けの隙間から侵入してくる

2023年05月30日 12時09分17秒 | タイ歌謡
 尾籠な話、というと大体「申し訳ない」と続く。末筆ながらと言うと決まって、ご多幸やご健勝をお祈りしちゃうのがセットなのと同じだ。天空の楽園の弥栄を言祝いだりはしない。それは末筆ではなくマチュピチュだからだ。尾籠な話は常に申し訳なさと肩を組んで出現する。尾籠な話に感心して、心の支えになりました、というようなことは、まずない。我が家の家訓にします、ということもない。
 以下、尾籠な話である、というのを英語混じりだと「尾籠な話as below」と言えばいいんだろうが、そういう言い方は寡聞にしてI don’t knowである。気持ち悪い言い方で申し訳ない。帰国子女などは英語混じりで話したりするが、こういう言い回しではない。
「もう! 信号が青になってから渡ってよね。Othewise 死んじゃうよぉ」みたいな言い方だろうか。日本語の上手い英語話者が「なんていうかな。It couldn’t be helped huh?って感じでしょう」と言うのを聞いたこともあって、あー、それは確かに日本語にし難いよな、と思ったことはある。
 なん種類かの言語が混ざるってのは聞いていて気持ち悪いのはわかるが、おれもヨメや息子と喋っているときは日本語とタイ語が混ざることが多い。ヘタすると英語も混ざって3カ国語のチャンポンになることもある。だって、そのほうがラクなんだもん。

 前置きが長くなったが、尾籠な話である。そういうのが苦手な人は、この話が終わったら一行空けるから、そこまで飛ばして読むと良い。どうせどこを飛ばしても大事な事など書いてないので、好きなだけ飛ばせばいい。
 通院していて、診察のときに赤血球が少ないとか赤血球そのものも小さいとか言われていて、だから鉄剤を出しましょう、ということになった。「びっくりしますよ。真っ黒なうんこが出るから」と医師が言っていて、あー、そうかい、くらいにしか思ってなかったが、想像の遙か上を行く黒さで、予告通り驚いた。漆黒なんだもん。イカスミを食った翌日などの比ではない。月の裏側よりも黒い。街灯のない深夜の大雪山麓で野糞をしたら、もう絶対に見つけられない黒さだ。そこにカラスを配置してもいい。しかし何で黒いんだ。第一酸化鉄ってこと? 第二酸化鉄なら赤いだろう。でも体温くらいの温度でも第一酸化鉄ができるってのが解せない。が、黒いものはしょうがない。
「どうでした?」医師に訊かれた。「鉄剤を処方して赤血球も増えてるけれど、体調は良くなりましたか」
 あー。体調が良くなったかどうかはわかんないけど、ホントにうんこが真っ黒でビックリですよ。
「そ、そんなに黒かった?」え? そっちなの? 体調を訊いたんだけどな、と思っているのはわかったが、そんなことよりも衝撃的に黒かったんだもん。うんこが。
 うん。そこだけ夜かと思ったよね。暗闇かと。目と鼻をつけたら黒猫かってくらいに黒い。茄子のヘタを付けても違和感ないよね。あんなに黒いんだから、検便の時は磁石にくっつけて採取できるんじゃないかな。
「ぶわっはっはっは。磁石に!」
 うん。引き寄せられるよね、鉄分で。何なら通電するんじゃない?
「はははは。しないでしょ」
 いや。塩分摂ってるし、いけるね、あれは。
「塩分! 塩分!」
 おれの診察は、だいたいこんな感じだ。

 一行空けたが、また新しく尾籠な話を思い出したのでイヤな方は、さらにまた一行空くまで飛ばしていただきたい。
 タイ人は、わりと平気でうんこの話をする。まあそれでも、うんこと言うとコドモが笑うし、食事どきなどはそういう話題を避けるから、いちおう尾籠という感覚はあるようだ。
 と、ここまで書いて中断したら、もう何の話を書こうとしたのか忘れてしまった。老人か。そうだ。老人だった。
 えーとね、思い出せない。代わりに、うちの奥さんが初めて花林糖を見たときのことが蘇ってきた。黒糖の花林糖を見たとたん、座っていたのに瞬時に半歩下がって「……!」と目を見張った。すべての判断が停止して、かろうじて視線だけをおれに向けた。助けでも求めるように。だよな。初見だと、うんこにしか見えないもんね。
 これはね、かりんとうと言って、お菓子なんだよ、と、おれが一つ摘まんでポリポリと食べると、それを凝視するうちに状況の理解が進んだらしく、くつくつと笑いだした。
「日本人って、みんなで笑いながらこれを食べるのね」
 いや、ちがう。これは普通の菓子だ。誰も笑ったりしないよ。
「ラ? せんべいみたいに?」
 うん。昔からの普通のお菓子だよ。
「パーティーなんかで冗談で食べるのじゃないの?」
 そんなことない。ธรรมดาธรรมดา(チョー普通)だよ。誰でも子供の頃から当然のように見てるから、ヘンだと思わない。もしかして、อึ(うんこ)みたいだと思った?
「思いました」
 普通の日本人なら、それは思わない。でも、冷静に考えてみると、あれはうんこに似せて作ったとしか思えない。もっと別な形にするのは難しくなかったと思うんだが。
 冗談グッズではないと納得はしたが、積極的に食べたいとは思わないようだ。「もうไม่ต้องซื้อก็ได้(買わなくても結構です)」と言った。タイ人がก็ได้(~でも良い)と言うときは「お願いだから~しないでちょうだい」の婉曲表現だから、見たくもないってことか。だから、うちの息子は花林糖を見たことがないんじゃないかな。

 知人と相撲中継を観ていて、舞の海秀平の話になった。もうすっかり解説者として定着した感がある。北の富士勝昭さんとの掛け合いの解説の時が楽しかったのに、北の富士さんは病気療養中で現在お休み中だ。つまらない。
「舞の海って、相撲はチョコマカしてて好きじゃなかったけど」知人は言う。「解説はいいよね。わかりやすい」
 ああ。舞の海秀平。本名は、シリコン埋め太郎っていうんだよね。
「あー! 頭にね。あったあった。いや、でも、そんな名前のわけねぇわ」
 だけど、あの手術のお陰で、体内で溶けたシリコンが身体に回って関節の動きが良くなってのチョコマカでしょ。
「え。あれ、そうだったの?」
 うん。シリコンで滑舌も良くなったから解説者になれたんだよね。あと汗にもシリコンが含まれてて滑りが良くなってるから対戦相手が捕まえられないのね。つるっ、と逃げちゃう。
「鰻みたいに」
 そう。鰻みたいに。だから、どんなドアでも少しの隙間があったら、そこからするっと入って来ちゃう。
「油断なんねぇな。おい」
 まあ隙間のないドアでも、郵便受けから入って来ちゃうんだけどね。
「妖怪じゃん。そういう相撲取りだったの?」
 うん。気がついたら背後に回ってる。するっと。それから水も弾くから傘が要らない。ていうか服を着ててもすぐ脱げ落ちちゃうから裸で、もう力士くらいしか仕事がない。あと、ちゃんこの早食い世界一だよ。噛まずにスルスル飲み込んじゃう。
「シリコンだめじゃん」
 うーん。でも悪いことばっかりでもなくて、交通費がかからない。
「なんで」
 走ったり歩いたりしなくても、つーっ、と滑って行く。電車よりも速かったというね。
「いや。いうね、じゃなくて」
 巡業先に一番乗りだよね。野球でもバントして走ったら一塁二塁越えて三塁まで滑り込んだっていうし。
「ホームまでは」
 行かない。バントでホームまで行くとアウトってルールがあるんだよ。
「うわぁー……。ウソしか言ってねぇ」

 そんな話をして数日経って相撲中継をリアルタイムなライヴの1倍速で見るともなく見ると、解説が舞の海秀平で、なんかエラソーに解説なんか垂れていやがって、でも、なんか普通だ。
 このひと、普通だ。
 シリコンでヌメヌメしてる感がゼロだ。ちょっとの隙間から忍び込んで来る油断ならなさも薄い。
 なんだよ。ふざけやがって。こいつ、普通じゃん。と、思った。
 昔はチョコマカしてたくせに。すばしっこかったくせに。
 今思うと、それは言いがかりとしか言えないんだが、なんかガッカリした。たぶんシリコンを使い果たしたんだろう。北の富士さんには元気になって、早く復帰してくださいと願うばかりだ。北の富士さんが出ないんだったら相撲中継なんてやる意味がないから、ダイジェストだけでいい。できれば土俵入りの模様も放送してくれれば良い。大相撲ダイジェストは、短く編集した立ち会いもカットして、取り組みだけを1.5倍速で放映するといい。そうすると時間が余るから、そこで土俵入りだ。人気コンテンツになること請け合いだ。いや。いっそのこと相撲なんか中継せずに病床の北の富士さんだけを映したらどうか。焚き火の映像よりも、しみじみと心に染みるはずだ。北の富士さんは存在自体が相撲だからね。一日中観ていられる。トイレに行くときなどはニュースを流せばいいだろう。
 これが、おれの相撲愛だ。
 冷静に考えると、おれ、あんまり相撲が好きじゃないのかもしれない。
เปิดใจให้ขี้เหล้าแน่ - เนสกาแฟ ศรีนคร (Official MV)
 さて今日の歌だがタイトルは「心を開けばきっと酔える」みたいな意味か。なんかすっごくアタマ悪そうなタイトルだが、歌詞はそんなにばかっぽくない。とはいえ、アタマの良い人が書く歌詞でもない。
 これまでにタイで酔っ払いは嫌われると、なん度も書いてきたが、正しく言うと正体がなくなるまで酔ったり常習的に飲んで依存症になってしまうような飲み方が嫌われるだけで、酔って楽しくなることは否定しない。否定しないどころか、それは大好きと言って良い。
 この曲を歌っているのがเนสกาแฟ ศรีนคร(ネスカフェ・シーナコン)という娘で、もちろん芸名だ。本名はอาย รัตติยา อรุณศรี(アーイ・ラッティヤ・アルンシー)という。ケマラート生まれ。ウボンラチャータニーのラクタイ大学を出てる。経営管理技術を勉強したっていうんだけどね。在学中からFacebookでライヴを配信して、地元で評判に。そうこうするうち5年くらいまえからラムシン歌手としてデビュー。ラムシンてのは、モーラム・シンのことでシンは堤真一のことではなく、レーシングのシン。つまりアップテンポどころか超特急に速いテンポのモーラムってこと。
 この娘の凄い所は、曲が自作だってこと。昔はモーラムを自分で作るなんて人材は珍しかったけれど、最近はこういう人が増えてきた。1998年生まれの24歳。
 曲だけじゃなく、ステージでの発言が面白いらしく、その内容が「愚痴」だという。ふつう舞台で愚痴ると、そんな歌手はお呼びがかからないと思うんだが、この娘の愚痴には観客が笑い転げるという。でも人の悪口は言わないというから、ちゃんと芸になってるっぽい。愚痴の動画を探したが、それは見つけられなかった。人生幸朗師匠のボヤキの現代タイ版ってかんじなのか。その愚痴があまりに面白くて付いたあだ名がกำนันเนส(カムナン・ネス – ネス村長)というわけで、ネスカフェってのはそれが由来らしい。いちおう人気歌手になったし、マイナスイメージのないキャラクターだからか、ネスカフェ社からのクレームはなし。ていうか、これにケチ付けたら、タイ人はそういうの嫌うからマイナスにしかならない。
 で、この娘のメッセージは犬を食べても怒らないでくださいとか、酔って抱きついても軽蔑しないで、ということで、これはイサーンの人々のイメージだ。はい。あたしたち犬を食べちゃうし、酔ったら楽しくなっちゃって誰彼構わず抱きついたりするけれど、だって犬は美味しいから好きなんだし、誰彼構わず抱きつきはするけれど、ちゃんと貞操観念はあるんです、ということを言っている。趣味は闘鶏の軍鶏(シャモ)を育てること。もうコテコテのイサーン娘だ。
 この好きなんだもん食べさせて、はニホンジンが鯨に関して初動でこう言っておけば問題にならなかった。鯨はアタマが良いのにって発言は、日本のマスコミ向けのアタマの悪い発言を切り取ったもので、実際には食用なのに、調査という名目で農水省が公金チューチューしてることによその国が「不誠実だ」と怒っているわけで、ここは日本では報道されない。ていうか英語世界のニュースを読めばわかるが、そういう不誠実に対してしか日本を軽蔑してない。鯨はアタマ良いのになんて怒る国はないよ。それを「なあ。昔から食ってんだよ。好きなんだよ。食わせてくれよ」って言っていれば「あー。習慣なんじゃ、そりゃしょうがないね」ってなってた可能性が高いと思う。「調査です」って言いながら役人や関係者が利権を食い物にしてるし、それを一般の日本国民が知らない、ってことによその国は憤ってるわけで、日本って、こんなのばっかりだ。一部の代表のために一般の日本人まで軽蔑される。まあ、それを知らない国民ってのも馬鹿にされるだけのボンクラではあるんだけれど。
 だから、イサーンの人が犬を食うってのは外国では知られてはいるけれど、まっとうに「好きなんすよ。だから食べさせてね♡」って言ってるのがわかってるから、バッシングもされない。へんな忖度で初動で隠すとロクなことにならないね。「占領だ。言うこときけ。ガタガタ言うと非道い目に遭わせんぞ」って言わずに「対等な併合だよーん」ってウソ吐くから「話が違う」ってあとでこじれる。占領とかできるタマじゃないんだったら、大東亜共栄圏とか大それた事考えちゃいけない。
 話が逸れた。軍鶏を育てて脚に刃物付けて戦わせて熱くなるのが好きで、犬を食うのも酔っ払って誰彼構わず抱きつくのも好きで、要は昔ながらのイサーン人なんです、とネスカフェは言う。ばかっぽいけど、ばかじゃない。
 歌詞も同じだ。ばかっぽいけど、ばかじゃない。

食事中 手を伸ばして酒瓶だけを掴む
過去の苦い記憶が甦る
私には真実の愛なんて ないのかもしれない ただポケットが多いだけ
私はただの酔っ払い女子 酔っぱらいは魔法ではない

誠実さは 目盛りでは測れない
酔っ払いを 見てごらん
あなたは 私に酒を注いでもいいのよ
ただ誠実に 楽しんでね

酔うために心を開いて 酔うために心を開いて
見た目は悪いけれど 本当にカッコいいでしょ
酔うために心を開いて 酔うために心を開いて
あなたに介抱されることが多いのに あなたの世話ができる

ばかなことはできないし 傷つくこともできない
よくお酒を飲むけれど 予約も切符も必要ない
酔うために 心を開いて

ああ 同情してもいいのよ
ハンサム クール でもね からかわないで

こいつは酔っているなどと 言わないで
それは孤独な人の性質 寝る前の孤独
親切で思いやりのある対応を お願い
この酔った女の子に 心を開いて

酔った女の子には 必ず心を開いてあげてね

 なるほど。イサーンの明るい女性版トム・ウエィツみたいなかんじか。でもそれ、もうぜんぜん違うってことだけど。

 傘が嫌いで、ちょっとの雨なら傘などささない。土砂降りなら合羽を着る。だから、傘は持ってはいるが、ここ数年使ってない。普段はウインドブレーカーなどにシリコンスプレーを施したものと、ポークパイハットにもシリコンスプレーを吹いてある。もう笑っちゃうくらいの撥水で、小雨くらいなら、これが楽しくて用もなく外出したりする。
 こんなに水を弾いて、洗濯がちゃんとできるのだろうかと不安になったが、ちゃんと洗濯できる。界面活性剤ってすごいよね。
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